それから暫しの間三人で当日の手筈など話し合い、その後佐助は一人裏庭に出た。
 転がっている数体の忍の亡骸を足で転がし崖下に落としながら、政宗と話した昨夜のことを思い返していた。

 政宗は、佐助から幸村の様子を聞いた後、訥々と語り始めたのだった。
「あれは、前に野州に行った時のことだ――――」
 以前野州を治めていた領主は甚く虎を可愛がり、領内に数多くの虎を飼っていた。しかし虎は元来人間にとって非常に危険な野獣である。乱世では戦に重宝されたものの、天下が泰平を迎えてからというもの領民は虎を持て余し、戦時においては足軽以上の働きをした虎も今や厄介者でしかなくなった。そして領主の没後、大々的に虎狩りが行われた。呪いを解く手掛かりを探して野州に入った政宗は、ある夜その虎狩りの一行に出くわしたのである。人々が手にした松明の灯りが列をなし、仕留められた虎の死骸が何体も台車に乗せられ牽かれていくのを見たのだと言う。
 忍と同じだ、佐助はそう思った。必要な時は重用されるが、不要になれば口止めの為に始末される。他国に仕えていた忍のそんな末路を佐助はこれまでに嫌という程見てきた。思えば忍など使い捨てが当然のあの戦乱の世に、身命を賭して仕えられる主に巡り会えるのは稀有なことである。自分はなんと良き主に恵まれたことだろう――――。
「俺はその時思ったんだ」
 思いを馳せていた佐助の意識は政宗が再び口を開いたことで引き戻される。
「あの虎の死骸が、アイツなら……幸村なら良かったのに、ってな」
 佐助は信じられないといった面持ちで政宗を見た。
「冗談でもそんなこと言うもんじゃないぜ」
 佐助の厳しい口振りに、政宗は自嘲気味に口角を上げる。
「アイツが死んだら……俺も、死ねるだろ?残して先に逝っちまうワケにゃいかねェからな」
 政宗を支配する闇の深さを思うと、佐助は返す言葉が見つからず、政宗から目を逸らした。
「ずっと、そう思ってた……お前から、幸村のメッセージを聞くまでは」
 その声の僅かな震えに気づいた佐助が再び政宗を見ると、瞬きをした隻眼から一筋の滴が零れ落ちた。政宗は深い溜息を漏らすと左目を手で拭い、佐助を見てかすかに頷いた。その微笑には少しの戸惑いと、そして佐助に対する感謝が込められていた。自分達で選んだ道とはいえ、これまで二人を仲介してくれる人物など一人もいなかったのである。
 もう長い間、政宗は孤独な幽囚として生きてきた。最初のうちは耐え切れぬ孤独と沈黙に苦悩し、政宗は毎日幸村に短い文を残した。幸村もまた返事を残したものだった。しかしそんな方法でさえ時が経つにつれ二人の間に虚しさをもたらし、遂には心の痛みだけとなり、やがて文の遣り取りもなくなった。それから更に月日が経ち、この絶望から逃れる術は忌まわしい呪いを受けた身から魂が解放されるしかない、と思い詰めていったのである。
 そんな政宗の凍てついた心を融かしたのは、幸村からの言伝だった。
政宗は思い出したのだった。耳の後ろに柔らかく触れる幸村の指先の温かさ、そして合わさった唇の感触を――――。
「ずっと俺はアイツが死ねばいいと思ってた、そしてアイツもきっと同じように思ってるだろうとな。だがアイツは、矢に貫かれた俺を助けることを望んだんだな……」

 そしてその後政宗が言った言葉を思い出し、佐助は頭を抱えた。
 政宗はこう言ったのだった。もし幸村が光秀の返り討ちに遭い命を落とすようなことがあれば、その時は鷹を、つまり政宗を殺せ、と。今尚政宗を主君と仰ぐ小十郎にこんな役目が務まる筈もない。それがわかるからこそ政宗は佐助に頼んだのである。
 離れていても心は共にある、と幸村は言った。政宗も思いは同じなのだろう。だからもし幸村が死ねば、自分がその死を知らされる前に、何もわからない獣でいるうちに、幸村のもとへ行くことを願うのだ。
 まだ武田に仕えていた頃の佐助なら、もし武田の前に立ち塞がる敵がいればたとえそれが政宗であろうと躊躇なくその手にかけただろう。しかし今は違う。出来るのか、と佐助は己に問うた。返ってきた答えは是であった。そうすることが二人にとって最良の選択だと思えたのである。
 これまで後味の悪い仕事など幾らでもこなしてきたが、そのどれも今回のものとは比べ物にならない。しかし、やるしかない。佐助は腹を括った。


