社畜根性
夏休み
「名前!お盆に帰省する予定などあるか?」
「いや、ないけど」
「そうか!では是非とも俺の家に来てくれ!お泊り会をしようではないか!」
「……お泊り会?」

静かな談話室の中、隣から聞こえたその単語に名前は手にしていた本から顔をあげた。
お泊り会、お泊り会……。
あぁ、あの友達の家に泊まって親睦を深めるやつか……。
経験どころか、うっすらとした情報しかインプットされていないその単語を脳から引っ張り出した名前は相変わらずニコニコとこちらを見つめる東堂に首をかしげる。
夏休み真っ最中な八月。
大半の生徒が帰省しているこの箱根学園の談話室には、東堂と名前を含め、数人の生徒しかいなかった。
開いていた本にしおりを挟んで、すっかりぬるくなってしまった麦茶を飲み干す。
冷房が効いてはいるが、窓の外から聞こえる蝉の声が夏を実感させて名前は意味もなく服をパタパタと動かして体に風を送り込んだ。

「そうだ、お泊り会だ!夏の夜を共にして俺たちの仲を更に深めようじゃないか!」
「夜ならいつも共にしてるだろ。ほら、みんなひとつ屋根の下で生活してるし」
「……そう考えたらちょっと気持ち悪いからやめろ」
「ごめん、俺も自分で言ってて気持ちわるいなって思った」

あからさまに嫌そうな顔をした東堂に謝罪を述べる。
むさくるしい男と一緒に寝ていると思うと、ただでさえない食欲が更に減退していく気がする。
「ってそうじゃなくてだな!」と顔を近づけてきた東堂に名前は思わず背を反らせて距離を取った。
パーソナルスペースが狭いらしい東堂はよくこうして顔を近づけるのだが、それに名前はいまだに慣れずにいた。
それでもその許容範囲は徐々に狭くなっているので慣れてしまうのも時間の問題だ。
顔を反らされた東堂はそんなことを一切気にせず、緑茶の入ったコップを手に取って一口飲むと話を続けた。

「何か予定があるなら構わないのだが、ないのだろう?」
「なんにもないな。この生活続けるつもり」
「引きこもりか」
「外なんて暑くて出る気しねぇし」

部活の為、普段と変わらない生活をしていた自分に対し、名前は声をかけなければ部屋から出ることなく、食べることさえも放棄していたのを思い出して東堂は呆れたようにため息を吐いた。
何も普段のようにしろとまでは言わないが、せめてきちんと食べて欲しいと願う東堂の思いは名前に届くことなく、結果東堂自身の努力によって叶えられている。
東堂の心配は「こいつ高校出たらちゃんと自立できるのか?誰かついてないとダメなんじゃないか?」にまで達していた。
その心配事を払拭するためにも、東堂は名前を自宅へ呼びたいのである。

「どこかへ遊びに行こうというわけじゃない。先程も言ったように親睦を深めたいだけなのだ」
「俺的には充分深まってるっていうか、深まりすぎてるんだけど」
「全然だぞ!?俺も名前もお互いのことをまったく知らないではないか!名前が漫画好きだとつい最近知ったぞ!」

机に置かれた本を指さした東堂は不満げに眉を寄せる。
だって言ってないし。とは名前の言い分だが、それを良しとしないのが東堂だった。
名前は東堂の気持ちを代弁するように揺れるカチューシャからはみ出した前髪を目で追って、手を伸ばす。
どういう仕組みだこれ。

「……名前、話を聞いているか?」
「聞いてる聞いてる。いいよ、東堂ん家泊まるわ」
「ほんとか!じゃあ荷物準備しておけよ!お盆の前日に迎えが来るからな!服は俺の貸せないから忘れるなよ!」
「東堂俺より小さいもんな」
「将来有望と言え」
「期待だけしとく」

くるくると弄っていた前髪から手を離す。
東堂の頭はわりと撫でやすい位置にあるので、正直言ってしまえば伸びられるのは困るのだが、育ち盛りの高校生だ。
名前の身長は現実世界とそう変わってはいないので、おそらく抜かされるだろう。
なんか息子が成長する親の気分。親になったことないからわかんないけど。
妙に微笑ましい気持ちになった名前は「それより名前!」と話しかける東堂に笑みを漏らした。