116、煙を消え去るは誰を想ひてか












「……は? 葵が居ない?」

「は、はいっ、部屋には誰も居なかったです」



藤吉に頼まれ、葵の様子を見に行った山寺歩はすぐにその事を伝えた。藤吉は立ち上がり、すぐに葵が休んでいる自室へと向かった。進むその足は異様に早く、一緒にいたはずの歩はその後ろを付いて行く事が出来なかった。








「葵っ!」


飛び込むように入った葵の部屋には、歩の言う通り葵どころか誰もおらず、葵が休んでいたであろう布団は敷かれたままだった。





「あの体で、何処に行ったんだ……」


藤吉は布団の下にあるそれを手にした。彼女の所有物で、護身用にと布団に隠していた赤い鞘の小太刀はそこに存在しており、鞘を抜いて刃を見れば、最近使われた形跡はどこにもなかった。





「あくまでも護身用か、しかし置いてあるということは……厠か?」

「ひぃっ、ふうっ……! 藤吉さん、足、速いですね……!」


藤吉を追いかけてやっと葵の部屋に着いた歩は、部屋の中にいる藤吉に話しかけた。息はまだ整っておらず、荒れていた。



「全く、医学の勉強をするのは良いが、いざという時の為に、体も日頃鍛えておきなさいと言っただろう」

「す、すみませんっ、それでその、葵さんはどこに? 部屋に戻って来てないですよね?」

「厠……にしては遅いな」

「どこに行っちゃったんでしょう、まさか仕事なんてしてませんよね? だって葵さんはまだ体が悪いはず」

「それはあり得ない。仕事だなんてとんでもない、しかし……あの几帳面な葵が自分の布団も畳まずにどこかへ行くとは思えない、彼女が行くとすれば厨か、書庫か、それとも……」



刑部殿の部屋、と言いかけたがすぐに口を閉じた。彼女は今は刑部殿に会いたくないと言っていた、ならば大谷様の所には居ないだろう。仕事が出来るような体でもない、しかしならば葵はどこに行ったのか。






「あ! ま、まさか、家出……とか? いや、葵さんに限ってそんな事はあり得ないですね」

「家出?」

「ほら、馬借のとこの娘さんが家出したって話があったじゃないですか、それをふと思い出してしまって、でも葵さんが家出なんてするはずないですよね」

「当たり前だ、そもそもname2#が此処を出て行く理由が無いだろう。……ん?出て行く理由……?」


藤吉は少し考えて、そういえば……と、思い当たる理由が一つ見つかったが「いや、まさか」と思い、考え直す事にした。


刑部殿の事で、葵が出て行ったなどと思いたくはないのだ。いくら刑部殿に会いたくないと葵が言っていたとはいえ、あの体で屋敷を飛び出すなど考えたくもない。しかし何か嫌な予感がするのは何故だ?


このざわめきは一体何だ?

何が起こっているというんだ。





「……ほら、葵の荷物が此処にある。出てなら自分の荷物くらい持って行くだろう、きっと葵は屋敷の何処かにいるんだ」


部屋にすみにある小さな戸棚を開ければ、葵のごく僅かな私物を見つけた。風呂敷の中には、着物や上質な布で包まれている笛、そして書物が何冊か。



「ん? 人体ノ急所ノスベテ? ああ、これはきっと刑部殿が葵に……あの人は年頃の娘に何てものを渡してるんだ、通りで急所ばかり的確に狙ってくると」


いや、今はそんな事はどうでもいい。
葵が何処に行ったのか探さなくては。



「とにかく、葵は何処にいるだろう、しかし戻って来ないとすると、葵の身に何かあったのかもしれない、すぐに探そう」

「そうですよね、葵さんが出て行くなんて、私は厨の方を見てきます」

「ああよろしく、私は屋敷の中を見て回るよ」

「はい」


歩と別れ、藤吉は早足で屋敷の中を見て回った。途中で出会った女中に葵を知らないかと尋ねてみたが、誰も葵を見ていないと答えた。はて、では彼女は何処に行ってしまったのか。


屋敷の中をいくら探しても葵の姿はどこにもなく、これはもういっその事、城の方まで捜索範囲を広げるべきかと足を進めた。






「あれ? 軍医さんじゃん、何をそんなに慌ててるのさ」

「ああ、武田の忍びか、君はまだこの城にいたのか、用はもう済んだだろう、さっさと大将のところに帰ったらどうだ」

「うわっ冷たいなー! そう言わないでよ、うちの旦那がこっちに滞在してるもんだからさ、俺様だけ上田に帰るわけにもいかないでしょ? 竜の旦那達もいるみたいだし、まあ大目に見てよ」

「奥州の客人……? そうか、ならば右目殿も一緒か」



全く、とんでもない要求をしてきたものだよ奥州の客人とやらは。

葵を竜の右目・片倉殿の嫁に欲しいと提案したのはあの伊達政宗らしい。あの二人は今もまだ、この城に滞在しているのか。まさか葵を連れ帰るまで、此処にいる気じゃないだろうな。

