春が近付き、季節の変わり目という今日この頃、心地良い日々を肌で感じながらも、一向にどこか怠い体に悩まされながら今日も自室で過ごしていました。
「少し熱があるね……他に症状はあるかい?」
自室で休んでいると、軍医である藤吉さんが「診察しよう」と、私の部屋に来て下さった。私を診察している藤吉さんの後ろには仕事道具を持った歩さんが座り、体調が優れない私を心配してくれた。
しかし、藤吉さんは軍医としてだけではなく裏の仕事も忙しいはずなのに、わざわざ私を診て下さるというのでとても申し訳ない気持ちになった。
「葵、やはり仕事はしばらく休みなさい。体調がまだ悪いだろう?」
「し、しかし私は大谷様の」
「仕事が出来る体ではないだろう? 刑部殿には私から伝えておく」
藤吉さんが私の額や、首元に触れて熱を確認してくれた、どうやら自分が思っているよりも随分と悪く、顔色も悪いと言われてしまった。
「そうですか……こうも風邪が長引くとは思いませんでした、早くお仕事に戻りたいのですが」
「最近は風邪が流行っているが、こうも長引くとは……葵の場合は風邪ではなく別の病かもしれないな、とにかく今は安静に」
「しかし、いつまでもお休みを頂いて」
「はあ……全く、君はそんなところまで主人に似たのかい? 刑部殿といい、葵といい、どうしてそんなに揃いも揃って仕事馬鹿なのか、仕事仕事と、自分の体を労わるという事を知らないのか、それとも軍医である私への挑戦なのかい? そんな事では体調も悪化する一方だ、現に今も刑部殿は一徹夜中だ、あの人は怒られないと分からないのか、何度言っても聞き入れない。葵から言われてようやく休むというのに、今度は葵が寝込んでしまっている、こうなってしまっては一体誰が刑部殿を諌めれば良いのか」
「え、えっと……」
藤吉さんはため息を吐きながら薬を調合して「全く、そんなところを似なくていい」と呟いていた。大谷様の徹夜癖は相変わらず治ってはいないらしい。
確かに大谷様は私が「休んで下さい」と頼みさえすれば、五回に一度は聞いてくれる。しかし藤吉さんではそうはいかないらしい。
藤吉さんの後ろにいる歩さんは大谷様の仕事病に薄々気付いていたようで、それに似ていると言われてしまった私に苦笑いをしていた。
「回復するまでは休みなさい。刑部殿もきっと分かって下さるだろう。あの人は何だかんだで葵に甘いからね。食欲がなくとも、水はなるべくは摂るように、食事も摂れる時に、あとは疲労回復に効く薬と解熱剤を飲みなさい、あとはやはり休息を多めに」
「ありがとうございます、藤吉さん」
「いいかい葵、体が良くなるまでは決して仕事をしようなどと思わないように、なるべく自室にて療養なさい」
「はい……」
薬を飲んで藤吉さんにお礼を言うと、二人は部屋から出て行った。相変わらずふらふらする視界をなんとか誤魔化しながら布団へと潜り込んだ。
「(早く体調を良くしないと……)」
こんな調子では大谷様に小言を言われてしまいそうで、自己管理が出来ていないとか、未熟な体だとか、想像しただけでもたくさん怒られてしまった。
今頃、大谷様は執務室でお仕事中のはず、藤吉さんの言う通り寝ずに机に向かっているのだろう。そういえば、そろそろお茶を持って行く時間のはず、ふと思い出すと最近は大谷様の執務室を全く片付けていない、相変わらずあの執務室は物で溢れかえっていそうだ。軍記やら地図やら帳面やらが部屋中に積み上がっている。
ちゃんと片付けてくれているか心配です。
「(ちゃんと寝ているのでしょうか)」
包帯の交換は、軍医様が替えて下さっているらしいので心配はないけれど、大谷様が執務室に篭りっぱなしになっていないか心配で。
けど、私がお世話係として側に居なくてもちゃんとされていたら、それはそれで寂しいものですけれど。
「(大谷様は、私がお世話係で側に居なくても困りはしないでしょうか)」
