実に困ったものよ。
城の執務室で溜まりに溜まった政務を片付けていれば、まだ休んでいろと三成に怒鳴られて屋敷へと連れ戻され、
気晴らしに兵書でも読もうかと城の書庫へ行けば着物の襟元を左近に掴まれ、全く気晴らしにならず、
包帯を求めて軍医の元へ行けば、なんともまぁ、いきなりわれに謝り倒してきおった。
あの娘が死んだのは自分のせいだと奴は言ってきた。……何がどうなってそういう事になっているのかわれには到底分からぬ。
どこへ行っても落ち着かず、ここまま城内にいて三成に見つかりまた喧しく「休め」と言われるのも敵わん……と、大人しく屋敷に戻り、机に向かって政務を片付けるため筆を進めていた。
「……。」
筆を動かしていると、机がカタカタと揺れ始め、こうも机が揺れては上手く字が書けぬ……と、ため息を吐き
筆をひとまず置くと
「大谷刑部殿はいずこにいいいいいいいいッッ!!!!!?」「……。」
激しい足音と共に、屋敷中に響くように聞こえた大きな声にまたもやため息が出た。
われがひと息つけるのは一体いつになるのやら……騒がしいのは好かん。
「真田様!?そちらの離れの部屋に行ってはなりませぬ!」
「あいすまぬ!」
「旦那!人の屋敷ん中を走り回ったら迷惑でしょーがッ!!」
「すまぬ!!」
「あーもう!大谷さんの部屋はあっち!そっちは違うって!」
「ぬう!こっちでござったか!」
ドタバタと騒がしく屋敷中に聞こえてくる耳障りな音と声に苛立ち、
「……。」
手を動かして、畳の上に転がっていた数珠を浮かび上がらせた。そして聞こえてくる音は少しずつこの部屋へと近付いているようだった。
「大谷刑部殿!失礼致すッ!」
……ゴスッ!!!「ぐばぁッ!!!?」
大谷の部屋に勢い良く入ってきた真田幸村の頭の上には数珠が2、3個落ちてきた。
「旦那!?」
「静かにせぬか、若虎よ」
「……うぐッ、すまぬでござる」
「あーもう、ほら起き上がって!やっぱり大谷さんに怒られたじゃん、屋敷ん中は走り回ったら駄目だって」
「……すまぬ」
「ぬしら、われに何用か」
ふう……と、座りながら煙管を吸い、騒がしく部屋の中に入って座った客人二人に問いただした。
座ったかと思えば、真田のところの猿が部屋の中をキョロキョロと見渡していた。人の部屋をジロジロと見るでない。
「何をしに来やった」
「石田殿より、大谷殿が戦にて負傷したと聞いたので見舞いに寄ったでござる、佐助」
「これお見舞いの団子と、甲斐の有名な薬処で作った薬と、あとお酒」
「佐助?見舞いの品は団子だけでは無かったのか」
「いやいや、流石に見舞いに団子だけって失礼でしょう、相手は刑部さんだし、ほら一応……一国の主への見舞いはちゃんとしておかないと」
「……ぬ、それは失礼致した」
「構わぬ、」
見舞いの品と酒を受け取り、さて……と、ぬしらは何故われの所に来たのか。
「大谷殿、お体はどうでございまするか?怪我の具合は……某はてっきり横になっているものとばかり」
「われも忙しい身でな、おちおち寝てもいられぬのよ」
「しかしそれでは体が良くはなりませぬ!休めるうちにご療養された方が」
「否、元より体は良くはない、気に召されるな真田殿」
「……ぬう、」
「(あ、旦那が押し負けてる)」
あの大谷さんに口勝負で勝てるはずないよなぁ、口巧者な人に勝てる程、真田の旦那は話が上手な人間ではない。ていうかこの人に口で勝てる人とかいんの?石田三成とか?あと葵とか?大谷さんの世話係なんだから上手い事言って大谷さんに怒ったりしてたら面白いなぁ。
ていうかさ
「大谷さん、葵は?」
「……娘か」
「いつも部屋の隅にちょこんと座ってるのに今日はまたどうしたの?城内でもあいつの姿を見かけなかったしさ」
「確かにどこにも葵殿の姿がないでござる、某、久しぶりに葵殿とお話ししたいでござる」
「娘は、故郷に帰ったのよ」
「故郷でござるか?ならば仕方ないでござるな」
「……。」
故郷?
葵が故郷に帰った?
戦が終わったばかりで大谷さんが政務で忙しいって時に、葵は故郷になんかにフツー帰るか?あの真面目な葵が帰ったっていうの?
