その未明、林の中を音もなく駆け抜ける集団があった。
 数は十数人といったところか。その統率の取れた動きから、相当に訓練された忍であることが窺える。
 先頭を走る上忍は、崖の上に月の光に影を落とす庵を見つけ、後続の忍に目で合図を送った。
 この者達は天海の命を受けた忍である。僧兵や足軽を差し向けても幸村を捕らえられず業を煮やした天海は、それならばと狙いを変え夜間に政宗を襲わせる策略に出たのだった。
 天海は日毎に苛立ちを募らせていた。このままでは幸村と政宗のどちらかが自分を狙い慈眼院へ乗り込んでくるのは時間の問題である。自分が討たれることなどは有り得ない。しかし自分の正体を暴き立てられるのは是が非でも避けねばならなかった。もし正体が白日のもとに曝されれば、苦労して手に入れた現在の地位を失う羽目になるのである。天海に富や権力への執着などは一切ありはしない。ましてや信仰心などある筈がない。では何故この大僧正という位にしがみつこうとするのか。それは、天海の持つただ一つの目的の為だった。その目的を遂行する為には、今の地位が必要なのである。

 政宗の部屋を後にした佐助は小十郎のもとへ向かった。
 庵内にはおらず、裏庭に出てみるとそこで夜空を見上げる小十郎がいた。佐助はその 隣に並び立ち、同じように空を見た。暫くそうして無言のまま空を、星を見ていた。
 佐助は、ここは星がよく見えると言った小十郎の言葉を思い出す。確かにこの場所から見る星々は下の町から見るそれとは比べ物にならない程に美しく輝き煌いている。しかしそれが居を移す程の理由のになり得るだろうか。
 佐助が横目で小十郎を見遣ると、小十郎は天を仰いだままぽつりと呟いた。
「俺は、ついに……兆しを見つけたかもしれねえ」
「兆し……?」
 問い返した佐助に小十郎が顔を向けたその時、二人の背後から声がかかる。
「二人して何やってんだ、こんなとこで」
 振り返ると戸口に政宗が立っている。それを見て小十郎は顔色を変えた。
「なりません政宗様、夜風に当たられてはお体に障ります」
「何言ってやがる、俺が感じられる風なんて夜風しかねェんだぜ」
 ふっと皮肉な笑みを浮かべる政宗に、小十郎は続けようとしていた言葉を飲み込んだ。と、その時、そんな二人の遣り取りを見ていた佐助の表情が一瞬にして強張った。ただならぬ気配を察知したのである。
「片倉の旦那、独眼竜、囲まれてるぜ。忍が十人前後……なかなかの手練と見た」
 小十郎と政宗の顔に同時に緊張が走る。三人は自然と背中合わせになり、佐助は二体の分身を作り出し前方に配置した。そして招かざる来訪者が姿を見せるのを待った。
 数刻も経たぬうちに、張り詰めた空気の中を音もなく忍らしき風体の者が十人ほど姿を現した。三人を取り囲み、少しずつではあるが確実に間合いを詰めてくる。
 明らかに三人を狙ってはいるものの、殺気はまるで感じられない。佐助の言ったとおり、相当に腕の立つ者らしい――――小十郎の額を冷たい滴が伝った。佐助は大手裏剣を携行しているが、小十郎と政宗は丸腰なのである。己の身を挺してでも政宗を守る、そう小十郎が覚悟を決めると同時に忍は首魁らしき者の合図と共に一斉に躍り掛かってきた。
 佐助と分身達の手裏剣が忍を切り裂き、小十郎や政宗は丸腰ながらも忍刀を上手く避けつつ応戦した。しかしやはり数に差がある上に三人中二人は素手である、やがて三人はじりじりと崖際に追い詰められていった。
 東の空に瞬いていた星が薄れかけている。間もなく夜が明ける。政宗はちらりと足元の崖の下を覗いた。険しい岩肌の谷間の底は暗く見えない。
「Listen to me!」
 政宗は二人に聞こえるよう声を上げた。
「こいつらの狙いは俺だろう。だからお前らは、」
「馬鹿を仰いますな!」
 小十郎は政宗より一際大きな声でそれを遮った。
「主君を、政宗様を敵に差し出すなど、この小十郎に出来るとお思いか!」
「俺様だって、むざむざあんたを引き渡したりなんかしたら、それこそ真田の旦那に殺されちまうってもんだぜ」
 佐助も小十郎に同意する。
「小十郎……猿飛……」
 その間も忍の攻撃は容赦なく繰り出される。そして政宗が上段から振り下ろされた忍の刀を躱し身を翻した、その時である。不意に政宗が右足をついた地面が崩れ、平衡を失った政宗の体は崖へ傾いていく。
「政宗様!」
