路地裏で、鷹を抱えたままじっと祈るような気持ちで空を見ていた小十郎のもとへ佐助が姿を現した。
「猿飛!首尾は」
「真田の旦那は今伽藍で天海と対峙してる。それより、なんで真田の旦那は槍を持ってないんだよ!」
「長い槍を二振も抱えてちゃ怪しまれるからと、お前と別れた場所に真田が置いてきた」
「相手はあの明智だぜ!いくら旦那でも槍なしじゃ不利だ、俺様すぐ取ってくるから!」
 佐助がその場を離れようとした、その時である。急を告げる半鐘の音が路地まで響いてきた。小十郎と佐助は思わず顔を見合わせる。
「真田は、別れる前に言っていた。鐘の音を自分が死んだ合図だと思え、と」
 半鐘の音に驚いたのか鷹が鳴き、飛び立とうとした。しかし足緒が結わえられている為、飛び立つことが出来ない。
「俺様は信じねえ。あの真田の旦那がこんな容易くやられるワケねえだろ!とにかく槍を届けてくる!……独眼竜のことは、旦那に任せるよ」
 そして今度こそ佐助は駆け出した。その姿は一瞬で見えなくなった。
 小十郎は鷹に視線を落とす。こちらを見返す鷹に脳裡の政宗の姿が重なり、小十郎は固く目を瞑り、大きく息を吐いた。
 刀の柄に添えた手が震える。出来る訳がない、自分に政宗を手にかけるなど。しかしこのまま佐助も戻らなければ、その役を担えるのは自分しかいない。
 俺は間違っていたのか――――小十郎は問いかけるように天を仰いだ。そして目を瞠った。空いっぱいに広がっていた鉛色の雲に青い裂け目が生じている。雲が切れ始めているのである。


 光秀は半鐘の音と幸村の叫び声ではっと自我を取り戻した。そして石化したように立ち尽くしている放心した幸村の姿を認めた途端、その胸に激しい怒りと憎悪が湧き上がる。彼が唯一畏怖の念を抱く存在である信長をこの手で亡き者にするという大願を、一度ならず二度までも邪魔立てした男。光秀は祭壇の下に隠してあった鎌を取り出すと、怨嗟の声をあげながら幸村に近づいていった。
 禍々しい気配に我に返った幸村が振り返ると、二振の鎌で腹癒せのように僧らを薙ぎ払いながら光秀が近づいてくる。幸村は刀を構えた。小十郎は幸村の言伝を佐助に伝えただろうか。もしそうなら今頃政宗は――――幸村は小さくかぶりを振った。どの道ここで光秀と刺し違える覚悟である。どちらが先か、それだけの違いでしかない。小十郎の言った呪いの解ける現象など起こる気配すらない。後はもう、光秀を討ち積年の怨恨を晴らし、涅槃で政宗と再会出来ることを願うのみである。
「明智光秀、貴様はここで某が討つ!」
 幸村は光秀に向かって跳躍し、渾身の力で刀を振り下ろした。光秀は頭上で鎌を交差させそれを受け止める。
「貴方が現れさえしなければ、私は今日ここで甦った信長公と再びお会い出来る筈だった…… 今日の為に長い時間をかけて準備をしてきたというのに、それが徒労に終わった私の気持ちが貴方にわかりますか……?」
「なっ……魔王を復活させる、だと……!」
 幸村はちらりと祭壇に目をやった。そこには見覚えのある兜が祀られている。死者を復活させるなど俄かには信じ難かったが、幸村と政宗に呪いをかけた男である、あながち狂言とも思えなかった。
「この嘆き……貴方の血で癒していただきましょうか」
 光秀は幸村の刀を跳ね返し、狂ったように鎌を振り回し襲い掛かってきた。

 そうして暫くの間激しく打ち合っていたが、如何せん幸村の得物は扱い慣れた槍ではなく雑兵の持っていた刀である。徐々に圧されていき、幸村が足元に横たわる僧の体に足を取られた隙に刀を弾き上げられた。頭上で何かが割れたような甲高い音が響き、二者は咄嗟に上を見上げた。弾みで高く飛ばされた刀が天窓に激突したのである。堂内に硝子片が雨のように降り注ぐ中、幸村は息を飲んだ。
 割れた窓の向こうには先程までの重苦しい曇り空が嘘のような眩い青空と太陽、そしてそこにある筈のない月が太陽と並んでいる。太陽はその前を横切ろうとする月に覆い隠されていく。やがて辺りは夜のように暗くなった。皆既日食である。
夜のない昼、昼のない夜――――遂に幸村は生きて見ることが出来るとは信じていなかったものを見たのだった。
 そして外から再び半鐘の音が聞こえてくる。天空の怪異を告げる為のものだろう。その音はこの現象の到来が遅すぎたことを幸村に思い知らせた。
 風を切る音と共に振り下ろされる鎌を避けながら、幸村は焦りを募らせる。既に刀は手にない。丸腰では分が悪すぎる。しかしここで引き下がる訳にはいかない。何か打つ手はないものか――――幸村が必死で思考を巡らせていた、その時だった。
「真田の旦那!受け取れぇ!」
 よく知っているその声に振り向くと、朱塗りの槍が二振、幸村目掛けて飛んでくる。幸村はそれを両手でしかと受け止め、そのまま槍を横に払った。光秀は吹き飛ばされ、祭壇に叩きつけられる。その衝撃で祭壇から転がった信長の兜が光秀の傍らに落ちた。
「信長公……!」
 光秀は慌ててそれを拾い上げる。
 再び幸村が振り返ると、佐助は礼を言う間もなく姿を消していた。
 周囲ではまだ息のある僧がなんとかこの場から逃げ出そうと、僧の死体の中を縫うように入り口に向かって這っていく。天窓を見ると、太陽は完全に月と重なり、その姿を消している。
 幸村は光秀に向き直った。祭壇の前の光秀は放心したように黒い太陽を見上げていたが、近づいてくる幸村に気づくとすっと立ち上がる。幸村は槍を手に祭壇へと歩み寄っていく。復讐を果たす時が来たのである。
「私を殺したければ殺すといい。しかし、そうなれば貴方がたの呪いは二度と解かれることはないでしょう」
 槍を握り締める幸村の手が硬く強張った。
「そういえば、独眼竜は一緒ではないのですか?……と言っても今は竜ではなく鳥ですね……クックック……アーッハッハッハッハ」
「政宗殿は死に申した」
 挑発に乗ることなく幸村は静かに答え、光秀の笑いがぴたりと止んだ。
「既に政宗殿のおらぬ今、某だけ呪いが解けたところで何の意味もござらん。某もすぐに政宗殿のところへ参る所存。――――明智光秀、貴様を討ち果たした後に!」
 そうして幸村が大きく槍を振りかぶった、その時である。暗闇の中を青い雷が流星のように光を放ちながら幸村の真横を横一直線に通過した。その稲妻に打たれた光秀の体でばちばちと雷が爆ぜ、光秀はその場に頽れる。
 幸村の槍は振り下ろされることなく中空で静止した。幸村はまるで信じられないといった面持ちで何度も目を瞬かせた。幸村の知る限り、その技の使い手はこの世でたった一人。それは――――恐る恐る振り返った幸村は、その目を極限まで見開いた。



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2011.12.11






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