船番中。いつもの騒がしい船内は見る影もなく静かだ。
キッチンの中は、鍋のグツグツという音とおれが動く音だけが響く。
あと、誰にも聴こえてはいねぇだろうがいつもより若干でけぇおれの心臓の音が耳の中で響いていて。
キッチンにはおれとゆずちゃんの二人きり。
いつもなら、ここぞとばかりに甘い台詞を連発する所だが、生憎それはできねぇでいる。
その理由は。
ゆずちゃんはもう小一時間程、パラパラと降っている雨を窓からぼうっと見ているから。
話し掛ければ答えてくれはするが、どうしても心ここに有らずで生返事になっていて。
あまり多くを話し掛けることは躊躇された。
「…今日、雨降ってるからかな、いつもより寒いね。」
目線は未だに窓の外。
鍋の湯気と、おれとゆずちゃんふたり分のタバコの煙が揺らめき立つ。いつもは外で吸うゆずちゃんも今日ばかりは室内で。
そんな中、ふと口に漏らされたことば。
それはこのキッチンに来てから初めてのゆずちゃんから投げ掛けられた会話だった。
「え?ああ、そうだなぁ、………あ、何か温けぇモン淹れようか?」
そう提案すれば、「じゃあ紅茶もらってもいいかな?」と控え目に笑ってくれて。その笑顔がなぜだか霞んで見えてドキリと胸が鳴った。
「了解、ならおやつも一緒に食うかい?りんごのクッキー。」
「わー美味しそう、仕込みのじゃまにならないなら欲しいな、」
「クク、大丈夫だよ、すぐ焼くから待ってて、」
生地はもう冷蔵庫に寝かせてあったから、仕上げに小さく角切りにした果肉を乗せて焼くだけだ。レディたちに見た目も楽しんでもらいてぇから、形もりんごに成形したクッキー。温めたオーブンに入れて、その間にお茶の準備をする。紅茶の葉っぱをひとさじ、ポットに淹れて。お湯を注いで蒸らすのは3分と半分。
甘い匂いが部屋を支配した。彼女のお気に入りの白のティーカップに紅茶を注ぎ入れ、少しの砂糖とミルクは無しで完成だ。
この一連の流れがおれの心をクソ安心させる。
ふう、と息を吐き出して。短くなったタバコを押し消して、ゆずちゃんの前に並べれば先ほどとは違う白が揺らめいた。
「ありがとう、」
その中でゆるりと笑顔を見せてくれた彼女の顔は、今度は確りとそこに居る。
チン、と焼き上がりの音が鳴ったクッキーを皿に乗せる。焼きたて特有のふんわりとした食感がゆずちゃんはお気に入りらしい。
目を一瞬輝かせてすぐ手を伸ばしたことに喜びを感じる。
「はい、プリンセス。どうぞ召し上がれ、」
「えへ、わーい、いただきます!」
ぼうっとしていた雰囲気はどこへいったのか。子どものように可愛い反応に思わず頬が緩む。
「………フ、」
「あ、なあにその笑い、」
「いや悪ぃ、ゆずちゅわんクソ可愛いなーと思って。」
「ふふ、ガキみたいだとか思ったんでしょ、お菓子でテンション上がるなんて。」
そう言って、おれを見て笑う。
あ、そういやァあれだな。
今日、初めて目ぇ合ったかもしれねぇな。
「クク、思ってねーよ、」
「えーふふふ、うそだ、」
空気に乗せるように、ゆるゆると笑う。
その笑みを改めて、好きだと実感して。
「いや、さっきまでアンニュイだったからさ、ギャップが可愛いなぁと思ってたんだよ、」
「えー、アンニュイ?」
「ああ、雨を見つめる気だるげな女性って感じでクソセクシーだったよぉぉぉー!」
いつもの流れでクネクネして言ってみたのだが、ゆずちゃんは顔を強張らせてしまって。再びぼんやりとした感じに窓に目線を向けた。
うお、おれ、何かまずいこと言ってしまったのだろうか。
「…………雨降ってたらさ、テンション下がるよねー、」
でもその雰囲気を拭うようにハッとして、無理矢理に笑顔を作っておれに向けた。
本当は。
本当は何か思うことがあるんだろうが、聞いちゃいけねぇんだと察する。
「まあ確かになぁ、」
「って、またこんな子どもみたいなこと言って。あはは、」
空気を変えるようにタバコに火を点けた。ゆずちゃんはお茶の続きをして。
おれはいい感じに煮えた鍋に意識を向けた。仕上げにローリエを入れて蒸らせば夕飯時にはいい具合に味がついているだろう。
「ねえサンジ、」
今日二回目の、ゆずちゃんから投げ掛けられた会話。
「ん?何だい、」
「雨だけどさ、仕込み終わったら買い物行こうよ、」
また、アンニュイな笑顔でおれを誘った。
やっぱり霞んで見えてドキリと胸が痛く鳴った。
金平糖の恋模様。
外に出てみれば雨だと思っていた空は、霰が降っていて。
それなのに空はオレンジ色。
空からオレンジ色を映した霰が傘を鳴らした。
(わー、金平糖みたいで美味しそう!)
(そうだな、……フ、テンション上がった?)
(あ、もーまたガキみたいって思ったでしょ、)
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