 それから一日が過ぎ、出立の時がやってきた。
 慈眼院までは一日で辿り着ける距離ではない。途上で野宿をし、夜が明けたら集まった群衆に紛れて乗り込む算段である。
 前の晩小十郎は、悩んだ末、呪いを解く機会が訪れることを政宗に話さなかった。幸村には説得の為にああ言ってみたものの、小十郎自身もまた、絶対の確信を持てている訳ではなかったのである。もしそれが一場の夢となれば政宗は再び絶望の淵に沈むだろう。そんな姿を見たくはなかった。
 政宗と小十郎は昔を懐かしむように手合わせをし、酒を酌み交わした。佐助は敢えてそれに加わることはしなかった。そこに入り込むのはあまりにも野暮というものである。慈眼院でもし幸村が命を落とせば、政宗と小十郎が共に過ごせる穏やかな時間はそれが最後になる。それに水を差せる筈もなかったのだった。

 そして出発した三人と一羽の一行は、街道筋は避け、道らしき道のない林の中を進んだ。天海の息のかかった者に出くわす惧れがあることからの判断だった。
 幸い何者にも出会うことなく一行は江戸の城下を一望する小高い丘までやって来た。既に日は傾き始めている。その場所で一夜を明かすことに決めた。
 三人につかず離れずの距離で空を飛んでいた鷹が、幸村の腕に舞い降りる。それまでずっと押し黙っていた幸村は、漸く口を開いた。
「では佐助、片倉殿。夜明けまで、暫し失礼致す。日が昇れば戻って参る故」
 幸村は鷹を伴い林の中へと歩み去っていった。

 沈み行く夕日をじっと見つめながら、幸村はこれまでの己の人生を振り返っていた。
 父の没後まだ幼いながらも武田軍に入り、戦列に加わるようになってからは敬愛する信玄のもとで戦に明け暮れた。そんなさなかに政宗と出会い、惹かれ合い、想いを通わせた。政宗と共に過ごした時間は、己のこれまでの生において最も輝きに満ち溢れていた。そしてこの呪いを受けてからの苦悩に満ちた日々――――それも明日で終わる。終わらせる。
 頬の下辺りを指でくすぐると心地良さげに頭をすり寄せてくる鷹に、幸村は目を細めた。
 昔はよくこうして政宗の頬に触れたものだ、と幸村は思い出す。政宗の頬に触れた指先をそっと耳の後ろに滑らせれば、政宗はくすぐったそうに微笑み、目を閉じ、そして――――。
 触れたい。政宗に、生身の政宗に触れたい。ずっと心の奥底に沈めていた願いが唐突に湧き上がり、その双眸に涙が溢れた。もう幾度も繰り返してきたことである。
 小十郎によれば明日この呪いが解かれる機会が訪れるという。実のところ幸村は未だ半信半疑ではあった。しかし政宗が希望を捨てていないと言う以上、それに賭けるしかない。もし本当に呪いを解くことが出来たなら、再びこの腕に政宗の温もりを感じることが出来る。しかしそれが叶わなければ、そこで終わりである。そうなれば、光秀を討ち果たした後、自ら命を絶つ覚悟であった。
 身の内でざわつく変調の兆しを感じているのだろう、鷹は落ち着かない様子で体をぶるりと震わせ、飛び去っていった。それを見送った後、再び夕日に目を向ける。日が暮れていくにつれ、幸村もまた変身に先立つ不気味な感覚が体内に湧き起こってくる。もう長い間苛まれてきたこの感覚も今日限りである。
 間もなく人の姿に戻る政宗を思った。これまでずっと政宗は夜の闇の中を独りきりで過ごしてきた。しかし今は違う。小十郎と佐助がいるのである。二人の存在を頼もしく思い、同時に強い羨望の思いが幸村の心に突き刺さる。政宗が闇の中で独り孤独な夜を過ごさずに済む、そのことに安堵を覚えるのと同時に、その孤独を癒す役割が自分でないのがどうしようもなく歯痒かったのである。誰よりも政宗と共にありたいと願うのに、誰よりも政宗から遠く隔たれたところにいる自分。再び政宗に会える時が来るのか、それとも――――いずれにせよ明日その答えは出るだろう。
 その身が変貌を遂げるまで、幸村は暮れなずむ城下町をずっと見下ろしていた。



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2011.11.17







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