しかし、どうしてまた刑部殿は要求をのみ、葵を嫁に渡すなどと申してしまったのか、あれだけ可愛がっていたのではなかったのか、やはり刑部殿が葵を容易く手放すとは思えない。まだ間に合うのであれば、この縁談は私がぶち壊してやりたいところだ。竜の右目は剣術の達人と聞いているが、一対一なら何とかなるだろう、葵を本気で貰うというのならば私も本気で相手をしなくては。






「ところで武田の忍び、葵を知らないかい? 探しているんだ」

「葵? いいや見てないよ、葵なら部屋にいるんじゃないの? 体調が良くないから休んでるって聞いたけど」

「それが、葵の姿がどこにもないんだ。あの子が行きそうな場所を探し回っているんだが……どうにも見つからない」

「へえ? アンタが娘一人を見つけられないなんて驚きだね」

「それは悪かったね」

「まあいいよ、ちょうど暇だし俺様も葵を探してあげる。とりあえず部屋に戻ってるかもしれないし、見てくるよ」

「ああ、すまない」


そう言うと、武田の忍び・猿飛佐助は影の中に消えた。相変わらず面妖な術だなと思いながら、藤吉の足は大谷刑部の執務室へと進んでいた。








「刑部殿、いるかい?」


執務室の前でそう言うと中から返事があり、部屋の中に入ってみれば当たり前に葵の姿はどこにも無かったが、それよりも気になるのが、煙草の煙が部屋中に充満している事だ。







「こ、これは……」



なんだ、この煙の量は。

この人は相変わらずだ、


少し目を離すとこれだ。一体どれだけの量の煙を吸っているのか、吸い過ぎは身体に悪いとあれほど注意したのに聞いちゃくれない、今までも量を控えるようにと葵からも散々言われていただろうに、葵が居ないとすぐにこうなってしまうのか。






「刑部殿、貴方はまたですか」

「……何用か」

「用件の前に、まずはその煙管を私に渡していただけますか? いくらなんでもこの量は医者として見逃せませんよ」

「構わぬ」

「いいえ、駄目です。全く、葵が居ないとすぐにこれですか、ああそうだ葵にこの事を今すぐ告げ口しましょうか? そうすればあの子は刑部殿を心配してすぐに此処に飛んで来るでしょう、弱々しい体を引きずってでも、あの子は此処に来ますよ」


勿論、これは嘘だ。

葵は、「今は刑部殿に会いたくない」と、言ってたので私が何を言ったとしても、葵が此処に来る事はまず無いだろう。しかし刑部殿には、多少の嘘でも言わなければ分かってはくれない、そして刑部殿が葵に弱いという事を私は知っている、なのでこの言葉攻撃はとても有効なはずだ。





あ、ほら見なさい。

刑部殿は、吸っていた煙管を机の上に置いたようです。そのまま、吸うのをやめてくれるのかどうか……




「葵は世話係を休ませておる、動かしてよいはずもない」

「そうですが、この煙は良くありません、葵の為にも今すぐに……ん?」


よく見れば、刑部殿が吸っていた煙管は机に置かれたままで、火種も無くなっているようだった。まさか先ほどの葵攻撃が効いたのか、それとも医者としての注意が効いたのか、刑部殿はあっさりと吸うのをやめてくれた。






「刑部殿?」

「われを諌める者も、もはやおるまい」

「刑部殿、貴方はまだそんな事を、葵は体調が良くなればすぐに戻ってきますよ」

「藤吉、用件を」

「……葵の姿が見えないので、もしやと思い此処を訪ねたのみです、しかし此処にも葵はいないようなのでこれで用件は済みました。では、私はこれで失礼します」

「まちとまて、葵が居ない、と」

「ええ、部屋や屋敷には何処にもおらず、今は私と歩で葵を探しているのです。体はまだ安定していないというのにあの子は何処に行ったのか……」

「今以て、そんなにも体が悪いのか」

「……そうですね、はっきり言いますと良くはありませんよ、なのでどうか竜の右目との縁談は放棄して貰いたいものです」

「……。」

「葵の刑部殿への気持ちはちっとも変わっていませんよ、なのでとっとと葵を嫁にでもしてあげて下さい、あの子は喜ぶでしょう」

「……。」

「……では、私は葵探しをしなくてはいけませんので、執務中失礼致しました」


無言のままの刑部殿の背中に頭を下げてから、執務室を出た。煙が酷く充満していたので襖は開けたままにしておいた。








「(全く……あの人は)」


未だに刑部殿は素直にならない、だが葵の名前を出した途端に煙管を吸わなくなった。故意なのか、それとも偶然なのか、やはり刑部殿は葵に弱いという事なのか。全く、そんなにも葵が気になるのなら会いに行けば良いでしょうに。


おっと、

まずはその葵を探さなくては。





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