お世話係など誰でも良いと言われてしまったら、私は立ち直れそうにありません。私は他でもない、あの人に必要とされたいのです。
「(大谷様は今頃も、執務室かしら)」
「葵」
「……大谷様?」
聞き間違いなどするはずもない、大谷様の声がし、反射的にパッと布団から起き上がり顔を襖の方へ向けると、ゆっくりと襖が開き、そのまま私の側に座った大谷様。
いつもならば大谷様の前ではぴしっと真っ直ぐ姿勢を正すのだが、やはり体調が良くないのか、ふらつく視界ではそれは難しいようだった。大谷様の前だというのに、こんなにも弱っている姿を見られて、恥ずかしいです。
「……大谷様、どうかなさいましたか?」
「書庫へ向かう合間に寄っただけよ」
「そう、ですか」
「顔色が優れぬ」
「……え、あ、先ほど藤吉さんに診て頂いた所です、薬も飲みました」
「……さようか」
「も、申し訳御座いません」
「何故ぬしは謝る?」
「そ、それは、体調管理も出来ぬ女中など、大谷様のお世話をさせて頂いているのに、あまりにも不甲斐なく、申し訳なく思います」
そう言い、申し訳ないと思いつつ、大谷様のお顔を見る事が出来なくなった私はぐるぐる回る視線を下に向けた。やはり熱が出ているようで、視界が上手く定まらない。
「……。」
「(大谷様の無言がとても怖いです)」
さあ、何を言われるのでしょう、と身構えていると、ふと頭に温もりを感じた。
「!」
私の頭に、大谷様の手が、置かれている。ああ、これは夢でしょうか。相変わらず暖かい大谷様の大きな手のひらが、私の頭に触れております。
しばらくこうしていたいです。
「葵よ、われはぬしの不調を責めはせぬ、そう震えるな」
「し、しかし……」
「顔を上げよ」
「!」
大谷様に言われ、恐る恐る、顔を上げて大谷様と目が合った。大谷様の目は、怒ってる様子もなく、とても優しい目をしていた。ああそうだった、この方はこんなにも優しい目をして下さる方だった。
私は何に恐れていたのか。
「葵、決して無理はするでない、誰にでも不調な時はある、人間とはそういう生き物よ」
「……大谷様」
「ぬしの体調が優れぬと、われが許し得ぬとでも思うたのか?」
「私は」
「ならば葵よ、われの不調を見やれば、ぬしは快く思わぬと申すか」
「そんな事はっ! 大谷様の体調不良はとても不安で不安でっ、いつの時も心配でございます」
辛そうな大谷様を見るたびに、私は心がズキズキと痛み、とても心配になります、私が大谷様の体調不良を代わってあげられたらと、これまで何度も思いました。
「われとて、同じことよ」
「……!」
「われがぬしを心配するのはおかしな事か?」
「え、大谷様が、私の心配を、そ、それは、これほど嬉しい事はありません!」
「そう高ぶるな、今のぬしは病人よ」
「……す、すみません」
私とした事が、あまりの嬉しさに舞い上がりそうになってしまいました。顔がとても暑いです、きっとこれは熱のせいですね。
「ぬしに話しておかねばならぬ事があったが、それはまた後にしよう、自室でしっかりと休め」
「しかし」
「休むがよい」
「……はい」
強く言われてしまい、私は大谷様の言葉に従うしかなかった。ああ、早く体調を良くしなければ、大谷様のお世話の一つもまともに出来やしません。あまつさえ、我が主人に身の心配をされてしまうとは……。
「大谷様、私の体調が良くなったら再びお部屋を訪れてもよろしいでしょうか?」
「構わぬ」
「ありがとうございます、私に話というのが気になる所ではありますが、お言葉に甘え、休息を取る事にします」
「あいあい」
私の部屋から立ち去る大谷様に再び深く頭を下げて、再び体を横に倒した。今はとにかく早く体調を良くして、いつものように大谷様のお世話をしなければと思い、ふらふらする視界を歯を食いしばりながら耐えて、とにかく眠りにつこうと思った。