厚い暗灰色の雲に遮られ、日輪は久しくその姿を見せていない。霖雨である。幾日も前から霧しとしとと降り続いている。田畑の作物の出来を憂う農民達のみならず、暗く沈んだ空の色に誰もが気の滅入る思いであった。が、密かにこの長雨に謝意を示す者もあった。甲斐の武将、真田幸村である。

 幸村が奥州筆頭である伊達政宗と共闘し第六天魔王・織田信長を安土城で討ち果たしたのは、一月程前のことだ。
 先達て長篠で受けた銃創が魔王との死闘により再び開いた政宗は、遠く離れた奥州へ戻る前に甲斐で暫しの療養を取ることとなったのである。政宗本人は長旅に支障が出る程の傷ではないと嘯いたが、副将である片倉小十郎はどうか御身を労わるようにと半ば懇願する形で説き伏せ、政宗は渋々それを了承した。そして甲斐へ到着し間を置かず寝込んでしまったことから、小十郎の判断は賢明だったといえよう。
 しかし日頃から鍛えられているだけあってその後の回復は早かった。やがて傷も快癒し、奥州へ発とうとした矢先にこの雨である。雨の中の行軍は体力の消耗が著しいことから雨が止むまで出立を見合わせた伊達軍は、未だ甲斐で足止めをくっている。



 話は少し前に遡る。
 幸村は、以前からこの伊達政宗という人物に心を引かれていた。
 政宗と初めて出会ったのは、妻女山で伊達軍と行き合わせた時のことである。そこで夜半から明け方までの長い一騎打ちを繰り広げ、腕に覚えのある己の二槍に一歩も引けを取らぬその強さに幸村の魂は揺さ振られ、胸の滾りは止まる所を知らず、東雲の空を背に去って行く後姿から目が離せなかった。この時、伊達政宗の名は幸村の心に強く刻まれたのだった。
 斯くして幸村は常に意識の片隅に政宗の存在を置くこととなったのである。
 その政宗が再び甲斐に滞在している。ずっと政宗の傍に付き従っていた小十郎は、自国の手薄を憂いた政宗の命により政宗の容態が落ち着くとともに一足先に奥州へ戻り、幸村は政宗が寝泊している部屋へ頻りに顔を出した。傷が完全に塞がるまで大人しくしていることを余儀なくされ、退屈で死にそうだと言った政宗の為に、空いた時間を見つけては政宗のもとを訪れ、少しでも無聊を託つ政宗の慰めとなるよう努めた。
 そんな中で幸村は、話をすればその見識の深さに感服し、碁を打ち将棋を指せばその先を見通す眼力に舌を巻き、ますます政宗に興味を引かれていった。周囲に歳の近い者のいなかったこともあり、政宗と過ごす時間は殊更楽しく、当初は政宗の為だった筈がすぐに幸村自身が望んで通い詰めるようになった。
 そうして幾日か過ぎた。


「……と、投了でござる」
 拳を握り締め悔しげな声を絞り出した幸村を、政宗は意地の悪い笑みを浮かべて見つめつつ桂馬から手を放した。政宗の王手で詰んだのだ。
 幸村は数刻前から政宗と将棋に興じていたのだった。
 一時は幸村が政宗に王手飛車取りをかけ、幸村はこの局で初めて政宗に勝てると内心舞い上がっていたのだったが、いつの間にか形勢は逆転され、気づけば幸村の玉将はどこにも逃げ場がない状態にまで追い詰められていた。
「俺に勝とうなんざ百年早ェ、と言いたいところだが……まァ今回はなかなかいい勝負だったぜ」
 もうちょっと先が読めるようになんねェとな、と言いながら将棋駒を片付ける政宗の手を、幸村は掴んだ。
「もう一局!もう一局頼み申す!次こそは某が勝ってみせようぞ!」
 武芸においては政宗と互角の幸村だったが、これまでの対局では勝てた例がない。幸村はその事が悔しくて仕方がなかったのである。
 政宗は返事をせず己の手首に視線を落とした。その手首は幸村に強く掴まれている。幸村は慌てて手を離し非礼を詫びたが、政宗の顔は先刻までとは打って変わり曇ったまま、押し黙ってしまった。
 実のところ政宗がこのような陰りを帯びた表情を見せるのは初めてのことではない。はじめは快く幸村を部屋に招き入れ楽しそうに相手をする政宗だが、時折浮かない顔をすることがある。気になった幸村は政宗に問うてみた。
「政宗殿、何か気に懸かることがおありか。こちらで不便があらば善処致す故、申してくだされ」
 すると政宗は意外そうに眉を上げた。
「不便どころか武田の連中には良くしてもらってるぜ」
「では何ゆえ然様に浮かぬ顔をなされるのでござる」
 政宗は少し考え込んだ後、じっと幸村の目を見つめ、口を開いた。
「前からきこうと思ってたんだが……アンタが俺ンとこばかり来るのはオッサンの命令か?」
 政宗の質問に一瞬きょとんとした幸村は、すぐにかぶりを振って答えた。
「お館様からは何も。其がここへ参るのは其の意思にござる。」
「なぜアンタはそんなに俺に構う?」
「それは……貴殿ともっと昵懇になれれば、と」
 幸村の返答に政宗の表情は険しくなり、訝るように幸村の目を覗き込んだ。
「アンタは馬鹿か。今はこうして厄介になっちゃいるが、そもそも俺とアンタは敵同士なんだぜ。馴れ合ってどうすんだ」
 政宗の言葉に幸村は息を止めた。
 織田を討つ為に共闘したことで政宗との間に仲間同士のような確かな絆を感じたとはいえ、政宗は敵軍の総大将であり、信玄の上洛の為にはいずれ倒さねばならぬ相手だという事実に変わりはない。
 幸村が言葉に詰まっていると、政宗は再び口を開いた。
「もうあんまり俺の側に来るな。You drive me to distraction. アンタといると……苛々する」
 政宗の言葉は、政宗に近づけたと思っていた幸村を打ちのめした。聞き取るのがやっとの声で承知致したとだけ返事をし、幸村は政宗の部屋を後にした。