 小十郎は崖縁にしがみつき、もう片方の手で宙に浮いた政宗の手首を掴み、すんでの所で転落を食い止めた。そしてあらん限りの力を絞り出してどうにか政宗を引き上げようと試みるものの、如何せん片手ではままならず、政宗の重みで小十郎の体もまた崖へと一寸刻みに引き寄せられていく。崩れた部分から小石が音を立てて暗い谷底へと呑み込まれていった。このままでは――――小十郎の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
 放せ、という政宗の言葉に厳しい顔でかぶりを振りつつも、現状を打破できる術のない小十郎の胸中は絶望に支配されようとしていた。
それは佐助も同じだった。多勢に無勢な上に崖縁の二人を庇うかたちで応戦している佐助は、小十郎に手を貸す余裕などある筈もなく、忍に反撃するどころかその攻撃を二体の分身と共に跳ね返すのに手一杯だった。避ければその刀は後ろの小十郎に振り下ろされるのである。
 腕を斬りつけられた佐助が小さな呻き声を漏らした。その声に振り向いた小十郎は、空が白み始めているのに気がつき、突然その胸に新たな希望が芽生えた。小十郎は政宗を見下ろし、そして遠く崖の向こうへ目を向けた。雲の輪郭が真珠色に彩られている。政宗はその視線を追うように空を見上げた。
 夜が明け始めている。だが太陽はまだ地平の下にある。小十郎は祈るような気持ちで日の出を待った。政宗の手を掴む腕は既に限界を超えており、今にも肩の関節から抜けてしまいそうで、感覚がなくなりつつある掌は汗で濡れている。政宗の手首が小十郎の手から滑り始めた。一寸、そして一寸。政宗はもういいとでも言いたげに諦観の混じった笑みを浮かべ首を振り、小十郎の目に焦りと絶望の色が浮かんだ。政宗の手が更にずるりと滑り落ちていく。そして遂にその手は小十郎の手から離れ、政宗の体は薄暗い谷底へと落下していった。
「政宗様……政宗様――――!!!」
 小十郎の手は空を掴み、絶叫が谷間に谺する。それを聞いた佐助は事態を悟り、歯を食い縛った。打ち倒された二体の分身が薄闇の中で掻き消えた。
 しかし、夜明けの薄明かりの中で墜落していく政宗の体に、地平の彼方から今まさに姿を現した暁の太陽の光が突如差し掛かったのである。
 小十郎が片手をかざし眩しいその光を遮ったのと同時に、政宗の体は鷹へと変貌を遂げ、天と地の間で翼を羽ばたかせた。そして地上へ激突する寸前、鷹は風の流れに乗って上昇し始めた。
「政宗様……!」
 小十郎は安堵の思いに目を潤ませながら鷹が飛び去っていくのを見送ったのだった。
 しかしこれで窮地を脱した訳ではない。依然忍の攻撃は続いている。一人で応戦してきた佐助の疲労はとうに限界を超え、ずっと政宗の手を掴みその重みを片手で支えていた小十郎も同様である。二人が死を覚悟した、その時だった。
 突如、忍の背後から肌を灼くような熱風が吹き抜けた。そして巻き上がる紅蓮の焔と共に、朝日を浴び人の姿に戻った幸村が現れた。忍の一人は燃え盛る槍に貫かれ、それを見た残りの忍は形勢が一気に不利になったのを見て取ったのか現れた時と同じように音もなく姿を消した。
「真田の旦那……!」
「片倉殿が政宗殿の名を叫ぶのが聞こえたような気が致した故、よもやと思い参った次第」
 思わぬ幸村の助勢により絶体絶命の危機を免れた二人は胸を撫で下ろし大きく息を吐いた。
 幸村は小十郎に向き直ると、じっと小十郎を見た。それを受け小十郎も幸村を見返した。
 幸村は徐に深々と頭を下げる。
「片倉殿、お久しゅうござる。此度は世話になり申した」
 幸村が頭を下げたのは、今回の件に対する礼だけではなかった。この二人がこうして顔を合わせるのは約五年ぶり、あの安土城の一件以降初めてのことである。幸村は政宗があの一件で奥州を離れるのを余儀なくされたことに対し己に責任を感じていた。あれ以来幸村は己の弱さを何度悔いたことだろう。己がもっと強ければ、あの場で光秀を討つことが出来ていれば、自分も政宗もこのような忌まわしい呪いを受けることもなかったのだ。政宗という主君を失った小十郎の心痛は計り知れない。幸村は小十郎に対し申し訳ない気持ちで一杯だった。
 それを知ってか知らずか小十郎は幸村の肩を軽く叩き、僅かに笑んだ。



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2011.11.03







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