あんなに大谷さんに忠誠誓ってたのに。
「……佐助?どうしたでござるか?」
「大谷さん、本当に葵は故郷に帰ったの?」
「さよう、越前のとある寺に帰ったと聞いたが」
「……寺?」
なんで寺?
葵って寺生まれ?
……そんな話、聞いた事ないけど
「なーんか胡散臭いな、でも確かに葵の婆娑羅を感じないから近くに居ないのは本当だろうけど……なんか隠してない?大谷さん」
「何を隠すというのか」
「本当の事、言っておいた方が身の為だと思うよ俺様は、ただでさえ大谷さんって胡散臭い人だし」
「佐助ッ、何を言うのだ!」
「まァよい、否定はせぬ」
全く、勘の鋭い忍びよのう。
「で?何を隠してんの?葵の事?その隠し事に大谷さんの仕事が忙しいって事は関係ある?」
「せっかくわれが気を利かせたというのに猿め」
われが滅多に見せぬ優しさを見せたというのに、ぬしらはあの娘と仲が良かったであろう?現に今も娘の事を気にかけておる。はて、ぬしらの中にいるあの娘の存在はそれほどまでに大きかったのか。
「気を利かせた?何の事?」
「大谷殿?」
「真田、武田の忍び、われは実に優しい男よ」
真実を告げぬというのもまた優しさであろう?知らぬというのはとても幸せな事であろうか?いや違う…知らぬというのはとても罪深き事、われはぬしらに罪という不幸を与えようとしたまでよ。
「あの娘は死んだ、われの代わりにとっくに死んでおるのよ」
あの娘は居ない。
どこを探してもいない。
われを助け、力尽きて死んだのよ。
「大谷殿……某は、そういった冗談は好きではないでござる」
「戯れ言と申すか」
「葵殿が死んだなどと、思いたくないでござる、今すぐにでも葵殿が出てきそうでござろう?某は、某は信じぬでござる」
「……。」
「……葵が大谷さんの代わりに死んだって所が気になるけど、それは後で詳しく教えて貰うとして……なんつーか、アンタって意外と他人を思いやったりするんだな」
俺様達には、葵の死を言わないつもりでいたんだろうな。俺様もだけど、真田の旦那が悲しむから。そういう大谷さんはちっとも悲しそうに見えないけど、そういう所もこの人らしいというか。
「葵殿が死んだなどと、大谷殿も冗談を言ったりするのだな」
「……。」
真田幸村が大谷の方を見ると、彼は黙って煙を吐くばかりで問いに何も応えようとはしなかった。
「葵殿はいつこちらに戻って来られるのか……某は心配でござる」
「……。」
「葵殿は団子が好きであったな!今度一緒に茶屋にでも参ろう!」
「……。」
「佐助、ならば今度は葵殿と一緒に京へ参ろう!」
「……旦那」
「……。」
「……葵殿が死ぬわけ、ないでござろう?葵殿はいつ某と会ってくれるのだ」
「……。」
「大谷殿……本当に、葵殿は」
「……。」
「……誠で、ござるのか、誠に葵殿は死んでしまわれたのか?」
「あの娘は死んだ、骨は越前の寺に行くとわれは聞いておる、会いたいならば勝手に会いに行けばよかろ」
われはあいにく、この体でなァ。
会いに行こうにも行けぬのよ。
……いや何、ただの言い訳よ。
今はあの娘の死に向き合ってはいるものの、墓を目の前にしてしまえば願ってしまうではないか、己を責めてしまうではないか、われがわれでなくなる。
それをわれは怖がっている。
それをわれは恐れている。
あの娘はわれの中で大きくなっていく、誠に面倒な娘よなァ。誠に厄介な娘よなァ。早くわれの中から出てゆけ。そこに居ては仕事にならん。
「……くッ」
「旦那、」
泣き出した真田に、
佐助が背中をさすっていた。
「大谷殿、葵殿の最期は……幸せだったであろうか」
「あの娘は最後まで不幸であった、実になァ」
「それは、悲し過ぎるでござる」
「娘の為に泣くか」
「……大谷殿は、泣かないでござるか」
「涙など、とうに枯れ果てた。ぬしのように悲しめたらどれほどいいか……否、戯言よ」
「悲しいなら、泣けばいいでござる、大谷殿は我慢をしているのでござろう?」
「……。」
我慢……と。
我慢しておったのか。
望んでも良いというのか。
もう一度、あの娘の小さな体を抱き締めてやりたいと思っても良いというのか。あの頬に触れたいと思っても。
娘、はようわれの元に来い。
娘、はよう包帯を巻かぬか。
娘、茶を早く持って来い。
娘、口寂しい。ぬしを寄越せ。
「会いたいと願ったところで」
あの娘はもう居ない。