社畜根性
不機嫌の理由
季節も春からすっかり梅雨に変わり、じめじめとした日が続く中、東堂と食事を取る名前はどうしたものかと頭を悩ませていた。
前の席でなく、なぜか名前の横に座り、鯖の味噌煮定食をつつく東堂は眉間にシワがよっていて、いつものハイテンションな笑顔はどこかへ消え失せている。
どうにも今日の東堂は機嫌が急降下しているらしく、名前との会話はほぼないものだし、目すら合わせない有様だ。
名前はあまりにも急すぎる変化に戸惑いながらも話しかけてみたりしたのだが、返事はそっけなく、午前の休み時間は鏡ばかり見ていた。
「ううん」と唸りながら東堂と同じ鯖の味噌煮定食に箸をつける。
宣言の一ヶ月が終わってからここ数日、名前は変わったことはしていない。
名前が東堂の機嫌を損ねることがあっても、東堂は思ったことは面と向かって言う質なのでそれはないだろうと選択肢から除外した。
名前が原因でなければ東堂自身の問題か、他の何かなのだろうが名前は友好関係が狭ければ視野も狭いのでこれといった原因が見つからない。
話を聞き出そうにも当の本人がこれでは話も聞けないのだ。
やけに居心地が悪い昼食を取っていると、ふと聞き覚えのある声が食堂の入口から聞こえてきた。
名前が白米を頬張りながらそちらへ目を向けると、そんな名前に気がついた二人は受け取ったばかりであろう定食を持ったまま歩いてくる。
二人は名前の横に並んだ東堂を見て不思議そうにしながらも、空いている前の席に座った。

「なんだ、おめさんら食堂で食ってたのか。全然会わないから購買行ってるのかと思ってたぜ」
「まぁ食堂広いからなぁ。仕方ないね」

新開はなんでもないように返した名前の横に目を向けると、意味のない小声で名前へ問いかける。

「なぁ、尽八くんどうしたんだ?」
「さぁ?朝からこんな調子なんだよ。まともに返事してくれないし、鏡ばっか見てるし。よくわかんない」

名前は新開につられる様に東堂へ目を向ける。
視線を感じた東堂は名前の視線が自分に向いていることに気が付くと、そっと、だが明らかに顔を背けた。
「んー、なんだろうなぁ」と声を漏らす新開と顔には出ていないが、心配そうに東堂へ目をやる福富。
そんな中、名前は一人ショックを受けていた。
顔を、顔をそらされた。
今まで散々、「名前、名前」と呼びかけては楽しそうにしてきた東堂だ。最初は「なんだこいつ」と思っていた名前も今ではその笑顔に絆され、一番仲のいい友達だと思っていた為に、されたこともなかった「顔をそらす」という行為が思いのほか胸にささった。
元々東堂が、話をするときは必ず人の目を見る、ということをしてきたせいかもしれないし、少し視線を向ければ「なんだ?」と言わんばかりに見つめ返してくるのが常だったからかもしれない。
とにかく、その「顔を背ける」という行為が名前に少なからずショックを与えたのは確かだった。
実際の高校時代は薄い友達関係だった為に、名前自身気づいていないが東堂との関係は嬉しいものだったし、無くしたくはないと思い始めていた。
思わず「とうどう…」と情けない声が出る。
その声が聞こえた東堂は背けた顔を少し名前に向けると、ギョッと驚きに目を開いた。

「なっ!?名前!なぜそんな顔をしているのだ!?」
「は、そんな顔?」

突然詰め寄ってきた東堂に「してる?」と問う。
大きく頷く東堂にまじか、とは思うもののそんな変な顔をしている実感はない。
名前は新開に「変な顔してる?」と聞くも、新開は首を横に振るばかりだ。福富も同じように首を振る。
自分がどんな顔をしていたのか気になるが、とにかく、これで話ができるだろうと名前は口を開いた。

「東堂、なんで今日機嫌悪いの?」

その言葉を聞くと同時に、ハッとした東堂はまた名前から顔をそらす。
そのまま何も発さず、無言の沈黙がしばらく続くと、不安そうに瞳を揺らした東堂が名前を見た。
初めて見る東堂の不安そうな表情に、思わず緊張する。

