108、どうか幸せでいて下さい










とある屋敷の奥にある部屋。



城内の屋敷にある客間に比べるとこじんまりとしたその部屋は約6畳程しかなかった。


けど私物を多く持たない私にとってはちょうど良い広さの部屋だった。




庭も近いし、炊事場も近い。

女中が寝泊まりをしているこの屋敷は日もよく当たり、心地よい場所だ。








「(ふう、大谷様は今頃何をしているでしょうか)」



日頃の疲れが蓄積されたのか、酷い吐き気と怠さに見舞われ、目眩がし、とてもじゃないが仕事どころではなくなった私は仕事を休んでしまった。


睡眠時間が少なかったり、いくら疲れていても仕事を休む事は今まで一度もなかった。昔から一緒に屋敷で働いている年配の女中さんは「辛い時は遠慮なく休みなさい、アンタは働き過ぎだよ」と言ってくれた。


当初は廓育ちの私を蔑んでいた年配の女中さんだったが、今ではよく私を気にかけてくれている。もう随分と長く一緒に働いているせいか「廓育ちだから」と言っていた口癖もいつの間にか無くなっていた。







「(必死に、働いて良かった、のかな)」



そう思いたい。





私は此処に来て良かったのだと。



誰からも必要とされて来なかった私だ。これからは誰かの為に生きたいし、


私を必要として欲しい。

私を認めて欲しい。

私を見て欲しい。





……私は此処に居てもいいんだと。








「(認めて欲しい、必要として欲しい)」



誰に?


思い浮かぶのは、

やはりあの方だった。




「(大谷様は……私を、必要としてくれているんでしょうか)」


体調が悪い時というのはどうも悲観的になって仕方がありません。どうしても悪い方へと考えてしまう。私の悪い癖かもしれない。









「……。」


目が覚めてしまったので起き上がり、ふと貝殻で作られた軟膏の薬が目に入ったので手を伸ばした。

開くとほのかに良い香りがした。軟膏を指先に塗り込み、薄く伸ばした。この軟膏のおかげか、私のあかぎれていた指先は少し肌の色を綺麗に見せていた。





優しい香りに包まれながら指先に塗っていると、この部屋に向かってくる足音が聞こえた。

トットッと歩く足音は、忍びの者や手慣れの者ではないと感じ取った。しかし念の為に布団の下に隠している小太刀に手を伸ばそうかと思ったが女中の誰かが歩く足音だと分かると、小太刀に向かっていたその手を引っ込めた。



そしてその足音は私の部屋の前ぴたりと止まった。足音からして二人いるようだった。










「……姉さん? 起きていますか?」


小声で部屋の中へ問いかけているその声には聞き覚えがあった。



「小雪? 起きていますよ、入っても大丈夫です」

「し、失礼します」



ゆっくりと襖開いて部屋に入ってきたのは小雪と巫女様の二人だった。珍しい組み合わせに驚いたが、それを聞く程私は元気ではない。






「姉さん、お身体はどうですか?」

「葵ちゃん、お久しぶりです!」

「まだ少し気分が悪くて、巫女様お久しぶりでございます」


元気いっぱいの巫女様に小さく笑うと、「無理しないで横になっていて下さい!」と小雪に言われてしまった。









「そういえば小雪、大谷様のご様子はどうでしたか?」

「いつも通り無愛想な方でした! ぜんっぜん目を合わせてくれませんし、会話もなかなかしてくれません!」

「あら……」

「でもちゃんとお茶をお運びしましたし、薬も飲んで貰いました。あと包帯の交換は軍医様が来て下さいました。私が交換しましょうと言ったんですけど断られてしまいました!」

