月の光が静かに庵に降り注がれている。辺りは静まり返り、聞こえてくるのは虫と梟の鳴き声くらいだった。
 と、谷を挟んだ向こう側の崖に一頭の虎が片肢を引き摺りながら姿を現し、木々の間からじっと庵の様子を窺い始めた。厚い毛に覆われたその体の肩と後肢には乾いた血が黒くこびりついている。刺すような夜風の中、疲れ切った様子の虎はそこで夜を明かすつもりのようである。
 頭を上げ天を仰ぐと、中天にかかる下弦の月に向かって苦悩に満ちた吼え声をあげた。

 庵の一室で、小十郎と佐助は向かい合って座していた。二人の間に置かれた盆には、大きめの徳利と盃が二つ。徳利には小十郎の手製の濁酒が満たされている。
「片倉の旦那、さっきは、その……」
「それはもういい。猿飛、てめえ……どこまで知ってる」
 探るような目を向ける小十郎に、佐助は幸村と再会してから今に至るまでの経緯をざっと話し、そして問うた。
「あの鷹が……独眼竜なのかい」
 と、そこへ開け放たれた窓から風に乗って虎の咆哮が聞こえてきた。気遣わしげに窓の向こうの夜闇に目を向ける小十郎に、佐助は自分の推論を投げ掛ける。
「あれは、この間独眼竜が連れてた虎だ。あの虎は――――」
 そこで一旦言葉を切った佐助は小十郎を見据えた。小十郎は真っ直ぐに佐助を見返してくる。その双眸に佐助は確信めいたものを感じた。
「――――真田の旦那、なんだろ」
 小十郎は二つの盃に濁酒を満たし、片方を佐助に勧めた。しかし佐助はそれに手をつけず、じっと小十郎の言葉を待った。小十郎は濁酒で唇を湿らせると、意を決したように口を開いた。
「そこまで勘付いちまってるなら、全てを話すしかねえようだな――――政宗様と真田の身に降り掛かった、災いのことを」
 それから小十郎の語った内容は佐助の想像の域を遥かに超えていた。
 五年前、安土城。二人で織田信長を倒すと意気込んでその天守に乗り込んだ政宗と幸村は、激戦の末、魔王を討ち果たした。と同時に天守に現れた人物がいた。織田軍の武将・明智光秀である。織田に属しているにも関わらず主君である信長の命を狙いやって来た光秀は、既に事切れているその亡骸を目にし大いに嘆き悲しんだ。心酔するあまり、自分がその手で命を奪うことを夢見てきた光秀にとって、既に信長が他者の手によって討たれているという現状は到底受け入れがたいものだったのである。そしてその恨みは当然の如く信長を討った政宗と幸村に向けられた。はじめは二人を殺そうとした光秀だったが、信長との死闘で満身創痍の二人が互いに庇い合うのを目にし二人の仲を察した光秀は、闇の力を利用し二人に死よりも重い呪いをかけた――――。
 そこまで話すと小十郎は再び盃を口に運んだ。
「それがあの獣の姿、ってわけかい……」
「ああ。政宗様は昼間鷹に、夜は真田は虎に……獣の姿でいる間、二人に人としての記憶があるのか否かは俺にゃ判りかねるが、ずっと一緒にいるってことは、全くねえ訳でもねえんだろうな……」
 以前の佐助ならば、馬鹿げた作り話と一笑に付しただろう。小十郎の語った内容はあまりにも常軌を逸している。しかし佐助はそれを目の当たりにしたのである。それに与太話の類を誰よりも嫌うのが小十郎なのだ。
 佐助は呪いを受けてからの二人を思った。幸村が人の姿でいられる間、政宗は鷹で、政宗が人の姿の時は幸村は虎である。この世に太陽が、昼と夜が存在する限り、想い合う相手と共にいながらも生身で触れ合うことすら叶わない。この五年間という長い歳月そのような状態で過ごしてきた二人の悲哀は佐助の想像を遥かに超えたものだっただろう。
 佐助は政宗と会った晩のことを思い返す。政宗は言っていた。自分が幸村と一緒にいることは、天と地がひっくり返っても有り得ないと。その意味と、政宗の昏く冷たい目の理由を今漸く理解した。
 佐助は盃に手を伸ばすと、並々と注がれている濁酒を一気に呷った。酒を嗜む方ではないが、飲まずにいられない気分だった。
「その明智を殺せば呪いは解けるんじゃないの?」
小十郎は静かに首を横に振る。
「調べて判ったことだが、闇の力でかけられた呪いは、かけた者が死ぬと解けるものと、かけた者が死ぬと二度と解けねえものとがあるそうだ。明智の野郎がかけた呪いがそのどっちなのかまではわからねえ。政宗様は俺に奥州を頼むと言い残され、虎――真田と連れ立って旅に出られた。呪いを解く方法を探す為に」
「そうだったのか……ま、明智も行方不明だしね。ところで、片倉の旦那は奥州離れてこんなとこに住んでていいのかい」
「天下が徳川の世となって以来、奥州は政宗様の従弟の成実様が筆頭代理として統治されている。成実様は政宗様ほどじゃねえが人の上に立つ器量はある方だ、戦のねえ世となった今、俺が奥州にいてもいなくても変わりはねえ。俺はここに居を移し、古い文献を紐解いて呪いを解く方法を調べている」
「なんでここなわけ?奥州ででもできるんじゃ」
「俺が調べ物をすることで万が一政宗様のことが他の者に勘付かれちゃあまずいだろう。それに、ここは――――星がよく見える」
「星ぃ?」
 思いがけぬ答えに素っ頓狂な声をあげた佐助に小十郎は小さく笑みを漏らした。
「今日はもう遅い、泊まっていけ。この部屋使っていいぞ」
 そう言って小十郎は盆を手に部屋を出ていった。

 一人になった佐助は立ち上がり、窓枠に寄り掛かって外の闇を見つめたが、再び虎の咆哮が聞こえてくることはなかった。



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2011.10.17








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