 その晩、幸村は床の中で幾度目かの寝返りを打った。いつもなら床に就けばすぐに寝入る幸村だが、この夜は目が冴え中々寝つけずにいた。
 理由はわかっている。
『アンタといると苛々する』
 苛立たしげに言った政宗の言葉が脳裡に響く。
 何か癪に触ったのだろうか。政宗の言ったように、敵であるにも関わらず深く考えず親しくなろうとしたのがまずかったのだろうか。考えれど考えれど、どうすれば良いのかわからない。互いの立場など変えようがない。
 幸村がいくら政宗に近づきたいと願おうと、政宗に疎まれている以上、今後は近づかないようにするしかない。そう判断した途端、なぜだか無性に泣きたくなった。
政宗の顔が見たい。声が聞きたい。
 ああ、そうか――――幸村は自分が政宗に抱いている感情がどういうものかを初めて理解した。同時に、それが決して叶わぬことも。



 それからというもの、幸村は一切政宗のところに顔を出さなくなった。政宗への想いを自覚してしまった今、政宗に会えば胸の内から溢れそうな感情を抑え込む自信がない。そして何よりそれは政宗にとって迷惑でしかないのである。幸村の望むような関係になどなれよう筈もない。
 政宗に対し抱いた感情は一時の気の迷いであると己に言い聞かせ、打ち忘れようと心に決めた。
 しかしそれは決して容易ではなかった。ふとした瞬間、事ある毎に政宗の顔が脳裡にちらつき、気づけば政宗は今何をしているだろうか、傷の具合はどうだろうかと、意識せず思いを馳せてしまっている。政宗への想いは幸村の意図とは裏腹に募るばかりである。
 これではまずいと幸村は二槍を手に庭に出た。槍を振るうことで雑念も振り払おうと考えたのである。
 暫く槍を振るっているうちに幸村は鍛錬に没頭していった。一振りする毎に研ぎ澄まされていく感覚が槍に集中していく。そうして幸村の全神経が槍に傾注したその時、
「精が出るな、真田幸村」
 背後から掛かったその声に、幸村の挙動はぴたりと静止した。恐る恐る振り返ると、案の定そこには政宗が立っている。鍛錬に集中していた幸村の意識は一瞬で政宗に向くこととなった。
「政宗殿……もう出歩かれてもよろしゅうござるか」
「ああ、もうすっかり治っちまったぜ」
 そう言って片方の口角を上げる政宗の笑顔に、幸村の心臓が跳ねた。思わず幸村は顔を伏せ、しかしまたすぐ政宗を見た。無理だ、と幸村は悟った。槍の鍛錬で政宗への想いを振り払った筈が、こうして本人を目の前にすると、目が、耳が、心が、己の全てが政宗に向いてしまう。これ程までに政宗に心奪われていたのかと我ながら驚くとともに、最早この感情を心奥に閉じ込めたまま政宗に接することなど出来そうにないと悟ったのである。
 そして幸村は政宗に背を向け、言った。
「ならば早々に甲斐を発たれるがよろしかろう」
 背後で政宗が息を飲む気配が伝わってくる。少しの間を置いて舌打ちの音がした。
「You piece of shit. アンタに言われるまでもねェ、明日発つさ。アンタには世話になったし一応礼でもと思って言いに来たんだが、来ねェ方が良かったな」
 忌々しげにそう言い捨てると、政宗は踵を返した。その足の運びから、腹を立てているのが窺える。
 幸村は固く目を瞑り、爪が食い込むほど拳を握り締め、これで良いのだと己に言い聞かせた。
 遠ざかっていく足音が聞こえなくなると、幸村は張り詰めていた糸が切れたようにがくりと膝を突き、拳で地面を打った。



