117、人間のあるべき姿こそ












空から降り立った此処は私が今までいた場所よりも、煌びやかで美しい場所だった。



「此処は……?」


私を此処まで連れて来てくれた風魔小太郎にそう尋ねたが、彼が答えるはずもなく、無言のまま、ただ隣にいるだけだった。


座り込んでいたその場から立ち上がり、周りを見れば此処は座敷のようで、高価そうな掛け軸や壺や茶器がいくつも目に入った。どうやら家主は相当な骨董好きらしい。しかしどれも美しい物ばかりでついつい見つめてしまった。





「綺麗」

「ほう、君は随分と良い目をしている」

「!」


声がし、骨董から視線を変えれば、そこには紳士的な佇まいの殿方がいた。その姿には見覚えがあり、まさか、と口を開いてしまった。




「……ま、松永様」

「覚えていたか、ふむ、結構。しかし私は風魔に「鬼の娘」を頼んだはずだが? 何故君のような芸者が此処にいるのか、君の笛の音色は、確かに私の欲しいものの一つではあるが」

「松永様、私を覚えて、いるのですか」


まさか。
松永様と私が出会ったのは京でのあの一夜のみ、芸である笛を吹いたのみだ。今の私はあの夜とは着ているものがまるで違うというのに、松永様は私の事を覚えているらしい。





「私は一度欲しいと思ったものは決して忘れない、君も私の欲するものの一つだった。さて、君の飼い主はそろそろ君を手放したか、それとも己で鳥籠の鍵を開けたのか」

「……。」

「本当の名は何だ、君の正体は何だ?」

「私の正体など……」

「知らぬわけでもないだろう? 風魔は君を此処に連れて来たんだ、さあ君は鬼について何を知っている? 鬼の力を、闇の力を持つ者が、戦場を駆け巡る。もしや、それは君の事ではないのかね? 違うか?」

「!」

「ふっ、意地悪をするのは此処までにしておこう。私が何も知らないとでも? すまないが君の身の内を調べさせて貰った。随分と惨憺たる生き方をして来たものだ、君の飼い主である大谷には苦役に課せられていたようだが、いや違う、彼らは鬼の闇の力を持つ、君を隠し持っていた……と言った方が近いか」

「……。」


松永様は随分と私の事を調べたようで、私の上司が大谷様であると言い当てた。そして闇の力を持つ私を見つけたようだった。






「豊臣は随分と良いものを持っているのだと知り、私はとても欲しくなった」

「それで、私を」

「良いもの、美しいもの、強いもの、欲しいと思えば私は手に入れる。欲望に忠実に生きる姿こそ、人間のあるべき姿だと思わないかね?」

「……。」

「昔、君にも問うたな。さて、君の欲しいものは決まったか?」

「……欲しいものなど、ありません」

「そうか残念だ、しかし私は君の欲しいものなら全て与えよう、例え闇の力を失っていようとも、これからは君の飼い主は私だ」

「私が、鬼の居ぬ身だと知っていたのですか」

「勿論だとも、鬼の娘と呼ばれる君が第六天魔王・織田信長の復活に利用された事も、その身に住んでいた鬼を既に抜かれている事も、全て知っているよ。鬼の力を持つ娘とはとても面白いものではあるが、鬼に好かれた娘というのもまた感興をそそられるというもの」

「……随分と物好きさんですね」


鬼が居ないと知っておきながら、私を探し、欲しがるなんて。物好きという言葉しか見つからない。それが松永久秀という人なのかもしれないが。






「私は君の笛の音を聞きたい、豊臣では忙しく、吹く間もないのだろう? ならば私は君に自由を贈ろう、好きにするといい」

「しかし、私には」

「ほう、前の飼い主が恋しいか? 永らく働いていたあの城に帰りたいか? 君は既にいくつかの不幸に遭っている、何故幸せになろうとはしないのか」

「幸せ……なんて」

「君には笛を用意しよう、此処には君を縛るものは何もない、私の元で音色を聞かせてくれればそれで良い、鬼に好かれた娘が奏でる音色を是非聞きたい」

「……。」


松永様はそう言って、部屋から出て行った。私がいるこの部屋は私の為に用意したそうで、自由に使って良いと言い残していった。


なんて人だ。


鬼の居ない、何も持っていない私を攫うなど、気がおかしいとしか思えない。闇の力、婆娑羅などとうに失った私を欲しがるなんて、笛の音色など、私でなくとも良いというのに。鬼に好かれた娘だなんて、価値など何もない。



開いた窓からは眩しい程たくさんの星が見えた。そしてうっすらとその存在を見せる月は私をじっと見下ろしているようだった。





「欲しい、もの」


私は何も望まない。
私は何も欲しくない。


ただ、あの人の側に居たかっただけ。


部下として、お世話係の女中として、あの人の後ろに居たかっただけ。必要とされたかっただけ。私が存在する意味を、あの人がそれを作ってくれた。私の名を呼んでくれた。些細な事でも、私にとってはそんな毎日がとても幸せだった。


