信州、上田城。その二の丸において、睨み合う二者の姿があった。ここ上田の城主であり、甲斐の虎・武田信玄の跡を継ぎ武田軍の総大将となった真田幸村と、伊達軍の総大将である奥州筆頭・伊達政宗である。
 百間堀と称される周囲の水濠は常ならば水が滔滔と湛えられているのだが、伊達軍が水門を開いた為に今はすっかり水は引いており、露わになった底面が寒風に吹き曝されている。
 同盟を結んだ徳川軍と合流すべく南下してきた伊達軍は、その途上でこの上田城を攻め落とした。城主である幸村と今や武田の副将となった忍頭の猿飛佐助が城を空けていた間の出来事だ。大将、副将ともに不在の上田は名立たる将もおらず、落とすのは容易かった。しかし、幸村と佐助が戻り再び交戦となり、結果、上田は再び武田のものとなった。佐助と斬り結んだ政宗は、間に幸村が割って入ったことにより気勢を削がれ、城を明け渡したのだった。
 いつもの政宗なら、いや、幸村が政宗の知っている幸村なら、戦いは政宗と幸村の一騎打ちへと移行した筈だ。政宗が上田を攻めたのもそれが目的だったと言っても過言ではない。しかし政宗は刀を鞘に収めた。それは、幸村の槍が此方に向けられていようと、肝心の幸村の心が自分に向いていなかったからだ。以前なら真っ直ぐに政宗に向けられていた燃え盛る闘志が感じられなかったのである。
 見たいのはそんな空元気じゃねェ、そう言って背を向ける政宗に幸村は自分への失望を感じ取り、己の不甲斐なさにただ打ち拉がれるしかなかった。踵を巡らす政宗に掛ける言葉もなくその背を見送ろうとしていたのだったが――――。
 政宗は歩き始めていた足を止め、暫し考え込んだ。
「……政宗様?」
 歩みを止めた主君を訝しんだ小十郎の声に振り返った政宗は小十郎に先に行くよう促し、幸村と佐助に向き直る。
「Leave us alone. 真田幸村に話がある、ちっと外してくれるか」
 つい先程まで刃を交えていた、城を落とした張本人と自軍の大将を二人きりになど出来る筈がない。と佐助は拒んだものの、驚くことに政宗は刀を全て小十郎に預け、これでどうだと言わんばかりに顎を上げてみせる。
「佐助、これを」
 幸村も政宗に倣い槍を佐助に預けた。政宗の言うとおりにしろと言うことらしい。政宗の尊大さの一片でも幸村にあれば、などと思いながら佐助は仕方なく槍を持ちその場を離れ、小十郎もまた一足先に上田城を後にした。

