社畜根性 不機嫌の理由2 |
食事を終えた新開は、「そういえば」とデザートのぜんざいを食べながら口を開く。 「だから、口にものを入れて話すな」と怒る東堂に、顔は目の前の白米に向けながら、視線だけを新開にやる福富。俺たちのが先に食ってなかったっけ。と新開の食事の速さに驚く名前。 新開は三人の視線を受けながら既に空になったカップを置いた。 「名前くんって自転車競技部入らなかったんだな」 「え、いまさら?」 名前は口に運ぼうとしていた味噌汁を寸前で止める。 日曜にショッピングモールで会った際には何も言われなかったので仮入部中自分の存在に気がついてなかったか、話題にするほどのことでもないと判断したのだろうと思っていた名前だが、どうやらそれは違ったらしい。 「いや、この前聞こうと思ったんだけど、忘れちまって」とコップを持ちながら話す新開に、「そっか」と返した名前は止めかけた味噌汁を飲み込んでからその器をプレートの上に置く。 「まぁ、東堂に勧誘はされてたけど、入る気にはなれなかったんだよ。ごめんね」 「謝ることはないぜ。入部は自由だからな。もしやりたいって思ったら、そんときは歓迎するよ」 「ありがと。えっと……し…し、か……うん、その…ありがと…」 「あれ、もしかして名前覚えてない?」 「…………ごめん」 少し悲しげに眉を下げた新開に、いたたまれなくなった名前はそっと視線をそらす。 あまり聞いたことのない名字だったことは覚えている。 けれどクラスは違うし、接点がないのだ。日曜はたまたま会っただけで。 東堂の部活仲間ではあるがその東堂は部活での自分のことを話しはするが、部活仲間のことはそんなに話題に出さない。 話題に上がったとしても名前は出さないのが常だった。 そもそも東堂が部活仲間の名前を出さなくなったのは何度説明しても、話すたびに名前が「ごめん、それ誰」と聞いてくるからなのだが、名前はそのことをまったく覚えていない。 またこうして話すことになるとは思っていなかったので、東堂との会話に新開の名があがることもなかったのだ。 名前が必死に頭をひねらせ、思い出そうとしていると隣から呆れたような声がかかった。 「新開だ。プレゼントまで貰っておいて忘れるなよ」 「あー、そうだ、新開くんだ。ほんとにごめん。黒猫ならついてるよ」 制服のポケットから携帯を取り出して新開に見せるように、顔の位置まで持ち上げる。 黒猫のストラップがぶら下がるそれを見た新開は嬉しそうに顔を綻ばせた。 「お、つけてくれてるんだ。嬉しいな!」 「せっかくだしね。可愛いし」 「喜んでもらえてるならよかった。それにしても名前くんは名前を覚えるのが苦手なのかい?」 新開の問いかけに名前は携帯をポケットに仕舞いながら「……だいぶ」と言いづらそうに答える。 覚える気がないだろ。と言われればそれはそれで反論出来ないのだが、覚える気があっても興味がなければ忘れてしまうのだ。 顔や声はしっかり覚えているのでいっそのこと名簿かなにかを作ったほうがいいのかもしれない。 だが人の前で名簿を見て名前をいうなんてそれも失礼だろう。と自己完結した名前は結局自力で覚えるしかないな。と息を吐く。 新開は空のカップをいじりながら名前を見た。 「大変だなぁ。……あ、じゃあこいつの名前覚えてるかい?」 新開は隣に座る福富の肩をつかんで名前に問いかける。 急に掴まれた肩に福富は不思議そうな顔をしながらも同じように名前に目をやる。 「覚えてるよ。福富くん、だよね?」 「なんで福富のことはしっかり覚えてるんだ…」 「一回しか話してないだろう」と零す東堂は眉をよせてわけが「わけがわからない」と名前に視線を送る。 確かに一回しか話してないけどな。なんでお前回数把握してんの。と突っ込みを入れたくなった名前はその口をグッと閉じた。 確かに東堂とは学校にいるあいだほぼ一緒に行動してるが、それでも一人になる時間はあるのだ。それをなんでこうも言い切れるのか。 名前はちょっとした東堂への恐怖を「まぁ、東堂は周りをよく見てるからなぁ」と自分に言い聞かせることで納得させた。 なんでと言わんばかりに見つめてくる新開と東堂の視線に、名前は口を開いた。 「綺麗な金髪してるし、『福富寿一』なんて幸福が詰まったような名前だったから、インパクト大きかったんだよ。それに声かっこいい」 「ナニィ!?」 「最後のは余計だったか」と名前が思い返すよりも先に隣の東堂から声があがる。 思いのほか大きいその声を間近で聞いた名前は咄嗟に耳をふさぐが、既に聞いてしまったあとだった。 