106、まだ見ぬ未来に幸はあるのか










「よいしょっと、ふう……」


久々の晴天にやっと洗濯物を干し終えて、さぁ次は部屋の掃除でもしようかなと草履を脱いで屋敷へと戻った。





「葵」

「あら、片倉様」


廊下でばったりと片倉様と会った。いつも通りかっちりした装いに真面目な方なのだろうと見て取れる。




「珍しいですね、片倉様がこちらの屋敷にいらっしゃるのは」

「野暮用があってな、葵は、仕事中だったのか」

「はい、たった今ひと仕事を終えたところです」

「……本当に此処の女中なんだな。関ヶ原で俺と戦った時の面影が全くねえ、本当に同一人物なのか?」

「あら、片倉様は戦さ場での私の方が良かったですか?」


わざらしく落ち込んでみると、片倉様は「そういう意味じゃねえ」と慌てたように言ってくれた。片倉様は随分とお優しい方のようです。





「……関ヶ原で戦った時は、俺はお前を大谷の部下としてしか見ていなかった。そもそも、女だとは思わなかった。しかし、今の葵はその、女性らしいというか」

「私は女性ですよ?」

「悪い、上手く言葉に出来ねえ」

「片倉様はこうやって話してみると、とても男らしくてお強そうな方ですね」

「な……」

「それではお近くの女性も放ってはおかないでしょう、片倉様はとても魅力がありますもの」

「そんな風に言うな、俺は常に政宗様の事を考えてだな」

「あら、それではやはり片倉様は女泣かせですね」

「な……俺は女を泣かせた事は一度もねえ!」

「ふふ」


くすくす笑っていると、片倉様はむすっとした顔をしていた。あら、片倉様は少々機嫌を悪くされたのかもしれません。






「申し訳ございません、少し意地悪が過ぎましたね」

「ふん、この俺に意地悪をするたあ、良い度胸だな」

「い、痛いです、片倉様」


むすっとした片倉様は拳で私の頭をぐりぐりしてきた。少し痛いが片倉様はきっと手加減をしてくれているのだと分かった。やはりお優しい方ですね。




「ん? おい葵、その指どうした?」

「え?」


片倉様に手を取られ、何かと思えば片倉様が私のあかぎれた痛々しい指先を見ていた。




「……これは、痛そうだな」

「大した事はありませんよ、寒い日だと水仕事でいつも指を痛めてしまうのです。しばらくすれば治ります、気味の悪いものを見せてしまい申し訳ないです」

「気味が悪い? そんな事はねえよ、これは働く女の指だ。嫌いじゃねえ」


片倉様は私の指をなぞり、そう言った。







「私、仕事が好きです。だからこの指も私が仕事を頑張っている証拠なんです。そりゃあ痛いですけど、いいんです」

「だが……」

「最近では良いお薬を頂いたので、これでも前よりはずっと綺麗な指になったのですよ」

「……もしかしてずっと、水仕事をしてきたのか?」

「それが私のお仕事ですから」

「仕事ねえ、葵はいつから大阪城にいるんだ?」

「えっと、そうですねぇ、十二の頃かと」

「十二? そんな若い時からお前は、此処には大谷や石田と難しい奴が多いから苦労しただろう」

「ええ、色々がありました。ですがお二人共お優しい方ですよ? 今では大谷様のお世話係になれて良かったと思っております」


相変わらず私の大谷様へのお気持ちは届くことはありませんが。







「苦労とかそういうの、もう慣れてしまいました、何が苦労で、何が幸せなのか、考える事も今では」

「……なぁ、葵」

「はい?」

「俺は政宗様と共に一度奥州へ戻る」

「奥州へ?」

「ああ、仕事も残して来たからな。それでなんだが、もしお前さえ良ければ、俺と一緒に奥州へ……」

「葵」

「大谷様!」


どこからか声をかけられ、視線を動かすと廊下の先には大谷様の姿があった。

片倉様が私に何か言っていたが、私は申し訳ないと思いつつもすぐに大谷様の側に駆け寄った。





「此処におったのか」

「ええ、お洗濯物を干しておりました」

「さようか、ならば部屋へ茶を持て」

「はいすぐに」


大谷様がお茶をご要望との事なので、すぐに炊事場へと向かった。











「……大谷、てめぇ」

「おや、竜の右目か、われに何用ぞ」

「何用? しらばっくれんな、お前はずっと俺と葵の会話を盗み聞いてただろ。頃合いをみてわざと俺達の前に出て来たくせに」

「はて、なんのことか。われは知らぬぞ」

「チッ、てめェはそんなにあの世話係の女が……葵が大事か? 俺の目にはお前の独占欲が溢れ見えてるぜ?」

「ヒヒッ、われの独占欲と? 戯言事をぬかすな竜の右目よ、あの娘はただの女中にすぎぬ、欲などありもせん」

「なら此処にいる義理はねぇよな」

「……ほう?」

「此処で俺は葵を見ていた。そして気付いた、葵は此処にいちゃあ幸せにはなれねぇってな」

「あの娘の幸せをぬしが見極めたと?」

「ああ、俺なりにな」

「 ならばぬしには分かり得ると言うのか? あの娘の幸せの在り方を」

「まあな」

「ならば聞かせ」

「俺が葵を奥州へ連れて帰る」

「……。」

「お前にとって葵はただの女中の一人だろうが、俺にとっては違う」

「ヒヒッ、もしやあの娘に心惹かれたか竜の右目よ。堅物の軍師もわれの前にいるのはただの男、か。愉快、愉快」

「なんとでも言え、だが、此処にいる限りアイツはお前の為ならと、またいつ命を投げ出すか。俺はそうはさせたくねえ、それに葵は幸せになるべきだ。背負っているもんが大きすぎる、俺は葵に自由に生きて貰いてェんだ」

「ぬしならば、あの娘を幸せに出来ると?」

「ああ」

「ヒヒッ、そんなにあの娘が欲しいか竜の右目よ。あの娘でなくとも、ぬしならば女に困る事も無いであろう」

「……葵を手離す気はあるのか無えのかどっちなんだよ大谷」

「はてどうだかなァ」

「相変わらず読めねえ男だ」



大谷はきっと葵の事をただの女中でしか見てねェ、葵の幸せなど考えた事もないだろう。大谷はそういう奴だ、そんな奴の世話係をしている葵はきっと苦労をしているだろう。

アイツは優し過ぎるからな、大谷に尽くしてばかりで、自分の幸せなど考えないだろう。こうなりゃあ、大谷に許しを得るよりも先に、葵を直接口説いてしまった方が早いのかもしれねえな。

大阪は確かに良いところだが、葵の幸せを考えればきっと此処よりも良いところはいくらでもあるだろう。それに可能ならば、俺がアイツを幸せにしてやりたい。



葵は不幸になるべきではない。


大谷は葵を不幸にする。


大谷の世話係ならば、葵で無くてもいいだろう。大谷の側にいるのは葵で無くてもいいはずだ。そもそも葵も葵だ、大谷の為なんかに自分を犠牲にする必要はねえ。







「おい大谷、アイツの幸せは、此処にあるのか」

「……。」




無言の大谷に、俺は確信した。


此処に葵の幸せは無い。

この大阪の地で葵を幸せにする者はどこにも居ない。あの傷付いた小さな手を取ろうとする者は居ない。


手を伸ばす者は居ない。






アイツの幸せは何処にあるのか。





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