114、降り落ちるものは不幸か幸か










今日も大阪は静かで、鳥のさえずりさえも心地良い音色に聞こえ、争いなどまるで起こりそうもない、それは暖かな日だった。

しかし、だからといって己の政務の量が減るわけでもなく、筆を離さぬ日々が続いた。近頃は戦が無いというのにこの忙しさは何だ、これは何かの陰謀なのか。だが、共に政務をこなす賢人にてそれは同じ事で、忙しさは相変わらずのようだ。


政務の量と比例するかのように、吸う煙の量も必然と増えていき、部屋は煙で充満していた。こんなところを葵に見つかればまた怒られるだろうなと、ふと思う。しかし、その葵は今は体調を悪くし、休んでいる。もうどれだけ葵の姿を見ていないだろうか。ついつい名を呼んでしまいそうになる度に、慣れてしまった日常を小さく嘲笑う。

これはまるで呪いだ、どうあっても葵を忘れさせてくれないようだ。



やれ困った。











ダダダダッ!!!


こちらに向かってくる足音が聞こえた。筆をそっと置き、足音を聞き、どうやらこちらに訪ねてくるらしい客人を待った。こんな時に客とは、また竜の我儘でも聞けというのか。次はどんな難題を吹っかけてくるのか、われは暇人ではない。




「はてさて」



竜の次は誰か、巫女か? 若虎か?

それとも……。






「刑部さん!!」


バァンッ!と襖を勢いよく飛ばして中に入って来たのは左近だった。この男は襖を破壊してまで何をそんなに急いでいるというのか。


襖を壊して、葵に怒られるのはわれだというのに、この者をどうしてくれようか。

「刑部さんやっぱり此処にいたッ! あんた何を考えて……って、何だこの部屋! 煙くっせぇ! アンタどんだけの量を吸ってんだよ! 葵に禁煙しろって言われてたじゃん! あ、もしかして禁煙するつもりないだろっ!」

「何用か」

「そうだっ……刑部さん何考えてんだよっ! 葵を嫁に出すなんてどういう事だ! つーかこれって嘘だろ? なぁ! どうなんだよ! 刑部さんの冗談なんだろ!」

「誰から聞いた」

「はぁ!? 誰って、奥州の伊達さんが言ってたんスよ!」

「なるほど、奴か」


まったくあの竜め、もう葵を貰った気でいるのか。ふん、強欲な奴よ。しかしまァいつかは左近の耳にも入る話だ、今こやつが知ったところで何も問題はない。




「え、刑部さん? ちょっと、なんか言って下さいよ。まさかこの話が本当だって言うんじゃないっスよね……本気で葵が結婚するんじゃ」

「相手は知っておるか?」

「は?」

「葵の夫となる者よ、知らぬなら教えてやろう、相手は奥州・伊達政宗の右目よ。良き縁談ではないか、主も祝ってやれ」

「はあ!? ふっざけんな! なんでいつの間にそんな事になってんだよ! 大体、葵が結婚話なんか受けるわけないだろ! だってあいつはいつも刑部さんの事を……あーもうっ!アンタら二人とも何考えてんスか!」

「ふむ、ぬしはこのメデタキ話を祝ってやれぬと? そうかそうか、そういえばぬしは葵を好いておったな、ならばぬしが葵を愛でてやるか?」

「なっ!」


左近の顔は驚きと焦りが混ざったような表情をしていた。左近が葵に好意があるのは前から知っていた、若い二人は似たような境遇からか、いつしか仲が良くなっていた。


しかしそれはわれには関係のない事。





「どうした左近? ぬしならば葵を嫁に貰ってくれるのか? 好いておるのだろ?」

「ち、違う! 葵は、葵はあんたの事が好きなんスよ! だから俺は、葵が幸せになってくれさえすればそれで良いんだ!……なのに、どうして刑部さんは分かってくれないんだ! どうして葵を幸せにしてやってくれないんすか! アンタだって葵の気持ちにとっくに気付いてるくせに! なんでッ!」