軽い耳鳴りに顔をしかめた名前は元凶である東堂を睨みつける。 「東堂うっさい」 「名前!俺は!俺の声もかっこいいだろう!」 「……東堂はどっちかっていうと可愛い寄りじゃね?」 「かわっ、可愛い!?確かに俺は福富のように低くはないが……可愛い……」 可愛い発言にショックを受けたらしい東堂はさきほどまでの覇気をどこへやったのか、落ち込んだようすで鯖の味噌煮をつつく。 名前としては褒め言葉のつもりだったのだが東堂には伝わらなかったようだ。 新開はこころなしか嬉しそうな福富を見てから、あからさまに落ち込んでいる東堂を見てどうしようかと戸惑う。 「あー…ほら、声変わりで低くなるかもしんないだろ?そんな落ち込むなよ」 「もう終わってる……」 「…………そっか」 元気づけようと新開が発した言葉はさらに東堂を傷つけたようで、東堂の箸は鯖をつつくばかりで一向に口元に運ばれない。 新開が助けを求めようと名前へ視線を向けるも無言で首を振られた。 「おめさんのせいだろ」と言いたくなった新開だが、ここで責めたところで現状は変わらない。 悩んだ新開は最終手段として、福富に同じように助けを求める視線を送った。 その視線に一瞬戸惑った福富はチラリと東堂を見てから名前に声をかける。 「名字、この間の件だが」 「え?この間?」 「二宮ロードレースだ」そう返した福富に名前は「あぁ」と記憶を掘り起こす。 そんな約束をした気がする。一ヶ月以上前の話なのでうっすらとしか残っていないが、見に行こうと誘われた覚えがあった。 いつだろうかと名前が口を開こうとすると、割って入るように新開が「あ」と声をあげた。 「それ、俺も出るんだ。名前くんもしかして見に来るのかい?」 「誘われたし、俺予定ないから行こうと思ってる」 「そっか、レース見るのは初めて?」 「うん。あの部室に置いてあった自転車で走るんでしょ?」 「そうそう。でもきっとびっくりするぜ。すっごい速いから」 「でも自転車だろ?」と首を傾げる名前に新開は「見てからのお楽しみだな」と楽しそうに笑う。 福富、新開は出て東堂は出ないということは部での参加というわけではなさそうだ。 ふと、名前の頭に荒北の顔が浮かんだ。 そういえば同じ自転車部でルームメイトの荒北靖友さんは出るんだろうか。 名前は湧き上がった疑問を口にしようとしてやめる。 今荒北の名を出したらまた東堂が怒ってしまうかもしれない。 それにしてもこんなイケメンに"ブス"と言うのは、相当面食いなのか。 名前はいまだ落ち込む東堂の頭を撫でながら荒北の情報に新たに「面食い」と付け加える。 まぁ面食いだからどうと言うことはないのだけれど。 考え事をする名前に東堂は鯖をつついていた手を止め、頭を撫で続ける名前を見て息を吐くと視線を福富に向けた。 「もうそろそろじゃないか?大会」 「来週の土曜だ」 「ふむ、名前、予定は空いているな?」 「超暇」 「よし名前、この俺が朝迎えに行ってやろう。部屋の番号を教えてくれ」 「えっ、いや、いい、自分で起きる」 「お前朝弱いだろう。休日はいつも昼過ぎまで寝ているし。寝過ごされてはかなわん」 「えーっと……」 名前はじっと見つめる東堂から視線をそらす。 名前の同室は荒北だ。荒北と東堂が会って、喧嘩して、一日不機嫌な東堂と過ごすのは避けたい。 そのためにも部屋を東堂にバレるわけにはいかないのだ。 「……モーニングコール、で、いいかなぁ…」 「モーニングコール?俺が行った方が早いだろう。それに確実だ」 「それはそうなんだけど……自力で起きれるようになりたいし…あ、朝東堂の声聞いたらすっきり起きられる気がするから…な?」 引きつる口元を抑えて話しかける。 何言ってるんだ俺は。とは思うもののそれ以外に逃げられそうな理由が思いつかなかった。 これでも押し切られたらどうしようかと不安に駆られていた名前に反するように東堂は笑みを浮かべる。 「そうかそうか!いい心がけだぞ!そうだな、何事も自力でできるようにならなくては!しかし妙案だ!確かにこの山神の声を聞けば起きられるに違いない!なんなら毎日してやってもいいのだぞ!」 「いやぁ!名前も成長したなぁ!」ともはや冷め切った味噌汁を飲みながら笑う東堂にホッと息をつく。 どうやら迎えには来ないようだ。代わりに寝起きで東堂の声を聞くことになってしまったが。 「よかったな尽八くん」なんて東堂へ声をかける新開を横目に、名前は諦めたように乾いたため息混じりの笑みをこぼした。 |