 翌日。昨日までの晴天が嘘のような甚雨である。
 幸村のもとに政宗が出立の日を延ばしたとの報せが入り、幸村の胸中は複雑だった。
 窓の外に降り頻る雨をぼんやりと見つめながら政宗を想う。さぞこの雨に苛立っていることだろう。その苛立ちの一因が己にあることに、申し訳ない気持ちで一杯になるのだった。
 こうして部屋で腐っていても精神的に良くない、と思い立った幸村は部屋を出、槍を手に道場へ向かった。

 道場へ着くと、果たしてそこには先客があった。刀の稽古に専心する政宗が目に飛び込んできたのである。
 刀が振り下ろされる毎に場内の空気が裂け、震えるような空気の振動が、道場の入り口にいる幸村にまで伝わってくる。暫し政宗に見入っていた幸村は、考えるより先に叫んでいた。
「政宗殿!手合わせをお頼み申す!」
 一心不乱に刀を振るう政宗の姿に刺激され、突如胸の奥から燃え盛る闘志が湧き上がってきたのである。初めて出会った時のようにまた政宗と刃を交えたい。滾る心は最早止められなかった。
 幸村の声で初めてその存在に気づいた政宗は、振り下ろす途中で刀を静止させ、心底驚いた表情で振り向いた。
「真田……幸村」
 幸村に向き直ると険しい顔で睨みつけた政宗だったが、俄かに口角を挙げ白い歯を見せた。
「Alright, やろうじゃねェか。全力で来い、真田幸村ァ!」
「いざ参る!」
 幸村はそう言うや否や床板を蹴って跳躍し、刀を構えた政宗に槍を叩きつけた。政宗は躱さずそれを刀で受け止める。鎬を削る刃が火花を散らすその先に、射竦めるような政宗の隻眼がある。戦っているこの時だけは、政宗は幸村だけを見ている。幸村の心が震えた。
 政宗は刀を滑らせ均衡する力を巧みに受け流し、中段から水平に斬りつけてくる。幸村は左手の槍でそれを弾き返すと、突如右手の槍を投げ捨て、政宗の左腕を掴んだ。訝る政宗の左手が刀の柄から剥がれると、そのまま力任せに引き寄せる。
「…………っ!」
 幸村は左手の槍も放り投げ、刀を握る政宗の手首を掴み荒々しく口づけた。突き当たった歯が一瞬痛んだが、構わず更に深く口づけようとしたところで、政宗は首を振って幸村の唇から逃れた。
「Damn you, asshole!You suck!いきなり何しやがる!アンタ、何考えてんだ!」
「政宗殿、某は……貴殿をお慕いしており申す。予てより、おそらく初めて出会ったその刹那よりずっと」
 幸村を押し退けようとしていた政宗の動きがぴたりと止まった。一つきりの目を見開き、幸村を凝視している。
 幸村は半ば捨鉢になっていた。これで政宗には唾棄すべき存在として蛇蝎の如く忌み嫌われることとなろう。しかしそれでももう構わなかった。堰を切って氾濫した奔流のような政宗への恋慕の情を塞き止める術など、初めからなかったのである。
 幸村はゆっくりと政宗の腕を離し、政宗は刀を鞘に収めた。
「この想いは尽未来際この胸の内に秘めておくつもりでござったが……焦がれて止まぬ貴殿を目の前にし、衝動を抑え切れず……申し訳ござらん」
 政宗は腕を組み、目を半眼にして幸村を見ている。やはり怒っているようだ。
「貴殿が某を厭うておられるのは心得ており申す。詫びて済むことではござらぬが……政宗殿……」
「言いてェことはそれだけか?」
 仏頂面で問う政宗に、幸村は口籠る。
「俺に殴られるくらいの覚悟は当然出来てるんだろうな」
 幸村は真摯な顔で頷いた。胸倉を政宗に掴み上げられ、歯を食い縛る。そしてここで信じられない事態が起こった。
 政宗は幸村の胸倉を掴んだ手でそのまま幸村を引き寄せ、唇を合わせてきたのである。
「…………!?」
 何が起こったのかわからなかった。頭の中が真っ白になり、今自分が置かれている状況を理解するのに少しの時間を要した。そして理解しても尚、何故政宗が自分に口づけているのかわからない。己の唇が先程と同じように政宗のそれと重なっている。その柔らかい感触に理性が押し流されそうになったその時、政宗は顔を離した。