「……。」

「なんでそうやって、いつもいつも知らないふりをするんだよ! ずりいだろ!なあ!」


左近は大谷の着物の襟を掴み、ぐいっと力任せに持ち上げた。目の前には怒りを露わにしている左近の顔が、それほどまでに左近は葵の結婚に反対しているようだ。






「……。」


しかし、左近。


ぬしはどうして、泣きそうな顔をしておるのだ。葵の為にどうしてそこまで怒れるのだ。葵の幸せ? それならば縁を組ませてやるのが一番だ。女の幸せというのはそういうものであろ。

いやしかし、女とはわからぬものよな。





「葵に帰る家は無い、家族もいない、想い合う相手もおらん、ならば作ってやるのもまた良き事ではないか、葵に欲しいものを与えれば良い」

「だからって、なんで嫁に出す必要があるんスか! 刑部さんが葵を貰ってやれば良いだけだろッ! 幸せ? アンタが葵を幸せにしてやれば良いだろうが!そうしてやれよ!」

「われには無理よ」

「……っ何でだよ!!」

「左近よ、葵の幸せを願うならば、どうか止めたりはするな」

「意味が、分かんねぇっ」



簡単な事よ、実に簡単な事よ。

われには出来ぬ事を、あの竜の右目は出来るというだけ、それだけだ。幸せを望むなら、どうか葵を嫁がせてやりたい。





「葵は慕っているアンタと一緒に居たいんだ、そんな事、刑部さんだってずっと前から分かってるだろ? だったら葵と一緒に生きてやってくれよ……」

「ヒヒッ、われと共に居て何になる、それで葵が幸せになれるというのか? 共に歩く足もないわれが葵を幸せに出来ると? ああ、痛烈過ぎて腰を抜かした、その口は実に愉快」

「何を……」

「われはぬしのように動き回れる体を妬ましく思う、自由の効かぬこの体を疎ましいと思う、不幸である自分を忌まわしく思う」

「!」

「どうしてわれなのか、共に歩む道すらもわれには与えられておらぬ」

「刑部さん、アンタ……」

「ヒヒッ……病魔に侵されたこの身では、女一人、まともに幸せにする事も出来ぬ」


真っ直ぐに向けられた視線に怖気付いた左近は、いつの間にか掴んでいた大谷の着物の襟から手を離した。





「何で、何でだよ……!」


どうしてこの人は、そうやってすぐに決めてしまうのだろうか。どうして全てを不幸だと決めつけて、その先を進まないのだろうか。






「(こんなにも近くにあるのに、この人にとっては遠いっていうのかよ!)」




そんなの、


何で、



だって葵の心は!




「……刑部さん」

「あれは実に不幸な娘よ、家を無くし、親を亡くし、売られ買われ、孤独に生きてきた。われの世話係を押し付けられ、われにこき使われ、あまつさえ命を落とした可哀想で不幸な娘」

「!」

「われと出会ったがために、葵には幾多の不幸が落ちてきた、一つ、二つと、不幸がいくつも降り落ちた。われと共に生きたとして、葵は幸せなれると思うか?」

「葵の幸せは、刑部さんが」

「否、葵の幸せはここにはない」

「……何で、そんなにあんたは」

「ふっ、ならば不幸で可哀想なあの娘に、われが幸せへの道を作り、与えてやればよい事、葵はわれのそばにいてはならぬのよ……左近よ、今まで葵が幸せになった事が一度でもあるか? 否、否、否……不幸を与えるわれが、幸を与えるはずもない」

「違う! 刑部さんは、刑部さんはいつだって最善の策を考えて来ただろ! なんで葵の事をちゃんと考えてやらないんスか! 葵の幸せ? そんなの刑部さんが決める事じゃねェ! 葵が決めるんだ!」

