社畜根性
ルームメイトはヤンキー(仮)
部屋で漫画を読んでいた名前は鳴り響いた着信音を聞いて時間を確認した。
18時00分。今日もピッタリだな。
薄く笑った名前は漫画に栞代わりのメモ帳を挟むと枕元の携帯手に取ってを開いた。
一週間前から必ずこの時間に届くメールは東堂からのものだ。
部活が終わった直後にメールをしてきているようでご丁寧に本文は毎回「部活が終わったぞ!」から始まる。
部活動でのことを長々と連ねる本文にざっと目を通した名前はメール作成画面を開いて「お疲れ様。山登れてよかったな」とだけ打ち込むと送信ボタンを押した。
初めはきちんと長文には長文を返していた名前だったがあまりに時間がかかるのと、東堂がその倍の量を返してくるので早々にやめた。
パソコンだったら打ち込むの速いんだけど。
今名前が手にしているのは時代に合わせてかガラケーだ。
久しく使っていなかったそれはフリック入力に慣れてしまった今となってはめんどくさいことこの上ない。
一番初め、ダンボールの中から姿を現したときにも確認したが、写真はおろか、高校時代に登録されていたはずの友達や家族の連絡先も一切残っていなかった。
そのくせ保存されたアニメの画像や着ボイスなんかは残っているのだから重症だと思う。

「まぁ、夢って記憶の整理らしいからな…。10年も連絡取ってなきゃ忘れてて当然か…」

入社してから会社私有のアパートへ移り、忙しさに連絡する暇はなかった。
友達との繋がりは元々薄いものだったし、家族もお互いあまり干渉しあわない家庭だったため連絡とも言えない連絡を取ったの何年か前に姉からの結婚報告の留守電だけだ。
もちろん仕事で行けなかった。
携帯が壊れたときにスマホに買い換えたがデータごと吹っ飛んでいたため連絡先はすべて飛んだ。
自宅の電話番号なんてすっかり忘れていた名前は「かかってきたらでいいか」と楽観視していたのだが先程も述べたように留守電以降そのスマホが自宅の電話番号を写したことはない。

響く着信音を聞いてメールを読む。それに返信する。という行為を続けて1時間程。
オムライスを食べたという東堂からの「数学の課題でわからない問題があるのだが、明日教えて貰えないだろうか」というメールを読んで名前はベッドから飛び起きた。

「やばい、数学の課題教室に置いてきた…」

数学担当の高橋先生は忘れ物にうるさい。
授業で寝てるよりも、問題が解けないよりも、忘れ物をしたことに関してネチネチ言ってくる。
数学が午後なら午前でやってしまえるが明日の数学は一時間目だ。
朝はゆっくりしたい名前にとって「朝早く行ってやる」という選択肢は残されていない。
幸いにもこの学校は寮制だ。
学校が空いていなければ事情を言って開けてもらうことが出来るかもしれない。
部屋着を制服に着替えて携帯をポケットにつっこむと、名前は学校へ駆け出した。









「お前寮生でよかったな。気をつけて戻れよ」
「はい、ありがとうございます」

幸いにも職員室に残っていた先生に言って教室の鍵を開けてもらった名前は課題を片手に寮へと足をすすめる。
パラパラと該当ページをめくって「これは長丁場になるな」と苦笑いした名前は寮へ向かう足を反転させて購買へと足を向けた。
財布は持っていないが、もしもの時のために制服に500円程度なら入っている。適当なパンとコーヒーを買って行こう。
東堂にメールを返信しながら歩いていると視界の端に明かりを見つけて視線をそちらへ移す。
光が漏れているのはある部室からのようだ。
他の建物の明かりはすべて消えているので自主練なのだろう。
名前は周囲の建物と光が漏れるその建物をじっと見て、「あっ」と声をあげる。

「あれ自転車競技部の部室だ…」

名前は仮入部期間何度もあの場所へ通ったのを覚えている。
課題を手にした名前はそろそろと部室へ近づいた。ただ誰かと気になったからだ。
名前の知人には自転車に乗る人物が二人いた。
そのうち東堂の方は今送られてきたメールで自室にいると言っていたので、もしかしたら福富なのではないかと思った。
英語の授業以来話していないが、東堂の話によると結構速いらしい。
たまに朝の自主練でも一緒になると言っていた。もし彼だったら、さすがに声をかけるのは少し勇気がいるので飲み物でも買って置いておこうかと思ったのだ。
知らない人だったらこのまま帰ろう。
名前は部室の窓へ近づくと中を覗く。広い室内を見渡すと、ローラーに跨る人影が見えた。
斜め後ろからしか見えないが、名前はその人影に見覚えがあった。

「えっと…あー…あ、荒北靖友さんだ。やばい、半分忘れてた。あの人自転車部だったのか」

最近また部屋に戻ってくるのが遅くなったルームメイトはどうやら自主練で遅れていたらしい。
名前はてっきりヤンキー仲間とコンビニにでも行っている(でも8時までには戻ってくる)のかと思っていたのだが、とんだ思い違いだと気づいた。
思い返してみれば、風呂からあがってきただろう彼は濡れた髪をそのままに倒れこむように眠っていたかもしれない。
大量の汗を流しながらただ前を見てペダルを回す荒北を見て、名前は踵を返すと購買横の自販機へと駆ける。
制服に入っていた500円を投入口に差し込むと、光ったボタンを見て考えを巡らした。

「……スポーツドリンクと栄養ドリンクってどっちのがいいんだ?」

名前が大変お世話になっていたのは栄養ドリンクだ。疲れが取れた気はしていた。効果は実証済である。
対してスポーツドリンクはスポーツをしなかったため、あまり飲んだことはない。思い切りジュース感覚だった。
スポーツをしているのだからスポーツドリンクを買うべきか、疲労回復を考えて効果も実証済の栄養ドリンクを買うべきか。
数秒悩んで、結局栄養ドリンクを買うことにしてボタンを押した。
取り出し口から落ちてきたものを取り出すと春の夜には辛い冷たさが手の平に伝わる。
部室のドアに引っ掛けておけばいいか。
名前は別に感謝されたいわけではなかった。ただのヤンキーだと思っていたルームメイトが実は知人も入っている部活に入部していて、その上一人残ってまで自主練をしているのが意外だったのと、見物料。それに勝手な偏見を持っていてごめんなさい。という謝罪である。
彼の机に置いておくことも考えたがそれは却下された。
「これなに」と問われれば買ってきた経緯を言わなければならなくなる。
これが友達だったら違うのかもしれないが、一人きりの自主練をのぞき見られて、それで「お疲れ」だなんて渡されたのでは気持ち悪いだろう。
こちらは同室というだけで、ただそれだけだ。
ドアにかけておけば、誰が買ったものかわからないし、名前は自己満足できる。
一応捨てられる可能性を考えて、購買のおばちゃんに適当な紙とペンを貸してもらうと「荒北靖友さんへ」と書いて紙を破いて返す。
お金を出して買ったものなので、捨てられてしまうのはもったいない。
名前は袋からパンを取り出すと空になったそこに栄養ドリンクと紙をつっこんで静かに部室前に戻り、そっとその袋をドアにかけた。