指笛の音が山々に谺する。
 幸村は空を見上げ鷹の姿を捜した。しかし空には何の気配もなく、辺りは静まりかえっている。一陣の風が荒涼とした尾根筋を吹き過ぎていく。
 再び指笛を吹いた。その音は先程に比べ不安げな調子が入り混じっている。谺は山から平野へと消えていった。暫し待つも、依然として鷹の気配は感じられない。
 肩を落とした幸村は、踵を返した。
 その時、頭上で鋭い鳴き声が起こった。幸村がはっとして空を見上げると、あの漆黒の鷹が大きく翼を羽ばたかせ、ゆっくりと旋回しながら降りてくる。
鷹は幸村の腕にどさりと着地し、その衝撃に思わず幸村は苦笑したが、鷹は嬉しそうに翼を震わせた。
 幸村はそんな鷹を優しく撫でてから傷の具合を調べ始める。
「じっとしていてくだされ」
 見ると傷は大方塞がってきている。幸村は安堵の息を吐き、そして大切そうに鷹を抱き締めた。
 すると鷹は強く抱かれたのに抵抗し鋭い嘴で幸村の手を啄み、幸村は慌ててその手を引っ込める。
「これが久方ぶりの挨拶でござるか」
 幸村がそう言って笑うと、鷹は首を傾げ不思議そうに幸村を見つめるのだった。

「真田……どうしても行くのか」
 庵の前で、小十郎の問いに幸村はこくりと首肯する。
「これ以上は、もう……待て申さぬ」
 この苦渋に満ちた日々に終止符を打つ。最早それしか自分と政宗に残された道はないと幸村は感じていた。これから慈眼院に乗り込む心積もりである。
 忍の襲撃を受けた後、少しの休息を取ってから佐助は江戸の城下へ偵察に赴き、そして佐助が戻ってきたのを機に幸村は庵を発とうとしていた。
 では御免、と頭を下げ踵を返す幸村に小十郎は尚も食い下がる。
「まあ聞け、真田。俺は呪いを解く方法を求めて古の文献を紐解き、そして判ったことがある。それは、お前と政宗様が揃って人の姿で術者――明智の野郎とまみえれば、呪いは乱され破れるってことだ」
 幸村はじっと小十郎の目を見つめ、そして失望したように嘆息し、かぶりを振った。
「それは出来申さぬ。片倉殿もよく存じておられよう。某と政宗殿が同時に人として並び立つなど、到底不可能というもの」
「昼と夜がある限りはそのとおりだ」
 小十郎は幸村の否定にたじろぐことなく答える。
「だが、その機会は必ず訪れる。俺はここでずっと星を毎晩観察してきた。そして昨夜、遂にその兆しを掴んだ。これから三日の後――――夜のない昼、昼のない夜が訪れる」
 幸村は暫しの間、小十郎の顔を見据えたまま頭の中でその言葉を反芻した。そして心中に芽生えかけた僅かな希望がみるみる萎んでいくのを感じた。
 鷹が幸村の腕を離れ、再び空へと飛び立った。
「あいにく某には世迷言に耳を貸す余裕はござらぬ。夜のない昼、昼のない夜などと……その様な荒唐無稽な話がある筈もなかろう」
 小十郎は反論を試み口を開こうとしたが、深い絶望の浮かんだ幸村の眼差しに口篭る。
 と、横で二人の遣り取りを黙って聞いていた佐助が口を挟んだ。
「三日後っていえば、ちょうど慈眼院で大規模な法会があるらしい。近在の同じ宗門の僧や檀信徒がたくさん集まるみたいだから、潜り込むには好都合だと思うぜ」
 しかし幸村の険しい表情は変わらない。小十郎が何か言いかけようとするのを佐助は手で制した。
「そういや真田の旦那、あの伝言だけど、ちゃんと独眼竜に伝えといたから。そんで独眼竜からも……旦那に伝言があるんだ」
 わざと今思い出したような調子で佐助は言った。幸村ははっとして佐助を見た。
「独眼竜はこう言ってたよ。俺はまだ希望を捨てちゃいねェ、だからアンタも――――諦めるな、って」
 少しだけ政宗の声色を真似て佐助はそう言った。幸村は目を見開き、峻険だった表情が徐に弛緩していった。
「政宗殿が、某に、希望を捨てるなと……政宗殿が……」
 本当かと問いたげに佐助を見た幸村に、佐助は神妙な面持ちで念を押すように頷いてみせた。
「政宗殿は、斯様な境遇に長く置かれながらも、未だ諦めてはおられぬのだな……なれば、某も……!」
 幸村の表情が引き締まる。先程まで幸村に色濃く影を落としていた悲壮な色は鳴りを潜め、今その双眸には新たな炎が宿っている。
「決まり、だな」
 小十郎は安堵の笑みを浮かべた。
「政宗様が御為、俺も協力させてもらうぜ。真田、それまではここにいればいい」
「……かたじけのうござる」
 幸村は小十郎に頭を下げると、三歩ほど前へ踏み出し、そして空を見上げた。上空では鷹が弧を描いて飛び続けている。大きく翼を広げ悠々と風を切るその誇り高い姿に、脳裡に思い描いた政宗の不敵に笑んだ表情が重なって見えた。
 政宗は言ったらしい。幸村に、諦めるなと。自分はまだ希望を捨ててはいないと。その隻眼は未だ冴え渡り明日を見据えているのだ――――幸村は半ば自棄になっていた己を恥じた。
 万に一つでも可能性があるのならば、それがたとえどんなにか細い光明であろうと賭けてみよう。希望を捨てていないと言う政宗ならきっとそうする筈だ。遅かれ早かれ慈眼院に乗り込むことに変わりはない。それが三日延びただけのこと。考えてみれば五年もの間耐え忍んできたのである、たった三日を待てぬ道理はないだろう。そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
 ――――政宗殿。貴殿の心しかと受け取り申した。
 幸村は天高く舞い上がった鷹に向かって胸中で呟いた。

 その後ろで、小十郎もまた先程佐助が幸村に伝えた政宗の言伝に感じ入っていた。
「政宗様が、そんなことを仰っていたとはな……」
 小十郎は、再会してからの政宗にどこか厭世的なものを感じ取っていた。崖から転落しかけた際も政宗は躊躇うことなく手を放せと言った。政宗は生そのものへの執着をなくしかけているのでは、と内心危惧していたのである。しかし佐助の言によると政宗はまだ希望を捨てていないと言っていたらしい。胸に巣食っていた焦燥感が霧散していくのを小十郎は感じていた。
 だがそんな小十郎に佐助が放った一言は予想外のものだった。
「あーあれね、嘘なんだわ。俺様、言伝なんて聞いてないし」
「……なんだと!?」
 悪びれもせず言ってのける佐助に小十郎は目を剥いた。
「あれで真田の旦那も考え直してくれたんだからいいじゃん。忍のやることさ、なんでもアリだ」
「てめえ……!」
「嘘も方便、ってね」
 片目を瞑ってみせる佐助に、小十郎は二の句が継げられなかった。



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2011.11.10










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