99、その男、軍医、山寺歩













「……ふむ」



洗濯物を干し終わり、ふと自分の手を見て見ると指先はあかぎれていて爪の色も悪く、お世辞でも綺麗な手とは言えなかった。





けど私の手は昔からこんな感じだった。



冷たい水でのお洗濯や炊事で指がボロボロになるのは当たり前というか、仕方のない事だと割り切っていた。


やはり姫様や廓にいたお姉様達のような色白で綺麗な手には憧れるが、私は姫でも遊女でもない。ただの女中であって手を手入れする必要もない。





「……痛い」


けど指先の痛みには流石に気になってしまう。ヒリヒリと痛むが我慢が出来ない程ではない、しばらく休ませれば回復するだろうといつも放っておいている。









「大谷様、包帯を交換しましょう」



薬箱を持ってお部屋へ伺うと、大谷様は「あいあい」と言って羽織りを脱いだ。


相変わらず鍛え上げられている上半身には惚れ惚れするがそれを口にすると、大谷様は怪訝そうな顔をして包帯を交換させて貰えなさそうなので黙っておく事にした。






「そういえば今年は女中を多く雇ったようで、ようやく仕事量が通常に下りました。昨年は嫁入りする女中達が続いてしまい大変でした」


包帯をくるくると交換しながら大谷様に世間話をしてみた。






「ぬしは仕事が好きか」

「ええ、好きですよ。というより私はきっと今の仕事しか出来ません。炊事やお世話の経験しかありませんから」

「……。」

「例え他の奉公先に行っても今のように務まるかどうか、私は何も出来ませんし何も持っていませんから」

「……。」


そう言った娘の表情は少し悲しそうではあったが、すぐに穏やかな表情にぱっと変わった。





「けど私は此処から離れる気はありませんよ? いつまでも大谷様のお世話係として努めさせて貰います」

「われがぬしを追い出すかもしれぬと?」

「ええ、大谷様はとても気まぐれですから。知性を携えているかと思えば少々楽観的な部分も見受けられます」

「否定はせぬが」



ふと、包帯を巻く葵の手を見ると指先があかぎれていた。痛々しくも見えるその指先を目を細めて見た。








「……。」


はて。

この娘の手は、こうも痛々しかったであろうか。小さな手は慣れた手付きで包帯をくるくると巻いていた。痛くないわけでは無いだろう、




だが娘はいつも通りに巻いている。





「(……痛いであろうに)」

「巻き終えました」


包帯を巻き終え、桐の薬箱をいつもの棚に片付けた。大谷様の方を見れば体の包帯を巻く為に脱いでいた着物を正していた。







「……。」


何だか色っぽいその姿に、思わず私は視線を横に流してしまった。ああもうどうして大谷様はそんなに良い体をしているのですか。


常日頃、大谷様は机に向かってばかりだというのに体は鍛え上げられている。その体はついつい見てしまう。




「あ、予備の包帯の数が減って来たので軍医様の所に取りに行ってきますね」


言い訳のように聞こえないだろうか……と、心の中で心配しながら棚に置いたばかりの薬箱を手に取った。






「……葵」

「はい」



部屋を出ようとした時、大谷様に呼び止められたので足をぴたりと止めて振り向いた。


大谷様は私に手招きしていたので、どうしたのでしょう?と大谷様の側に行くとぐいっと腕を掴まれて大谷様の胸に飛び込んだ。



(持っていた薬箱が大谷様に当たらなくて良かった)






「え、あの、大谷様?」

「……。」


ぎゅうと抱き締められて、
身動きが取れないなと困っていると



パッと大谷様は私を離してくれた。





「?」

「行ってもよい」

「え、あ、はい。では行ってきます」


気が済んだのか、私は突然の事に照れながら大谷様の部屋を出た。




きっと私の顔は真っ赤だ。






ああもう、大谷様は私をどうしたいのですか、このままでは私は大谷様に心を奪われてしまいます。

いえいえ、もう既に私は大谷様に惚れてはいるのですがこの気持ちを誤魔化す事が難しくなってしまいます。




お慕いしております大谷様。


お側に居させて下さい大谷様。


私にもっと触れて下さい大谷様。




貴方の事が好きになってしまいました。













「軍医様、いらっしゃいますか?」


軍医様がいつもいらっしゃるお部屋の前に行き、軍医様に呼びかけるとゆっくりと襖が開いた。








「はい、何かご用ですか?」

「……あら?」


部屋から姿を現したのは軍医様である藤吉様ではなく、とても若い男の人だった。







「(どちら様でしょう?)」


黒髪で幼い顔立ちの彼を私は知らない。







「あの?」

「あ、失礼しました。大谷様の包帯の補充をしたいので包帯を分けて貰いに来ました」

「刑部様の包帯ですね、少し待って居て下さい」


部屋の中へ案内されたので腰を下ろして待っていると、黒髪の若い男の人が包帯の入った箱を持って来てくれた。






「どうぞ、この箱から包帯を持って行って下さい」

「ありがとうございます、あの……失礼ですが貴方様は?」


包帯を桐の薬箱に移しながら、

目の前にいる彼に聞いてみた。





「僕は軍医の山寺歩と申します、まだまだ勉強中の新米軍医ですがよろしくお願いします」

「軍医様、ですか」

「歩でいいですよ。「軍医様」だなんて呼ばれてもこうむず痒いといいますか」

「歩さん、でよろしいのですか?」

「構いませんよ、貴女のお名前は葵さんで合っていますか?」

「ええ、そうですが……」



どうして私の名前を?






「藤吉さんから色々と聞いていたんです、確か刑部様のお世話をしている女中さんですよね? 聞いていたよりずっと若い方だったので驚きました」

「藤吉さんから、ですか」

「はい、これからは刑部様の包帯を僕も交換する事になると思うので葵さんの手間が省けると思います。遠慮なく僕にお任せ下さい!」

「大谷様の包帯を、そうですか」



大谷様の包帯は今まで私が交換していましたが、歩さんもやはり軍医であるなら大谷様の体を診る事になる。

私は医学の知識がないので、大谷様を診る事は出来ず包帯をただ新しいものに換えるしか出来ない。





「で、ですが歩さんもお仕事がお忙しいでしょう、なるべくは私に包帯の交換をお任せ頂いても良いのですよ」

「刑部様のご病気を心配していますか? 大丈夫です刑部様のご病気はうつったりはしませんよ! ご安心を!」

「(知っています)」



長年お世話している私が一番分かっているのです。私が言いたいのはそうではないのです。


どうか大谷様のお世話は私にさせてくれませんか?どうか私から仕事を取らないでくれませんか?


大谷様の包帯を交換するあの時間を私から奪わないで下さい。少しでも私はお側にいたいのです。





「(違う、歩さんはきっと私に負担がかからないように言ってくれているだけ)」



包帯を薬箱に補充して、パタンと蓋を閉じた。歩さんはにこやかに私の方を見ていた。




きっとこの人はこういう人だ。


人が良くて、優しくて、思いやりがあるとても気遣いの出来る人。







「包帯、ありがとうございました」

「いえ、体調が悪くなったりもし刑部様の薬が必要となればいつでも此処に来て下さいね」

「分かりました」


お礼を言って部屋を出た。



どこかもやもやしながら、私はなんて嫉妬深い女なのだろうと自分を卑下した。






「(仕事怠慢、このままではいけませんね。私情を挟んでしまっては)」





私は女中、大谷様の世話係


軍医でもない、ただの女中。




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