「Cut it out!舌入れようとしてんじゃねェぞ」
「だ、駄目でござったか」
「この野郎、調子に乗りやがって」
 そこで政宗はふっと柔らかい笑みを見せた。幸村が政宗の部屋を頻繁に訪れていた頃、時折見せた笑みである。幸村は改めて政宗を心の底から愛おしいと思った。政宗に手が伸びそうになり、しかし幸村はその手を途中で下ろした。先程の政宗の行動の真意を問うのが先だった。
「政宗殿、何ゆえ某に……単なる意趣返しとは思えぬが」
「何を勘違いしてんのか知らねェが、俺がアンタを嫌ってるとか言いやがるから、そうじゃねェと証明してみせたまでだ」
 幾許か顎を上げ尊大に答える政宗に幸村は首を捻る。
「……貴殿は某を厭うてはおられぬと?」
「Sure, なんか文句あんのか」
「それが真なら喜ばしい限りにござるが……しかし貴殿は先日、某と共におれば苛立つが故に自分に構うなと申されたでござろう」
「あー……あれはな」
 そこで口を噤んだ政宗は目を伏せ顔を逸らした。幸村は固唾を飲んで二の句を待った。
「……Don't give a fxxk, アンタを嫌って言った訳じゃねェ」
「それでは説明になっておらぬ」
「Fxxk off, いちいち説明してやる義理はねェ。それよりアンタだってあの時俺にさっさと帰れなんて抜かしやがったじゃねェか」
「それは……貴殿の近くにおれば某の全身全霊が貴殿へと向いてしまい、貴殿への想いを抑え切れなくなり申す故、貴殿にとことん厭忌されれば貴殿を諦められるかと」
「なんだよ、アンタも俺と似たようなこと思ってたのか」
 政宗は意外そうに片眉を上げた。その政宗の言は幸村にとっても意外だった。
「俺もてっきりアンタに嫌われてると思ったもんだから、もうとっとと奥州に帰っちまおうと思ってな。だがこの雨だ。刀振るってりゃむしゃくしゃすんのも収まるかとここへ来たんだ」
「然様でござったか」
 案外自分と政宗は似た者同士なのかもしれない、と幸村は内心嬉しく思ったが、それを口にすれば即座に否定されそうな気がして言うのをやめた。
「そしたらアンタがのこのこ現れやがったんで、アンタを叩きのめして鬱憤を晴らそうと思ったら……いきなり……あんなこと」
 そこまで言って顔を逸らした政宗の頬に、心なしか朱が差したような気がした。そして政宗の言ったあんなことが何を指すかを思い出し、幸村も俄かに顔が熱くなる。
「貴殿が嫌でなければ、その……今一度致しとうござる」
 もう一度、政宗と唇を重ねたいと思った。先程のような不意打ちでなく。
「そうやって伺いを立てるのは最初っからするべきじゃねェのか」
「先刻は破れかぶれでござった故……」
「ま、アンタのそういう所、嫌いじゃねェぜ」
 政宗の腕がしなやかに幸村の首に絡みつき、体が密着する。幸村はそっと政宗の背に腕を回した。目の前に政宗の端麗な顔がある。澄んだ隻眼に映るは己のみ。幸村の心臓は早鐘のように高鳴り、極度の緊張と心地良さの間で眩暈がしそうだった。
 やがてゆっくりとその隻眼は閉じられ、唇が薄く開いた。幸村の喉がごくりと鳴った。すぐにでもその形の良い唇に吸いつきたい、しかしこの至近距離で政宗の顔をもっと見つめていたい。相反する思いが幸村の内でせめぎ合う。逡巡しているうちに政宗は半眼を開き幸村を睨んだ。
「しねェんなら、もういい」
 不貞腐れたように呟き離れようとする政宗を慌てて抱き竦める。
「初めて斯様に間近で目にした貴殿に思わず見惚れてしまい申した」
 そう口早に弁明しておいて、幸村は徐に唇を重ねた。ゆっくりと味わうようにその柔らかな感触に酔い、そして恐る恐る舌で政宗の唇に触れると、今度は拒否されることなく迎え入れられ向こう側から差し出される舌に己の舌を絡め、吸った。頭の芯が蕩けるようだった。先程のように性急ではなく、互いの想いを確かめ合うような、そんな口づけだった。口を離してからも、その余韻に浸るように暫く無言のまま抱き合っていた。


