113、その身に宿した小さな命












「身籠っているね」

「え……」



軍医様である藤吉さんの言葉が、何度も何度も私の中に響いた。藤吉さんは今何と? 身籠もる?誰が?私が?そんなはずはない、だって私のここに子供がいるなど。









「……。」


言葉が出なかった。






「随分と体調不良が長引いていたから、もしやと思ったが。おめでとう、と言うべきかな? 勿論だが、相手には伝えておきなさい。これからの事もあるだろうからね」

「これからの、事?」

「ややが居るんだ、当然これまでのような生活は送れないだろう」

「……。」

「しかし、あの小さかった葵がついに母になるとは、年月というものは経つのが早い、いやはや、私も歳をとった」

「……。」


藤吉さんが何を言っているのか聞き取れなかった。それほど、このお腹にややがいるという事実を、私は受け入れられないでいるようだ。ただの風邪の延長かとばかり思っていたが、まさかこんな事になっているとは。

色んな情報が頭に入ってきて、何も考えられなくなっていた。苦しい、呼吸が苦しい。呼吸とはどうやってするのか忘れそうになる。






「ああ、ちゃんと刑部殿にも伝えておきなさい」

「!」

「きっと刑部殿も喜んでくれるだろう、あの人は葵を可愛がっているからね」

「え、大谷様に、この事を?」

「ん?何を当たり前の事を、刑部殿は葵の上司であって、君が仕える主人だ。子を成したとなればしばらくは休養が必要になるだろう? 大丈夫、刑部殿なら分かってくれるさ、あの方は優しいから」

「……。」





大谷様に、言えるはずがない。


だってそうでしょう? だってお腹の子は間違いなく大谷様の子だ。私は大谷様の子を宿してしまった。こんな事、あってはならない。相手は豊臣の軍師であり、私などよりずっと身分の上の方だ。名字もない、家が落ち、身分などずっと下の、ただの下働きの女中の私が大谷様の子を産んでいいはずがない。


私と大谷様は、夫婦にはなれない。


大谷様はそれを拒むだろう、私という存在はただの女中、ただの部下、ただの世話係でしかないのだから。そんな私が大谷様の子を産めば恥さらしになってしまう、そんな事、したくない。







「藤吉さん、大谷様には……どうかこの事を秘密にして貰えませんか? 子が出来た事を、言わないで欲しいのです」

「しかし」

「まだ、受け入れきれなくて……」

「なら相手を教えてくれないか、その子の父親だ。葵が受け入れなくとも、相手には知って貰わねば、話せないというのなら代わりに私から話をしておこう」

「……。」

「葵?」

「すみません、言えません……」

「何を馬鹿な事を、腹にはややがいるんだ、君一人だけの問題ではない事くらい、賢い葵なら分かるだろう。父親の名前が言えないなど……」


藤吉さんは、そこまで言ってハッとしたように言葉が途切れた。そして目を見開いて、そっと閉じた。ふうっと息を吐く音が、静かなこの部屋によく響いた。










「相手は、刑部殿か?」

「……っ」

「君は昔から嘘が苦手だ、実に分かりやすくて助かるよ。しかし……そうか、相手は刑部殿か」

「藤吉さん、どうか、この事は」

「どうしてだ葵、どうして君はそんなにも刑部殿を怖がる、葵は刑部殿を慕っているだろう? 刑部殿ならきっと葵の子を受け入れてくれるはず」

「身分が、違い過ぎます」

「身分など」

「私と大谷様の間に、気持ちは繋がっておりません。愛情など、私の一方通行に過ぎません……けど、どうしてだか、こんなにも想っているのに、今は大谷様に会いたくありません」