そんな人だからこそ、嫌われたくなかった。捨てられたくなかった。例え気持ちが繋がらなくとも、想っていたかった。それだけ言い表わないくらいにあの人を慕っていた。





「この世の女性は、顔も知らない殿方に嫁ぐ事が多いそうですね」

「……。」


ずっと私の側に居てくれている風魔小太郎にそう言った。彼は話せないのか、それとも話さないのか、相変わらず無口なままだが、顔を私に方を向いてくれた。こんな私の話を聞いてくれているようだ。





「想いが通じる方もいれば、そうでない方もいます。けど家の為に、みなさん嫁ぐそうです、そして子を産みます」

「……。」

「生き方というのは、女と男で随分と違いますね。でも結局は、誰かに必要とされるかが重要だと思うんです。風魔さんだって雇い主がいないと困るでしょう?」

「……。」

「私は、必要とされているのでしょうか」

「……。」

「誰かに、必要とされたいのでしょうか」



星空をジッと見上げていると、着物の袖を引っ張られている事に気付いた。視線をそちらに向ければ、風魔小太郎が袖を軽く引っ張っていた。何か伝えたい事があるのだろうか? しかし彼の目は隠れていて感情が上手く読めない。紙と筆があれば良いのだが、此処にはそれらが無い。





「風魔さん?」

「……。」



すると風魔小太郎は懐から何かを取り出して私に渡して来た。赤いそれを見て、すぐにハッとした。



「これは……」


手渡されたそれは赤い櫛だった、銀細工が綺麗なとても美しい櫛。蝶の細工を見ると、どうしてもあの人を思い出してしまう。そんな事よりもどうしてこの櫛を風魔小太郎が持っていたのだろうか。




「これ、机の上に置いてあったはず」

「……。」

「持って来て、くれたんですか?」

「……。」


頷く風魔小太郎を見て、特に咎める事はせず、ただ「ありがとうございます」と言った。結っていない髪にその櫛を通すと、乱れていた髪はすぐにいつもの髪に戻った。






「……風魔さん、私」

「……。」

「初めて、自分から外に出ました。あの人の元から、大切なあの人から、逃げてしまいました。そんな事、絶対にしないと思っていたのに、私は、側を離れないと言っておきながら、あの人を、大谷様を裏切ってしまいました」

「……。」

「鳥籠……本当にそうですね、一緒に居たいと願い過ぎて、でも一緒に居るのが怖くなって飛び出してしまっただなんて」

「……。」

「でももう、私はあの人の世話係として生きられません」


こんな身では、今までと同じという訳にもいかない。きっとあの人は拒むだろう。私の気持ちなど受け取ってはくれないだろう。結局は一方通行のままだ。







「風魔さんには何処にでも行ける翼があって羨ましいです、生まれ変わったら、鳥になりたいです」

「……。」

「風魔さん?」


首を軽く振った風魔小太郎を不思議に思っていると、口をぱくぱくと動かしていた。一言だけだが、彼が何を言っているのか理解が出来た。




「飛べない……?」



風魔小太郎は言った。自分は飛べない、と。それがどういう意味なのか、どうして飛べないと言ったのか、私は風魔小太郎という人間を詳しく知らないので理解してあげる事が出来なかった。




「もしかして、伝説の忍びにも悩み事があるのかしら」

「……。」

「貴方にも、欲しいものがあるの?」


先ほどの松永久秀様のように、私は風魔小太郎に欲しいものは何かと聞いてみた。ただの興味本意だった。伝説の忍びと言われている彼にも悩み事が、雇い主に忠実で任務一筋であるとされている彼にも欲しいものがあるとすれば、それはとても面白いと思ったからだ。



「……。」


頷いた風魔小太郎、どうやら伝説と呼ばれる彼にも欲しいものがあるようだ。





「風魔小太郎も、随分と人間らしいんですね。伝説と呼ばれる存在でも、欲望があるなんて、私達と変わらないですね」

「……。」

「風魔さん?」

「……。」

「(笑った?)」


風魔小太郎の口元が緩んだ気がした。まるで微笑んだように、横に。風魔小太郎という存在すら誰も見たことがない伝説の存在なのに、彼のこんな表情まで見れるなんて、とても貴重なものを見てしまった気分だ。




「?」


気付けば、風魔小太郎をしばらく凝視してしまった。不思議そうに私と見つめ合っている彼に気付いて「あっ」と視線を逸らした。






「すみません、伝説の忍と呼ばれる風魔さんをこんなに近くで見られるなんて、不思議な感じがして」


油断してはいけない、

彼は昔、私達の部隊と戦った事のある人物だ。彼も仕事だったとはいえ、仲間を彼の手によって殺されているんだ。今だって敵か味方か分からない、彼の目的は私を此処に連れて来る事だったけど、殺すなとは言われていない。





「風魔さんは、どうして松永様の元に?」

「……。」


ずっと気になっている事を聞いてみたが、風魔小太郎はその質問には答えてくれなかった。考えるそぶりもなく、もしかしたら彼はただ松永様に雇われているだけなのかもしれない。



しかし、何故か私の側を離れる事はなく。常に近くに居てくれた。それは私を見張っているのか、それとも違う何かなのか。




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