太陽が完全に地平の下へ沈み、夕闇の名残が暮夜に掻き消された頃、佐助は城下へ最後の偵察に発った。
 一人残された小十郎は、丘の上に立ち、夜空に瞬く星々を見上げた。やはり、間違いない――――小十郎は確信する。呪いを解く機会が明日訪れることを。
 夜のない昼、昼のない夜。政宗と幸村がかかっているような、昼夜が影響を及ぼす呪いを解く鍵がその事象にあることを突き止めた小十郎は、庵に居を移し毎夜月や星を観察した。ずっとその兆しが現れるのを祈るような気持ちで待っていた。そして遂にそれは現れた。政宗と再会してすぐにそれが現れたのは、運命の導きによるものとしか思えなかった。
 三日前は漠とした変化でしかなかったその兆しは、今、確たるものとして小十郎の目にしかと映っている。今見えている月と星の配置は、ずっと待ち侘びた兆しそのものだったのである。
 落ち葉を踏みしだく音に振り返ると、政宗が歩いてきたところだった。
 猿飛は、と問う政宗に偵察に赴いた旨を告げ、二人並んで地面に座した。政宗はそれきり何も喋らない。小十郎はその横顔にちらりと目をやり、思案する。昨夜は政宗を糠喜びさせない為にも明日のことは伝えない方が良いと判断したものの、今になってやはり伝えた方が良いのではないかと思え始めたのである。明日起こるだろう事象の兆しは確実に見えている。それに隠したままでいることは家臣として背信に当たるのではないか――――小十郎が頭を悩ませていると、政宗は小十郎に顔を向け、言った。
「小十郎。お前……何を隠してる」
「は……」
 見透かされているとは思っていなかった小十郎は思わず口篭る。頭の中で二つの存意がせめぎ合う。憤るでもなくただ静かに小十郎を見つめる政宗に小十郎は己を偽ることが出来ず、結局全てを話した。政宗は少し驚きはしたものの小十郎の話を最後まで黙って聞いていた。
「主君に隠し立てを致すなど……申し訳、ございません……」
 頭を下げる小十郎に、政宗は小さく笑って気にすんなと肩を叩く。
 政宗はすっくと立ち上がり、天を仰いだ。政宗の隻眼に映る空は、もう長い間ずっと夜空のままだ。目を閉じ、昔は当たり前のように見ていた晴れ渡った碧天を脳裡に思い浮かべる。そして瞼の裏に蒼穹の下で翻る赤い鉢巻が映り、政宗はゆっくりと目を開いた。
「真昼の太陽がどれくらい眩しかったのか、俺にはもう思い出せねェ」
 振り向いて淋しげに微笑んだ政宗の表情には、色彩に溢れた昼間の世界に対する憧憬が顕れている。それが希望なのか諦観なのか、小十郎には判じかねた。

 偵察に出ていた佐助が戻ってきた。佐助によれば、明日の法会は慈眼院の大伽藍で数百人の僧により執り行われるらしく、そこに天海も姿を現すだろう、とのことだった。いつも以上に厳戒な警備体制だというが、それは予測の範囲内である。大伽藍の扉は大きく頑丈な造りで、とても外から破れるようなものではない。法会の最中は固く閉ざされるその扉を地下道から内部に侵入した佐助が開き、幸村を招き入れる算段である。
「ご苦労だったな、猿飛。真田が大伽藍まで辿り着けるよう、俺も全力で支援するぜ」
「頼もしいねー。俺様が苦労して潜り込んでもそこまで来れなかったら元も子もないもんね」
 それに頷いてから、小十郎は政宗に向き直る。
「政宗様。明日御身の呪いが解かれますれば、存分に太陽もご覧になれましょう。それまでどうか、真田と猿飛、そしてこの小十郎を信じてくださいますよう」
「ああ……そうだな。だが自分の身が危なくなったらすぐ逃げろよ。お前らは、半分死んでるも同然の俺達と違うんだからな」
「大丈夫だって、俺様たちに任せときな!」
 佐助は努めて明るく振る舞い政宗の背を叩いた。
「さーて、それじゃ明日に備えて寝るとしようぜ」
 佐助の提案に頷くと政宗は口笛を吹き、少し間を置いて虎が姿を現した。少し警戒しているようだったが、政宗が呼ぶとすぐ傍まで近寄り、差し出された政宗の手に頭を摺り寄せる。
「明日どっちに転んでも、コイツと過ごすのは今夜が最後だからな……」
 政宗は小十郎と佐助を交互に見た。一緒に寝ても良いかと訊きたいのだろう、二人は同時に頷いた。
 そして三人は眠りに就いた。佐助は木の上で器用に横になり、小十郎は座して刀を抱えたまま、政宗は虎と寄り添うように眠った。明日への期待と不安が織り交ざったそれぞれの思いを胸に抱きながら――――。


