夜が明けて日が暮れて、そしてまた夜が明け日が暮れる。
 熱が下がらぬまま眠り続けている政宗を、小十郎はずっと傍で見守り続けた。
 佐助は昼のうちだけでも幸村のところへ戻ろうかとも思ったが、庵で待っていろという幸村の指示を守り、捜しに出ることはしなかった。手負いの幸村が心配ではあったが、夜になると風に乗って聞こえてくる虎の咆哮でその無事を知ることができた。

 暗い淵に沈め込まれていた意識が引き上げられる感覚に、政宗ははっと目を開けた。視線を落とし、自分が人の姿をしていることを確認し溜息を落とす。どうやらまた夜が来たようだ。
 あれから何度同じことを繰り返してきただろう。毎日毎日、人間の姿を失う際はもしかすると二度と人に戻れぬのではと怯え、そして人に戻り安堵する、その繰り返しである。
 幸村もまた、夜が来る度、そして朝が来る度、自分と同じ思いを味わっているのだろうか――――。
 政宗は視線を巡らせ、今いる場所が小十郎の庵であるのを認識する。
 呪いを受けた当初、幸村は自分達に降り掛かった呪いのことを武田には知らせなかったようだが、国主であった政宗はそうもいかなかった。頂点に立つ者が生死もわからず不在のままでは国は混乱を来たし、そのような状態が続けば近隣国に蹂躙されるのは時間の問題である。それは是が非でも避けねばならなかった。政宗には、それまで自分に命を預けついてきてくれた伊達軍の全兵に対し責任がある。政宗は小十郎にだけ自分の置かれた状況を詳らかに話した。腹心の小十郎には全幅の信頼を寄せている。彼ならば政宗不在の奥州を守ってくれる筈だ、そう思ったのだった。
 小十郎は天下が徳川のものとなって暫くしてからここに居を移した。政宗はここには一度だけ来たことがある。この場所は幸村にも文を残して伝えてあった。天海の軍勢と戦い負傷した幸村は、手負いの鷹――政宗を同行していた佐助に託し、ここに来るよう指示したという。
 体を動かした途端肩に走った激痛に顔をしかめる。同じく傷を負っているらしい幸村が気になった。幸村程の者がそう易々と手傷を負わされる筈がない、鷹である自分が射抜かれたことにより幸村の足枷となったのではないか――――そう思うと気が気ではなかった。

 失礼致します、という言葉と共に襖が開き、小十郎が入ってきた。
「政宗様、お加減は如何にございますか」
「I'm alright. 大丈夫だ」
 小十郎はすっかり熱の下がった様子の政宗に胸を撫で下ろした。その隻眼は鋭さを取り戻している。
 政宗の前に腰を下ろした小十郎は、居住いを正して端座すると、畳に手をつき深々と頭を下げた。
「改めまして……お久しゅうございます、政宗様」
「おいおい、そう畏まるこたァねェよ。今の俺はもう奥州筆頭でも何でもねェ、ただの流れ者だぜ」
「先日も申し上げましたとおり、この小十郎の主君は貴方様をおいて他にございません」
 真剣な面持ちで言う小十郎に、政宗は笑みを漏らした。
 それから奥州の現状について話した後、小十郎は政宗がここに来ることになった経緯を語った。幸村が慈眼院を狙っていることを聞くと、政宗は眉根を寄せ訝しげな顔をする。
「なんで、寺の坊主なんざ……」
 そんな政宗を見て、小十郎は目を瞠る。
「政宗様は、真田からは何も?」
「ああ。幸村の奴、俺に黙って何やらかそうとしてやがる……!」
 険悪な顔つきになった政宗に、小十郎は佐助が今この庵に来ていることを告げる。
「猿飛は真田と行動を共にしているようです、あの者に聞いてみては」
「……そうだな。悪ィがアイツと二人きりにしてくれるか」
「御意」