 そして、その場には政宗と幸村の二人きりとなり、先程から睨み合っているという訳である。
 幸村は内心戸惑っていた。自分に話があると人払いを望んだのは政宗であるにも関わらず、自分と二人きりになっても政宗は一向に口を開こうとしない。ただ腕を組み、ひどく機嫌の悪そうな顔で自分を睨みつけている。
 幸村に対しひどく腹を立てているようではある。不甲斐ない様子の幸村を見損ない、不興を買っているのだろうと察しはついたが、だからといってそのような態度に出られる謂われはない。幸村が睨み返していると政宗はそれが気に喰わないらしく、益々顔つきが峻険になっていった。
「……何か某に話があったのでは」
 ずっと睨み合っていても埒があかない、そう思い幸村は問うてみた。少しの沈黙の後、漸く政宗も口を開いた。
「I'm just a fxxkin' pissed off……!俺はな、アンタにムカついてしょうがねェ」
「某の至らなさを目の当たりにし、落胆しておられるのでござろう。貴殿の好敵手として相応しくないと」
 政宗は幸村のその言葉を聞きながら歩み寄っていき、その胸倉を掴み上げると突然強烈な頭突きを喰らわせる。弾みで幸村は尻餅をつき、政宗の兜は地面に落ちて転がった。
「政宗殿!いきなり何を……」
 痛む額を押さえながら起き上がろうとする幸村の肩を地面に押さえつけ馬乗りになった政宗は、射るような視線で幸村を見下ろした。
「言っとくがな、アンタが大将なんざ十年早ェって事ァ、アンタに会う前から判り切ってんだ。そんな事でいちいち腹立てるかよ。アンタ、俺が何故怒ってんのか本当にわからねェのか」
 政宗が怒る理由に自分が思い至らない事が政宗を余計に苛つかせているのだろう、そうは思うもののやはり幸村に心当たりはなく、皆目わかり申さぬと頭を振るより他なかった。
 そんな困惑した様子の幸村をじっと見つめた後、政宗は心底失望したように大きく溜息をつくと、もういいと呟いて立ち上がろうとした。が、幸村は政宗の手を引き、浮かしかけた政宗の腰を再び自分の上に下ろさせる。幸村は政宗の隻眼に僅かに揺らいだ憂いの色を見逃さなかった。ここで引き止めねば政宗はこのまま立ち去ってしまう。しかし瞳に憂色を浮かべた政宗をそのまま行かせる訳にはいかない。
「……放せよ」
「否」
 政宗の手首を掴んだまま、もう片方の手を地面についてゆっくりと上体を起こし、幸村は政宗と向き合った。
「何が竜の逆鱗に触れたのかわからぬのは某の不徳の致すところ。なれどそれを聞かぬまま貴殿を行かせる訳には参らぬ」
「…………」
 至近距離で政宗の顔を覗き込むと、政宗は顔を逸らした。その頬にそっと手を添えると、険しかった表情が心なしか和らいだ。
「政宗殿」
「……アンタが、いねェから」
 聞こえるかどうかの小声でそう言って政宗は逸らしていた顔を再び幸村に向けた。
「家康が待ってるってのにわざわざアンタの顔見に寄ってやったんだぜ。なのにアンタときたら」
「某は上田を空けており申した。……もしや貴殿、城を攻め落としたのは……その腹いせに」
「俺が折角来てやったのにアンタは居やがらねェ。ムカついたから攻めた。それに城を攻められてちゃアンタもすぐ帰ってくるってモンだろ」
「そ、それだけの理由で?」
「他に何がある?悪いのは城を空けてたアンタだろう。言っとくが攻めたのがウチじゃく余所の軍なら武田はもっと甚大な被害が出てた筈だぜ」
 政宗の言は尤もだ。攻め落とされたとはいえ、堀の水が引いてしまった以外は城にも兵卒にも殆ど被害が出ていないのである。何故徳川との合流前に伊達軍が上田を攻めたのか合点がいかなかったが、その理由がよもや自分にあろうとは思いもよらなかった。佐助は政宗の気まぐれだと思っていたようだが、当たらずとも遠からずと言えよう。
「まったく、貴殿の発想の大胆さには呆れ……いや、感服致す」
 幸村は気の抜けたような笑みを漏らした。政宗もつられて口角を上げたが、すぐにその口元は引き結ばれ、再び眉根が寄り険しい表情が浮かび、幸村は困惑した。
「俺が怒ってんのはそれだけじゃあねェ」
「ま、まだ何か」
「さっき俺が立ち去ろうとした時、アンタ引き止めなかったよな」
「はあ」
「はあ、じゃねェだろ!You suck!普通あそこは引き止める場面だろうが!ボケッと突っ立ってやがって、なんで引き止めねェんだよ!!!」
 自分の苛立ちの元凶である幸村が、それを事細かに説明しなければ理解できず、ましてや間の抜けた返事を返す。神経を逆撫でされた政宗はついに声を荒げた。
「……つまり貴殿は某に引き止められたかった、と?」
「そうだこの馬鹿野郎!俺はアンタを置いて家康の、他の男のとこに行こうとしてたんだぜ、引き止めねェって事ァ俺の事好きでもなんでもねェって事だろ、違うか?あ?」
「それは違い申す!」
 幸村は即座に答えた。
「あの時某は貴殿に失望され意気消沈、意気阻喪、気息奄々であり申した故……貴殿の本心を忖度する余裕はござらなんだ」
「そうかよ。まァいい、俺が言いたかったのはそれだけだ」
 心の内を吐き出し、それが幸村に伝わったことにより落ち着きを取り戻した政宗は立ち上がろうとした。が、再び幸村に手を引かれ阻止される。
「……なんだよ、詫びの言葉なんざ聞きたかねェぜ」
「先程貴殿は申された。引き止められたかった、と」
