「刑部、話がある」
執務室を訪ねて来たのは三成だった。振り返ると三成は入って来て早々に畳の上に座り、懐から何かを取り出した。
「刑部、これを今すぐに見ろ」
「文か」
「ああ、先ほど私宛に届いた。差し出し人は奥州の伊達政宗だ」
「……伊達? ヒヒッ、今頃になって我らと同盟で組もうと言うのか竜め、それともついに牙を剥いたか」
三成から文を受け取り、折り込んである紙を開くと伊達政宗の印があった。確かに伊達政宗からの文らしい。そのまま読み進めると、文の内容は我ら豊臣と同盟を組みたいというものであった。
「また面妖なものよなァ」
「刑部、これをどう考える。何故今頃になって奴らは我らと同盟を結びたがる? 真意が分からん、我らは先手を打ち伊達を迎え撃つか?」
「落ち着け三成、これは何かの策かもしれん、向こうには軍師の才を持つ竜の右目がおる」
文を読んでみると、今月末にこの大阪へ行くとだけ書かれていた。「存分に持て成せ」と書くあたりが伊達政宗らしいというか、実に面倒な男よな。
「うむ、奴らは此方に出向くというのか」
「刑部、伊達は何を考えている? 同盟と書いてはあるが、それは建前でこの大阪に戦を仕掛けて来るという事か? この地を、この城を血で汚すというのか? 許せん、ならばこちらも黙ってはおれん、すぐに軍をまとめ出陣させよう、ゆくぞ刑部! 向かうは伊達の国、奥州!」
「まぁ待て三成」
ここは伊達の望む通りに、存分に持て成してやればよかろ。文に書いてある通り、我らと同盟を組みたいという話ならば聞いてやらん事もない。
「しかし、これが奴の策だとすれば」
「ぬしがあの伊達に力で負けるとは思ってはおらぬ、それにぬしの隣にはわれと左近がおる、我らの下には優秀な軍や兵士、闇に潜む忍び隊も常時備えておる。何を心配するというのか」
「……。」
勢いよく立ち上がった三成はすとんっと、その場に座った。そして「うむ」と、小さく頷いた。
「奥州の伊達が大阪に来る」という話はすぐに城内に広まった。そして女中達は持て成しの準備に追われていた。これから使われるであろう客間の掃除や、大広間の準備、食材の手配など、いつも以上に大忙しだった。
「おうしゅう? それって何処ですか? というか伊達さんって誰ですか? なんでみんなバタバタしてるんですか?」
「奥州よ、一国の殿様である伊達政宗様がもうすぐ大阪にいらっしゃるんですって、さぁ小雪、いつもよりもお掃除を頑張りましょう」
「だて、まさむね? 姉さんは会った事ありますか?」
「いいえ。会った事はないですよ、けど伊達様の側近の方にならお会いした事があるわ」
竜の右目、片倉小十郎。
あの方はとても強くて、あの一振りの雷撃はとても勢いがあって、鬼の力が無ければ私は押し負けていたでしょう。流石は竜の右目です。そういえば半兵衛様が是非豊臣の軍師にしたいと呟いていた気がします。
「その、おえらーい方々が来るからこんなにも忙しいんですね、それにしても大阪城ってお客様が多いですね。さっきも甲斐のわかとら? と呼ばれている真田様が来ていましたし」
「あら真田様が?」
ならばきっと佐助さんも一緒に来ているはず、大谷様にまた兵法を習っているのでしょうか? それともお市様を気にかけて?あとで巫女様をお誘いして一緒にお団子でも買いに行きましょう。
「姉さんは、ずっとこのお城で働いているんですよね? あの包帯ぐるぐるの軍師様に仕えているんですか?」
「大谷刑部様ですよ、小雪」
「大谷様に仕えているんですよね? あの人なんだか怖くないですか?」
「小雪にはそう見えますか?」
「はい、だって大谷様っていつもムスッとしてるし、この間なんて姉さんに煙を吹きかけていましたし、ばったり廊下で会った時も無言で見下ろされました! あとあと、私が姉さんに頼まれてお茶を運んだ時なんか私を見たかと思えば無視ですよ無視! 姉さんはよくあんな人のお世話をずっとしていますね!」