 小十郎が退室し、間をおいて佐助が入ってきた。
「お呼びかい?」
「昨日は世話ンなったみてェだな。不本意だが、礼を言うぜ」
「ちょ、よしてよ、あんたらしくもない」
 慌てた様子で顔の前で手を振る佐助に政宗は笑った。
「お前、俺と幸村のことは聞いてるな」
「ああ、片倉の旦那から聞いたよ。どうにも信じ難い話だけど、この目で見ちゃったしね」
「今は、幸村は?」
「ここに来るよう誘ったんだけど、遠慮しとくってさ。まぁ近くにはいると思うけど」
 そうか、と目を伏せた政宗は、佐助にはどことなく淋しげに見えた。
「……で、俺様に訊きたいことって?」
 政宗は何故幸村が慈眼院を狙っているのかを問うた。佐助は政宗がそれを知らされていないことに驚きを隠せなかった。しかしその理由にはすぐに思い当たる。政宗の性格からして、天海が明智光秀だと知れば政宗は間違いなく自分の手で天海を討とうとするだろう。二人が共に人の姿を保てない以上、どちらか一人にしかそれは為し得ない。幸村は自分が天海を討つことを望んだのだ。そこには政宗を危険な目に遭わせたくないという意図があったのかもしれない。
 佐助は逡巡する。幸村の狙う天海の正体を政宗に話して良いものか――――考えあぐねていると政宗は凶悪な目つきで佐助を睨んでくる。
狙いが慈眼院にあるのを知ってしまった以上、やはり話さない訳にはいかないだろう。すまねえ、真田の旦那――――佐助は幸村に聞かされたことを全て政宗に話した。
「Bullshit!あの明智の野郎が坊主に成り済まして寺に篭ってるだと!?……そんで幸村の奴はそれを俺に知らせず一人で明智をやっちまおうって腹かよ。どいつもこいつもナメた真似しやがって……!」
 ぎりぎりと拳を握り締め、力任せに畳を打った。その途端肩の傷に激痛が走り、思わず手で肩を押さえる。
「ちょっ、そんな怒んないでよ。真田の旦那には真田の旦那の考えがあるんだよきっと。それより……自分が慈眼院に乗り込もうなんて考えないでよ。昼はともかく、夜は尋常じゃない警備なんだぜ」
 チッと舌打ちし、政宗は佐助から視線を逸らした。忌々しげな面持ちで眉をしかめた政宗は、それきり黙ったままである。
 気まずい沈黙が流れる。佐助は場の空気を変えるべく切り出した。
「そうそう、あんたに伝言があるんだけど。……真田の旦那から」
「幸村から!?」
 政宗はすぐさま目の色を変えて佐助を見た。佐助は一呼吸置いて幸村からの伝言を伝えた。
「たとえ離れていても、この幸村の心は貴殿の傍に――――だってさ」
 それを聞いた政宗は一瞬呆気に取られたような顔をし、そして目を伏せると、そうか、とただ一言呟いた。少し間を置き、再びそうかと呟いた。二度目に呟いた際、政宗の表情が和らいでいるのを佐助は見逃さなかった。
 佐助は以前の政宗を思い返す。幸村と二人して消息を絶つ前は、よくこうして政宗に幸村からの文や贈り物を届けたものだ。政宗は佐助には無愛想な態度を取りつつも嬉しさを隠せない様子だった。今の政宗からもその時と同じ気配が感じ取れる。政宗の幸村に対する想いも以前と変わっていない、佐助はそう確信したのだった。
 政宗は佐助から聞いた幸村の言葉を胸中で何度も反芻した。思えば、あの忌まわしい呪いを受けてからというもの、幸村の思いを文で目にするのではなく肉声で聞くのは、たとえ他者の声とはいえこれが初めてなのである。とうに忘れていた温かい気持ちが甦ってくるのを感じていた。
「お前、幸村と一緒に行動してるんだってな」
「そうだけど」
「昼間の幸村の様子を……教えてくれねェか」
 政宗らしからぬ殊勝な物言いに面食らった佐助が目を丸くして政宗を見返すと、政宗は少しばつが悪そうに目を逸らし、胡坐をかいた膝の上に頬杖をつく。
 佐助の目は、もう丸五年も太陽の温もりを感じたことのないその白い手首に留まった。
 朝になったら目を覚ます――――そんな至極当然のことが政宗には有り得ないのだと、佐助は今更ながらに気づいた。獣の姿でいる間ははっきりした意識はない、と幸村は言っていた。政宗もそうなのだろう。政宗は幸村の声を聞くこともできなければ、顔を見ることもできない。太陽を見ることもなく、色彩に溢れた昼間の世界から隔絶され、想いを寄せる相手に触れることすら叶わず、そしてそんな日々に果たして終わりがくるのか否か、それすらわからぬまま過ごしてきた政宗の五年間を思うと、改めて二人に課せられた運命の苛酷さに胸が痛んだ。
 喉のつかえを飲み下し、佐助は再会してからの幸村の様子を話して聞かせた。政宗は佐助の一言一句を噛み締めるように聞いていた。そして天海の軍勢と乱戦になった際のことを話した。
「真田の旦那は、鷹が……あんたが射抜かれると血相を変えて、是が非でも助けてやってくれって俺に預けたんだ。あんなに切羽詰った様子の旦那は、初めて見た」
 それを聞くと政宗は顔を上げ佐助に目を向けた。その金色の隻眼は、微かにではあるが揺らいでいた。



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2011.10.30






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