 外へ出れば相変わらず空は暗く、小降りになったとはいえ雨は降り続いている。しかし幸村にとってはこの上ない瑞雨である。暗鬱な雲の狭間で轟く雷すら、自分を祝福してくれているような気がした。
 濡れるのも厭わず並んで歩き出す。政宗に視線を向ければ笑みが返る。幸村は嬉しさのあまり叫び出しそうになるのを辛うじて堪えた。
 そして少し進んだところで政宗は立ち止まり、幸村もつられて足を止めた。
「By the way, 真田幸村。前にここで俺と握手したこと覚えてるか」
「無論にござる」
 先達てこの道場にて執り行われた武田漢祭りに揃って参加した折、この道場の前で幸村は政宗と約束をした。腕を磨き、再び戦で相対する際には政宗に自分を認めさせることを。
 忘れる筈がない。籠手ごしとはいえ初めて政宗に触れたのがその時だったのである。
「ここでアンタに訊いときてェ事がある」
 真顔で幸村に向き直った政宗に、幸村は自然と神妙な面持ちになる。
「前にも言ったが、俺とアンタは敵同士だ。アンタはそれでも構わねェのかい」
 政宗の問いは幸村の予想通りの内容だった。幸村の心は決まっていた。
「某と政宗殿の立場は変えられぬ。同様に某の貴殿を想う心も変えられは致さぬ」
 幸村の返答に政宗の表情が和らいだ。
「答えになってねェ気もするが……So be it. なるようになるだろうさ」
「然らば政宗殿、この場所で聞かせてはいただけぬか。貴殿の、その、何と申すか……某への、その……某を如何思っておられるのか」
 道場での遣り取りから政宗も幸村と同じく想いを寄せてくれているのだろうと察せられるのだが、それを一度で良いから本人の口から聞きたい。
「断る」
「何ゆえ」
「言いたくねェ」
「…………」
 当たって砕けるつもりで言ってはみたものの、いとも簡単に即座に切り捨てられると落ち込むもので、意気消沈する幸村を見て政宗は悪戯っぽい笑みを浮かべる。口にするのが面映いなどという健気な理由では決してなさそうだ。手玉に取られているような気がしなくもなかったが、考えてみればそれはそれで幸せだと幸村は思い直した。何しろ道場に来るまではまさか政宗に想いが通じるなどと考えてもみなかったのである。それが叶っただけでも僥倖なのだ。
 ふと気づけば政宗の艶やかな髪から雫が頬に伝っている。
「斯様な雨の中立ち話を続ければ傷に障り申す。直ちに屋敷へ戻ると致そう」
 そう言って政宗を促し、三歩ほど歩いたところで幸村は振り返った。政宗は先程と同じ場所に立ったままである。
「政宗殿?」
「You mean a lot to me. I so really have a crush on you」
 政宗のもとまで足を戻そうとしたところで突然異国の言葉で何かを告げられた。目を瞬かせていると、政宗はふわりと笑った。先刻のような皮肉な笑みではなく、掌中の珠を慈しむような笑みに、幸村は暫しの間惚けたように見惚れていた。
 そして歩き出した政宗に追い越され、我に返った幸村は早足で政宗に追いつくと再び並んで歩いた。幸村は政宗の言葉の意味を尋ねようとして、やめた。政宗が素直に教えてくれよう筈もないとの思いもあった。しかしそれより、その後の政宗の笑顔で、ほんの少しだけわかった気がした。それに聞いてしまうと何やら勿体ないような気もしたのである。


 その晩もやはりまた幸村は寝つけなかった。しかしこれまでとは全く違った理由によるものである。昼間の出来事を思い出しては頬が緩み鼻の下が伸び、しかし雨が止めば政宗が甲斐を発ってしまうことを思えば涙が出そうになる。
 屋根を打つ雨音を聴きながら、どうかこの雨が止まぬようにと願うのだった。


 斯くして幸村の願いは叶うこととなった。




2012.08.10

【後書】
久しぶりにアニメ一期のDVD見てたら書きたくなって書いた話です。
筆頭の心情を想像すると楽しいかもしれません。








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