「さっきはな。だが今はそんな風に思っちゃいねェ」
「それは貴殿の本心と思って良いのでござろうか」
「…………」
 沈黙した政宗に幸村は困窮したような表情を浮かべる。
「政宗殿はややこしゅうござるな。至極厄介にござる」
「……んな事ァ自分でもわかってるさ」
 思いがけぬ幸村の謗りに、胸に棘が刺さるような痛みを感じた政宗はチッと舌打ちして顔を逸らした。
「こんな面倒臭ェ性格の俺と、単純馬鹿なアンタとじゃ……そもそも合わねェんだ」
 言いたいのはそんな言葉じゃない、そう思いながらも自分と幸村の関係を否定する言葉が口をつく。政宗は捻くれた自分の気性を初めて嘆かわしく思った。
「確かに、某と貴殿は合い申さぬ。性格も思想も。総大将という同じ立場になれたと思いきや、西軍と東軍に分かれる始末。徹頭徹尾合い申さぬな」
 追い打ちをかけるような幸村の言葉は思いの外深く政宗の心を抉った。そしてその抉られた心は俄かに脈動を早めていく。この流れはまずい、そうは思うものの、それを止められる言葉を持たない。そう言えば幸村は武田の跡目を継いだばかりで、自分と諍っている余裕などないのではないか。これまでは政宗の自分勝手な部分にも嫌な顔一つ見せた事のなかった幸村だが、今回は流石に愛想を尽かしてしまったのだろうか。自分で蒔いた種とはいえ、政宗の思考は徐々に悲観的になっていった。
「しかし、一つだけ某と貴殿に共通する箇所があり申す」
 政宗はいつの間にか俯いていた顔をぱっと上げた。幸村の双眸は真っ直ぐに政宗を捉えている。
「それは、互いに想い合っているという事実に他ならぬ。心さえ通い合っておれば、後は何が幾ら合わずともどうにでもなる些事に過ぎぬのでござる。然様でござろう、政宗殿」
 そう言って眉尻を下げて笑んだ幸村の笑顔の眩しさに、政宗は思わず目を細める。幸村の論が予想とは逆に帰結したことに安堵すると共に、自分がどれだけ幸村を好きか痛感させられたのだった。未熟で頼りない所も多々ある幸村だが、政宗の度を越した我意の強ささえ受け入れる包容力を秘めている。そしてそれを発揮する際の幸村の言葉は、やけに説得力を持って政宗の心に響くのだ。
「That's right. ……アンタにしちゃ、いい事言いやがるじゃねェか。上等だ」
「政宗殿が如何に天邪鬼であろうと、某は全て受け止める所存。故に貴殿も某の思慮不足にほんの少しだけ目を瞑ってくだされ」
 政宗は答える代わりに笑った。いつもの不敵な笑みではなく、滅多に見せない柔らかな笑みである。その笑顔を見た瞬間、幸村はこの上なく政宗を好きだと改めて実感し、その政宗を失望させた己を顧みて少しだけ泣きたいような気持ちになるのだった。
 そんな幸村の気持ちを知ってか知らずか、政宗は徐に幸村の首に腕を回し、唇を合わせた。体を密着させれば伝わってくるその温もりに、更なる熱を欲する衝動が湧き上がってくる。が、今はまだその時ではない。
「アンタが本当に大将として相応しい男になったら、この続きをやろうぜ」
 名残惜しげに唇を離した政宗に幸村は頷いた。
「そろそろ行かないとな……おっと、今度は引き止めなくていいぜ、小十郎が待ちくたびれてるだろうしな」
 そう言って政宗は立ち上がり、兜を拾った。その後ろで幸村も立ち上がる。
「徳川殿のもとへ行かれるのか……では次に会うのは関ヶ原でござるな」
「いや、家康と合流するのはやめた」
「やめた、とは」
「家康んとこ行くっつってアンタに焼き餅焼かせる作戦は失敗だったしな」
「なっ」
「ってのはジョークだが、考えてみりゃ、なんで俺が家康の天下取りに手ェ貸さなきゃなんねェんだよ、天下取るのはこの俺だっつーのによ。大体石田の奴にリベンジかますならウチだけで当たらねェと意味がねェ。つー訳で行き先変更だ。伊達軍はこのまま大坂に乗り込んで石田をブッ潰す」
「然様でござるか……。何やら貴殿は総大将という立場にありながら恣意的に軍を動かしておられるように某には見受けられ申す」
「That's fxxkin' exactly. 俺はいつだってやりたいようにやるだけだ。いいか真田幸村、トップに立つ人間の惑いは必ず下の者に伝わる。だから大将ってモンは自分が信じる道を真っ直ぐ突っ走るしかねェのさ」
 兜を被り緒を締めた政宗は、ゆっくりと幸村に向き直る。
「アンタも迷うな。Go straight ahead, 目先の些細な事に気を取られてねェで自分の心に正直になって突き進め」
 兜に頂く弦月が夕陽を返し気高く光り輝いている。幸村は、大局を見ろという佐助の言葉を思い出し、ほんの少しだけ理解出来たような気がした。



 伊達軍が大坂へ向けて進軍を開始した数日後、幸村は少数の部隊を率いて九州へと向かった。
 佐助の妙々たる活躍によって為し得た石田との同盟は結局反故となり、佐助の働きは徒労に終わった訳だが、何故か佐助の顔は満足げだった。




2012.02.11

【後書】
宴の佐助ストーリー2章で妄想した話です。
佐助ストーリーだと本当は石田との同盟は上田城攻竜戦の後なんですが、それに気づいたのが書き終わってからだったのでもうそのままにしましたυ
こっから3蒼紅永劫ルートに繋がるワケです(キリッ)
タイトルは懐かしのチープトリックから。





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