「名前、俺は、その、」
「うん」
「う、美しくないのだろうか……」
「……うん?」

名前は投げかけられた問いに、疑問符を投げ返した。
ちょっと何言ってるかわかんないけど、え?
緊張していたのがアホらしくなるような答えに、力が抜ける。
名前が答えになっていない返答にどう返したらいいかと悩んでいると、目の前の新開から「あ」と声があがった。

「尽八くん、もしかして昨日荒北くんに言われたこと気にしてるのか?」
「言われた?」
「尽八くん昨日荒北くんに『ブス』って言われたから」

新開のその言葉に東堂は不安そうな顔を一変し、眉を吊り上げて頬を膨らませ、いかにも怒ってます。と言わんばかりの表情になる。
普段行儀のいい東堂からは考えられないほど大きな音をたてて箸をプレートへ置くと、「そうなのだ!」と叫んだ。

「俺はただ注意しているだけなのに!あいつは人のことを『デコっぱち』だの『ダサいカチューシャ』だの!昨日はついにこの俺の美しい顔にまでいちゃもんをつけてきたんだ!なんで俺があんな下まつげに文句を言われなきゃいけないんだ!」
「下まつげって……」

怒りがぶり返してきたのか、顔を真っ赤にしながら怒る東堂に新開は苦笑いする。
「まぁ、確かに下まつげすごいよな」と新開が零すと東堂は「同意してほしいのはそこじゃねぇっ!」と怒りの矛先を新開へ向けた。
新開へあーだこーだしゃべり続ける東堂の言葉を遮るように、名前は東堂へいまだ残る疑問をぶつける。

「不機嫌な理由はわかったけど、なんで俺の方向かなかったんだよ」
「そ、れは……」

名前は珍しく口を濁す東堂を見つめる。
東堂は言いにくそうにもごもごとなにかを呟いたあと、「いやだったのだ」と続けた。

「なにが?俺が?」
「そんなわけないだろう!だからだな、その、美しくない顔を見せるのはいやだったのだ」

は?
名前は「何言ってんだ」と口から出そうになったのを押し込める。
本気で不安そうな顔をしている東堂に、そんな言葉をぶつけるわけにはいかなかった。

「俺は、自分が美しいと知っている。もちろん思い込みではなく事実としてだ」
「ただ、だな。ああもハッキリ面と向かって、言われるとだな、少し不安になってしまってな……」
「……不快な思いをさせてしまっただろうか。とんだ馬鹿者だと呆れるか?」

揺れる東堂の瞳を見た名前は大きくため息を漏らすと額に手を当てて目を閉じる。
悩んでいたのがアホらしくなった。
大きなため息を吐いた名前を見て「や、やはり呆れてしまったか?」と焦った東堂は突然訪れた衝撃に目をつぶった。
直後じんわりと額が痛むのを感じて片手を当てる。
東堂が目を開くと、パーに近い形をした手をこちらに向け、ほっとしたように笑う名前が目に入った。
手の形と額の痛みからデコピンされたのだと気づく。

「心配させんな。びっくりしたぞ」
「デ、デコピン……」
「大丈夫だよ東堂、お前はちゃんと美形だから。というか東堂の中で俺は顔で人を判断するやつだと思われてんの?」
「なっ!?違うぞ!?思ってない!ただ、俺が嫌だっただけだ!だがまぁ、ふむ。名前がそういうならやはり俺は美形なのだな!ワハハ!山神東堂尽八、完全復活だ!心配させてすまなかったな!名前!」

いつものように笑いかけてくる東堂に名前は「元気になったならいいよ」と東堂の頭をポンポンと撫でるように叩く。
「うむ!」と嬉しそうに頷いた東堂は先ほど置いた箸を持つと、食事を再開した。
名前は新開から「仲いいんだな」と声をかけられたので「まぁね」と返す。
しかし、なぜかそう言った自分に酷く恥ずかしくなって、白米を食べるフリをして俯いた。