「……。」



ずっと下を俯く葵に、藤吉は強く言えないでいた。葵は苦しんでいる、自分の立場が、相手と差があり過ぎると。腹のやや子の父親との間に、愛情は存在しないと。

その小さな体に、一人で苦しみを背負っているなど、こんなの悲しい事はない。






「藤吉さん、お願いがあります」

「何だ?」

「ホオズキの粉を、頂けませんか」

「君はっ……知っていてそれを欲しがるのか?」

「はい」

「そうか、葵は幼い頃に廓で働いていたんだったな。ならばそれが堕胎薬になると知って……しかし、私はそれを飲ませるわけにはいかない」

「……。」

「葵、君は刑部殿と間に出来た子を殺せるかい?」

「……っ」


葵は、声を殺して泣いていた。

殺せるはずがないのだ、愛しい人との間に出来た子を殺すなど、心が優しい葵には到底無理だ。






「刑部殿には黙っておこう、しかし堕胎は許さないよ。殺すのは簡単だが、私は医者だ、命を捨てるなどしたくはない」

「藤吉さん……ごめんなさい」

「命を宿した大事な体だ、どうか大切にして欲しい。出来る事は何でもしよう、今は……少し眠るといい、大丈夫だ、刑部殿には何も言わないでおこう」


今の葵は、まだ現実を受け止めきれないでいる。ちゃんとした判断もまだ無理だ、ならば今は休ませてあげるしかない、大丈夫、私は君の味方だ。葵にはどうか幸せになって欲しい。






眠った葵を確認し、部屋を出た。










「(しかし……)」


刑部殿には困ったものだ、まさか刑部殿が相手だったとは。葵を孕ませるなど一番しなさそうな人のはず、抱く女など葵でなくとも良いだろうに。よりにもよって葵とは。確かに葵の言うように、二人は身分の差が大きい。しかしそんなもの、気持ちが通じ合っていれば関係がない。









「ふむ……刑部殿が知ればどうなるか」


潔く、葵を娶ってくれるだろうか?それとも必要ないと手放してしまうだろうか?あの人はなかなかに性格をこじらせているから、どういう反応が来るのか想像がつかない。葵が不安になるのも分かるような気がする。







くるくる、くるくると

刑部殿の包帯の交換を行なっていた。葵の仕事だったこれも、今では私が行なっている。刑部殿の包帯を替える事が許されているのは私か葵くらいなものだろう。






「藤吉、葵はどうだ」

「ご心配なく、回復に向かっていますよ」



少しだけ、嘘をついた。





「そうか、ならば良い。葵には良い話がある、その為には早く良くなってもらわねば」

「良い話、とは?」

「葵を嫁に欲しいと、話がきた」

「!」

「相手はあの奥州・独眼竜の右目よ。あの堅物軍師が女を欲するとは、実に愉快な話よ」

「右目……片倉殿ですか」


包帯を巻き終わり、刑部殿の方を見た。包帯が巻き終わるとすぐに筆を持つこの方は、相変わらず仕事好きのようだ。




「まさかとは思いますが、刑部殿は葵を嫁に出すおつもりではないですよね?」

「あのような小娘でも、貰い手があるというのだ、ならば出してやらねば」

「何を今更……葵は刑部殿にこれまでずっと仕えて来たではないですか、何があってもあの子はいつも貴方の後ろに、それは葵が刑部殿を想っているからこそ、刑部殿も葵を気に入っていたではありませんか、どうして今になってそのような事を」

「われが葵を気に入っていると、ヒヒッ、そうよなぁ、確かにアレは良い。良い世話係よ」

「刑部殿……貴方という人は」


どうしてですか、何があっても葵の事を大事にしてきたではないですか。なのにどうして今になって葵を手放そうとするのですか、葵は何があっても貴方の側を離れたりはしません、その忠誠心は本物です。





「刑部殿もお気付きでしょう? 葵が刑部殿に対する想いは、ただの世話係のそれとは違う、特別なものだと」

「さあてな」

「……。」



刑部殿は、葵の事をどう思っているのですか? ただの世話係などと思っていないでしょう? 本当は貴方も葵の事を大事に思っているのでしょう?

それなのに、何故、今更になって葵を手放そうとしているのですか。





「刑部殿、葵にはその話をまだしていないのですよね」

「急ぐ話ではあるまい」

「そうですか、では私から言わせて頂きます。葵はその話をお受けしませんよ。絶対に」

「……。」

「葵は何があっても貴方からは離れません」



では失礼します、と言って刑部殿の執務室から出た。刑部殿の考えはよく分からない、嫁に出すなど葵が喜んで受け入れるとでも思ったのだろうか、葵が今どれだけ苦しんでいるのかも知らずに、

葵と約束した、刑部殿に腹のやや子の事は伝えないと。本当は問い詰めてやりたいところだが、葵の為だ。




葵が嫁に出て、

幸せになれると思いですか刑部殿?




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