 一方その頃、慈眼院の大伽藍では天海が翌日の法会の仕度を終えたところだった。付きの僧は全て下がらせ、今は広い大伽藍に天海一人である。
「これで準備は整いました。後は明日を待つばかり……クッククク」
 天海は伽藍の内にとある結界を仕掛けていた。その結界とは、明日の法会で数百人の僧による読経が行われた後に、僧の命と引き換えに死者を現世に甦らせるというものだった。もちろん他の僧はそれを知る由もない。
 天海が再会を願う死者――――それは、五年前に政宗と幸村によって討たれた第六天魔王・織田信長である。信長の徹底した悪辣非道ぶりに惚れ、執着するあまりついにはその手で命を奪うことを夢見るようになり、漸くそれが叶うという時にその夢は目前にして崩れ去った。それからというもの、殺す為に生き返らせるというこの矛盾した行為こそが天海の生きる意味の全てだった。信長を甦らせるには多くの生贄を必要とする。その為に苦労して現在の地位を手に入れた。明日ここに集まる僧は全て、信長復活の為の生贄なのである。
 祭壇に置いた信長の兜を指でなぞり、天海は恍惚として体を震わせた。
「長かった……いよいよ明日、貴方にお会い出来ると思うと私は……ああ、信長公……!今度こそ、この私の手で……!」
 低くくぐもった笑い声は高笑いへと変わり、その不吉な声は広い大伽藍に幾重にも谺し響き渡った。


 佐助は夜明け前のまだ薄暗いうちに目を覚ました。忍であるが故に、睡眠は他の者より少なく済むのである。
 半身を起こし木の枝に腰掛け、下を見ると、昨夜眠りに就いた時と同じように皆眠り込んでいる。
 そうして佐助が見守るうちに、地平の彼方から朝の最初の光が射し始めた。新しい一日の始まりを告げるその光は穏やかに眠る彼らを照らし出し、政宗と虎ははっと同時に目を覚ました。その体内には既に変身の兆候が顕れている。その一瞬とも呼べぬ短い刹那、二人は生身の人間のまま向かい合うように思え、佐助は目を瞠った。
 虎が幸村に変わろうと揺れ動くその瞬間、政宗はその顔に手を伸ばした。しかしその指先は途中で変貌を遂げ、羽の生えた翼へと変化した。虎の体が震え、鋭い爪の生えた脚はみるみる人間の腕へと形を変える。その手を政宗に伸ばした途端、幸村に注がれていた熱い眼差しは一瞬にして猛禽の冷たく刺すような目に変化した。幸村の手は空を掴み、苦悩の呻き声が漏れる。項垂れる幸村をよそに、完全に変貌を遂げた鷹はその見事な翼を羽ばたかせ空に舞い上がっていった。
 佐助はあまりの遣る瀬なさに胸が押し潰されそうな思いでゆるゆるとかぶりを振った。そしてふと小十郎を見遣ると、既に起きていたようで、その苦悶の表情から小十郎も二人の変貌の一部始終を見ていたのだと察せられた。
 しかし、こんな悲しい夜明けも今日限りである。佐助は地面に飛び降り、三人は顔を見合わせ頷いた。
 いざ慈眼院へ――――いよいよこの時がやって来た。



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2011.11.24





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