「軍医様が……そうですか。小雪、代わりにお仕事を引き受けてくれてありがとう」

「いえ! 姉さんの為ならばこの小雪は何でも致します! 小雪にお任せ下さい!」

「ありがとう、小雪」


小雪に微笑んで頭をゆっくり撫でると、小雪は嬉しそうににやけていた。





「あれ? 姉さんから何だか良い匂いがします」

「良い匂い?」

「姉さんの……手から、良い匂いが」


くんくん、と
小雪は私の手の匂いを嗅いでいた。




「あ、葵ちゃんから良い匂いしますね」

「匂い? もしかしてこの軟膏の匂いかしら?」


軟膏が入っている貝殻の器を開いて小雪に渡した。



「あ、これです! この匂いです! 凄く良い匂いですね、お花のような……なんというか清涼感があって好きです!」

「良い匂いですね! 葵ちゃん、これって軟膏なんですか? なんだかお薬って感じがしないですね」

「ええ、けど指先の痛みも無くなったのでとても嬉しいです。痛みのせいで炊事やお洗濯が大変でしたから」

「姉さん、軍医様にこの軟膏を貰ったんですか?」



貝殻に入った軟膏を私に返してくれた小雪が聞いてきた。






「いいえ、この軟膏は大谷様がくださったんですよ」

「……大谷様が?」

「ええ」

「え、ええっ! あ、あの大谷様がですか? あの何を考えているのか分からない大谷様がですか?」

「ええ」

「あの冷徹な大谷様が、姉さんに、軟膏を?」

「小雪はまた大谷様の事をそんな風に」

「……大谷様が姉さんに軟膏を? なんだか私は大谷様という方が分からなくなってきました」


あの大谷様が姉さんに軟膏を贈った……姉さんの傷ついた指先になんて興味のなさそうな人なのに。






「あのですね小雪ちゃん、大谷さんは本当に優しい人ですよ?」

「巫女様……」

「でも大谷さんに「優しい」だなんて言って人格を肯定するのは嫌がると思います、ね? 葵ちゃん」

「ええ、大谷様は少々難しい方ですからね」

「……うーん」


私にはよく分かりません。

けど、大谷様は姉さんに対してだけは他の人とは何か違う気がします。




「大谷様は姉さんを虐めてはいないのですか?」

「虐めなんてとんでもない、大谷様の言葉に毒があるのはいつもの事ですが虐めなど全くありませんよ」

「……うーん」


私は大谷様を知らな過ぎるのかもしれません。姉さんや巫女様が言っている事はどうも信じ難いですが








「あ、すみません姉さん……お休み中なのに長居をしてしまいました、そろそろ仕事に戻ります」

「ええ、大谷様の事をよろしくお願いしますね小雪」

「……はい」

「私もお手伝いします!」


はい!と巫女様が元気良く手を挙げた。




「駄目です! 巫女様はお客様です! お客様は大人しくしていて下さい!」

「小雪ちゃん! 私も何かしたいです!」

「ですが!」

「任せて下さい!」

「……うー、姉さん、私はどうしたら」

「巫女様と共に大谷様をお願いしますね」

「……はい」


姉さんに言われてしまったらもう諦めるしかない。立ち上がって姉さんに見送られながら部屋を出た。











「大谷様の所に戻るのが億劫です」

「あら、どうしてですか?」

「大谷様が怖いんです」


隣を歩く巫女様に正直にそう言うと、巫女様は「なるほど!」と言った。






「大谷さんを怖いと思うのは大谷さんを知らないからですよ、まずは大谷さんと仲良くなりましょう!」

「……。」

「そんな嫌な顔しちゃダメですよ! 小雪ちゃん!」

「だって大谷様と仲良くなるなんて」


そう言いつつも、絶対に嫌というわけではないので大谷様を知るにはどうするべきか考えているとあっという間に大谷様の執務室に着いてしまった。








「おや?」

「た、ただいま戻りました」

「ただいまです!」


執務室に戻ると、既に包帯の交換が終わったのか軍医様と大谷様が話していました。



執務室の定位置にしゃがんで座り、軍医様と会話をしている大谷様を見つめた。ちなみに巫女様は大谷様の隣に座っていた。






「……。(うーん)」


本当に大谷様はどういったお人なのでしょうか、怖い人なのかそれとも優しい人なのか。








「……。(じー)」

「……。」

「……。(じー)」

「われに何か用か小娘」

「うへぁ!?」



しまった、また変な声出ちゃった。






「え、いや、あの」

「小雪、そんなに刑部殿を見つめてどうしたんだい? 何か気になる事でもあるのか?」

「……いえ、特に。申し訳ございませんでした大谷様」



そう言って頭を下げて、ぱっと顔を上げると何故か大谷様は私の方を見ていた。



「(え……何で私の方を? もしかして機嫌を損ねちゃったから?え、どうしよう)」

「小娘」

「うへぃ!?」


ああもう!また変な声が出ました!

もう泣きたいです!






「葵の様子はどうであった」

「え、姉さんの様子、ですか?」

「ぬしは葵の見舞いに行ったのではないのか」

「い、行きました! 行ってきました!」


何を聞かれるのかと思えば姉さんの事。もしかして大谷様、姉さんの心配をしているのですか?




「あの、部屋に行ったら姉さんは起きてました……けど顔色が悪そうでした。食欲もあまり無いようです、今は眠っているかと」

「さようか」

「ふむ、葵の体調不良が続くようなら診察をしよう。あの子は無理をしがちだからね」

「……。」


軍医様がそう言って下さったので嬉しかったが、姉さんの体調が良くならない事に不安になった。


もし難病とかだったらどうしよう。








「藤吉、すまぬが葵を頼む」

「刑部殿の頼みとあらば、しかし私も葵が心配だ。すぐにでも葵の様子を見よう」

「あ、あの……」

「なんだい小雪?」

「あの、私の気のせいでなければ大谷様は姉さんの事をとてもご心配なさっているように見えます。たくさんいる女中の中でも世話係の姉さんを特に贔屓しているように見えました」

「……。」


大谷様は私の方を無言で見ていた。
けど私は発言を続けた。







「どうして、大谷様はそんなに姉さんの事を?」

「小娘、ぬしはわれが葵を虐めていると言ったり贔屓していると言ったり、浮いた疑問は好きでは無い」

「私は分からないです! だからこそ大谷様にお聞きしたのです」


真っ直ぐ大谷様の方を向いて言った。





「……小娘」

「姉さんを、姉さんをどうか不幸にしないで下さい、きっと姉さんは大谷様をとてもお慕いしています、私には姉さんの気持ちを理解する事は出来ませんけれど、でも姉さんは大谷様の事を……」


お願いします、と……額を畳に擦り付けながら大谷様にお願いをした。どうか姉さんを虐めないで欲しい。







姉さんは、優しいです。

けど姉さんはとても儚いです。





無理をしないで下さい姉さん、
どうかご自分を心配して下さい姉さん。





お願いですから。







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