小雪は持っていた箒を勢い良く動かしながら言った。口も動いて、手も動いて、小雪は器用な子だなぁと葵は高評価していた。
「姉さんはどうしてあんな人のお世話をしているんですか?」
「小雪、大谷様は豊臣にとって大事なお方、「あんな人」だなんて言ってはいけませんよ」
「けど、大谷様は無愛想ですし」
「大谷様は昔からああいう人ですよ、それにあまり怒る方ではありません」
「けど、姉さんはあの人のお世話を嫌だと思っていないんですか? 噂では大谷様の病気がうつるとか言われていますし」
「私はずっと大谷様のお世話を任されていますが病気になった事がありません、ほら今も健康ですよ?」
「けど」
「ねぇ、小雪」
「……は、はい!」
「小雪は、大谷様の事お嫌い?」
「え、えっと、私は」
「うん」
「き、嫌い、ではないです。けど、苦手です。あの方はよく分かりません。一体何を考えているのか全く謎です!三成様のように物事をはっきりと言う人の方が私は」
「三成様?」
どうして三成様の話に?
もしや、小雪は……三成様を?
「小雪は三成様が好きなのね」
「え!?」
「違うの? 私はてっきり」
「いえ、私は、その、三成様は」
「小雪から見た三成様はどういうお人?」
「……とても綺麗、です。あの人の目は最初は怖かったです。けど曇りのない真っ直ぐな目はとても素敵でした」
「あら、じゃあ小雪は」
「す、す、好きとか、そういうんじゃないです! 私はその、三成様の事を」
顔を真っ赤にした小雪を見て、分かりやすいな……と微笑んだ。
「じゃあ三成様の為にお掃除を頑張りましょう」
「はい!」
「今度、大谷様のお部屋に三成様がいらした時は小雪がお茶を運んでみる?」
「え!? いやでも、こぼしそうですし」
「こぼした所で斬られたりはしないわ」
「え?(斬られる事もあるんですか)」
三成様の事を知りたいけど……
こんなに照れていては、まともに三成様のお顔を見る事も出来ない。顔が熱くなって、それで呼吸も苦しくなって、きっと頬も染まってしまっているに違いありません!ああ、私はどうしちゃったんでしょう。
「そういう姉さんは、好きな方とかいるんですか?」
「え?」
「姉さんはこのお城に居たんですよね? じゃあ恋人がいたりとか、好きな人が居たりとか!」
「えっと……」
この年頃の子はこういう話が好きなのかしら?困った、私はこういう話をあまりした事がない。
「姉さんはとてもお綺麗ですから、たくさんの殿方からお声がかかる事が多かったんじゃないですか?」
「いえいえ、私なんかに声なんて」
「そういえば姉さんは、よく左近さんとかいう方と一緒に居ますよね? あの方が恋人ですか?」
「左近さんはお友達ですよ」
「じゃあえっと、あの美人な軍師さんですか?」
「軍師? もしや竹中半兵衛様ですか?あの方は色々とお世話になった方で、半兵衛様はとてもお偉い方ですよ、名前を覚えましょうね」
「覚えました! じゃあ……」
「私に恋人は居ませんよ」
「そうなんですか? 姉さんなら「是非、嫁に!」とか言われてそうですけど」
「(そういえば左近さんに昔そんなことを言われたような)」
嫁に、ですか。
やはり女に生まれたからには嫁に行きたいと思うのが普通なんでしょうか?
けれど、
「今は大谷様のお世話が出来ればそれでいいです」
「姉さんは真面目過ぎです!」
「そうかもしれませんね」
いいじゃないですか、真面目でも。
大谷様への気持ちはひとまずは胸の中へ片付けておきましょう。
きっと、口に出してはいけないのです。また大谷様を困らせてしまうでしょう。
私にも、こんなにも誰かを想う事が出来るのだと知れただけでもとても嬉しいです。