「これが最善の策よ」

「なんでそうやって出来ないって決めつけるんスか! なんで突き放しちゃうんだよ!」



左近がこうやって大声でわれに言うのは、きっと葵の為だろう。大事な友人の為か、それとも惚れた女の幸せの為か。

騒ぎを聞いて部屋に駆けつけたのは、三成と賢人だった。三成は左近がわれに掴みかかろうとしているこの現場を見て血が上ったのか、即座に刀を抜いて左近に振り下ろしていた。「刑部に何をした貴様!」そう言って、逃げる左近を追いかけていた。


三成よ、部屋で暴れるでない。

三成よ、物を壊すでない。






「ちょ、三成様!? やめて下さいよ! 俺は悪くないっス! 刑部さんが葵を嫁に出すって言うから! むしろ怒られるのは刑部さんの方っスよ!」


三成の刀から逃げ舞う左近は必死にそう言っていたが、三成がそれを素直に聞くはずもなく。



左近の言葉を聞いたのは別の人物だった。




「は? 葵が嫁に行く? ……どういう事だい、それは本当かな大谷君?」

「……。」


賢人の耳にはしっかりとそれは届いたようで、じとりと見つめる視線に、さて今日は政務どころではなくなったなと息を吐いた。




「説明してくれるかい?」

「……奥州の伊達より、葵を竜の右目・片倉小十郎の妻のしたいと申し出された」

「へぇ、葵に縁談が、しかも相手は奥州の軍師ときたか、それで大谷君? 葵は何と言っていたんだい?」

「葵にはまだ伝えておらぬ、今は床に伏せて休んでおるのでな、しかしこの竜からの縁談、われはお受けし」

「断るよ」

「……。」


賢人の方をゆらりと振り向けば、しっかりと目線がこちらに向けられていた。そして細められている目と組まれた腕で、彼が何を訴えているのか理解出来た。


彼は、縁談に反対のようだ。





「勿論、断ってくれると信じているよ大谷君、葵を奥州に渡すなんてとんでもない、葵はずっと大阪で生きて貰うつもりさ、竜の手に渡るくらいなら僕が葵を側室にする。大谷君が葵を手放す気なら、僕の家に入れるよ」

「何を……」

「本気だよ、何なら養子にしてもいい、彼女のような出来た人なら竹中家に入っても恥にはならない、そうすれば葵は何処にも行かななくて済むし、縁談の話もやって来ない、そうだろう?」

「そんな簡単な事ではあるまい」

「かもね、でも僕がそうしたいんだ」


笑みを浮かべている賢人が冗談を言っているようには見えなかった。この人は本気でそう考えいそうだ、尚且つ、賢人には発言を事実にしてしまう力もある。彼がそうしたいと思えば、そうなってしまうだろう。





「そうだなあ、残りの人生を、葵と過ごすのも悪くはない」

「……。」

「大丈夫、僕は大谷君の大事な人を取ったりはしない。君の事だ、彼女の事を思って縁談を受けたんだろう? ……全く、君は仕事のし過ぎで頭が正常に働いていないんじゃないかい? 本当に君がしたい事をすればいいじゃないか」



やれやれといった表情で賢人は部屋から出ようとしていた。どうやらわれの答え次第だと言いたいらしい。




「賢人よ」

「なんだい?」

「星は、降り落ちる」

「降るものは全てが不幸とは限らないだろう大谷君、僕にとって葵は幸だ。案外この世は、不幸な事ばかりじゃないよ」


それじゃあね、と言って部屋から出て行った。賢人は忙しい身である故、再び机に向かい仕事に取り掛かるのだろう。



部屋の中を見れば、いつの間にか居なくなった左近と三成、彼らが部屋の中で暴れ回ったせいでそこら中が散らかっているが、元よりこの部屋は物で溢れている。今さら散らかったところで、変わりはしない。


葵からまた諌められるだけよ。






「……呪い、よなァ」




思い浮かぶ一人の娘。


ああ、これは呪いだ。


こんなにも頭から離れぬとは。





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