山の中腹から裾野まで移動した佐助は、そのあまりに異様な光景に息を飲む。
 一目で天海の私兵とわかる灰色の具足に身を包んだ足軽が、ざっと三百はいるだろう。これから合戦でも始まるかのような軍である。数にものを言わせて山狩りをするらしい。しかし、武将一人と忍一人に対してのこの動員は常軌を逸している。
 たかが忍風情にここまで兵を割くとは思えない。あの時逃げ帰った衛兵が幸村の名を出したことによるものなのだろう。
 一体、真田の旦那とあの天海の間に何があったっていうんだ――――訝しみながら佐助は幸村のもとへ戻った。

 鷹の鋭い鳴き声にはっと目を開けた幸村のもとに佐助が戻ってきた。
「旦那!天海の軍勢がこっちに向かってる!すごい数だ!すぐにずらかるぞ!」
 佐助が促すも、幸村は厳しい目で佐助を見据えた。
「逃げるだと……?この幸村が敵に背を向けるなど有り得ぬ、お前もよく知っておろう」
 木に立て掛けてあった槍を掴むと、幸村は佐助が来た方へと歩き始める。
「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!敵は三百はいるんだぜ!」
「佐助、俺が何故あの時追っ手を一人逃がしたと思う」
 足を止め振り返った幸村のその言葉に、佐助は幸村が追っ手を一人逃がした際のことを思い出す。幸村は言っていた。真田幸村が現れたと大僧正に伝えろ、と。
「じゃあ」
「ああ。俺が現れたと知ればあの男はその正体を知る俺を必ずや始末しようとするだろう。そうして差し向けられた兵どもを悉く殲滅し兵力を削ぐ。あの男を確実にこの手で抹殺する為の布石だ」
「だからって、あの数は一度に相手するには多すぎるだろ!」
 佐助の言うとおり、三百超というその数は幸村の予想を遥かに上回る多さだった。それだけ天海が焦りを覚えているということなのだろう。
「ここで尽きるなら、それまでだったということ」
 そう言って幸村は駆け出した。
「言い出したらきかないところは変わってねえな!しょうがねえ、付き合ってやるよ!」
 佐助は慌てて後に続いた。

 山といっても標高の低い丘陵である。さほど時間を置かずして幸村は天海の軍とぶつかった。
 雨のように降り掛かる矢を両手の槍で払い除けながら幸村は突進していく。こうなったら二人で敵兵を全滅させるしかない、幸村の後方で佐助も腹を括った。
 矢の一本が幸村の脚に突き刺さる。鷹が怒りの声をあげ降下してくる一方、幸村は刺さった矢を意に介さず天海の兵を薙いでいく。
 佐助もまた両手に大手裏剣を構え、襲い来る敵兵を切り裂いていった。
 鷹は急降下を繰り返し幸村を援護している。幸村と対峙した兵はことごとくその燃える槍によって打ち倒されていく。圧倒的な数の差を物ともせず敵兵の真っ只中に斬り込み、紅蓮の焔を巻き上げながら次々に敵兵を屠る幸村の闘気の凄まじさにやがて天海の兵の多くは戦意を失くしていった。
 それを少し離れたところから苦々しく見ている者があった。天海直々に幸村と佐助、そして鷹の抹殺を言いつかった、衛兵長である。
 ここでこの二人と一羽を取り逃がせば、始末されるのは自分なのだ。しかし、自分一人が斬り掛かったところで、到底幸村や佐助に敵いそうもない。ならばせめて―――― 後に引けない衛兵長は弓に矢をつがえ弦をぎりぎりと引き絞った。日の傾き始めた空に向けて。
 佐助の耳には鷹の甲高い鳴き声が入らなかったが、幸村はその声を聞き逃しはしなかった。衛兵長の放った矢が、鷹の手羽の根元を貫いたのである。幸村は敵兵を蹴散らしながら空を見上げた。鷹が羽根を散らし翼を弱々しくばたつかせながらみるみる落ちていくのを目にした途端、幸村はまるで自分の心臓を射抜かれたような喚き声をあげた。突然のことに敵兵が驚きたじろぐその向こうに弓を手にした衛兵長が目に入る。
「貴様……貴様ぁぁぁあああああ!」
 幸村は槍を振りかざし、怒りの声をあげながら突進する。その様子に怖れをなした衛兵長は闇雲に幸村に向けて矢を放つ。
 矢は幸村の肩に深く突き刺さり、その衝撃で後ろに倒れ込んだ。はずみで槍は手から落ちて転がり、幸村が激しい痛みに喘いだほんの僅かの間に、衛兵長は追い詰められた者の見せる血走った眼をぎらつかせ、刀を振り上げ幸村の間近に迫った。
 咄嗟に幸村は両膝をついた形で身を起こしたが、槍には手が届かない。思わず目を落とした幸村は、半ば反射的に脚に刺さっている矢を掴み一気に引き抜いた。噴き出す鮮血が手を赤く染める。その矢を握り締めたまま幸村は振り下ろされる刀をすんでのところで躱し、手にした矢の鏃を相手の胸に突き刺した。その矢によって心臓を貫かれた衛兵長は、何が起こったのかわからないといった表情で、地面に倒れ伏す前に絶命していた。
 幸村が立ち上がり視線を巡らせると、まだ生き残って幸村と佐助を取り囲んでいた兵はじりじりと後退し始め、そして一斉に逃げ出した。
 幸村の脚の矢傷からはどくどくと血が溢れ出ている。止血を、という佐助の言葉に耳を貸さず、死体の間を縫うように鷹が墜落した方へと足を引き摺っていった。
 鷹は地面に転がっていた。血まみれになった翼の根元に矢が突き刺さっている。幸村を見上げた鷹の目は激しい痛みを訴えているようだった。
 幸村は膝をつき、震える手でそっと鷹を抱え上げる。脚の傷から流れ出る血がたちまち地面に血溜まりをつくったが、今や幸村は己の苦痛など全く感じていなかった。鷹の傷を調べてみると、思いのほか深手である。幸村の両眼からひと筋、涙が頬を伝った。
 ふと目の前が陰り、顔を上げると佐助が立っていた。そして佐助の遥か向こう、西の方角に、熔けた鉄のような色をした太陽が輪郭を滲ませ浮かんでいる。
 幸村は鷹を抱えたまま立ち上がり、そして鷹を佐助に差し出した。
「頼む。面倒を……見てやってくれ」
 佐助は驚いて顔の前で手を振った。
「なんで俺様が……ていうか、その傷じゃあ……。一思いに、楽にしてやった方がいいんじゃないの……」
 幸村は佐助のことばに固く目を瞑りかぶりを振る。
「ならぬ、それは決してならぬ……!是が非でもこの鷹を助けてやってほしい。よいか佐助、この山を越えた向こうの崖に庵がある。そこにいる御仁のところへ鷹を連れて行ってほしい。真田幸村の鷹だと言えばわかる故」
 佐助は幸村の切羽詰った様子に気圧され、仕方なく鷹を受け取った。
「旦那はどうするのさ。旦那も一緒に、」
「時間がないのだ、佐助。この脚ではまともに歩くことさえままならぬ。お前ならひと山越えるくらいあっという間であろう。なんとしても日没までに辿り着くのだ。さあ、早う!」
 佐助は用心深く鷹を小脇に抱えると、追い立てられるようにその場を後にした。
 佐助の姿は一瞬のうちに見えなくなった。普段の彼なら馬より早く走るのもわけはない。しかし今は手負いである。どうか間にあってくれ――――幸村は祈るような気持ちで一杯だった。
 幸村は肩に手を伸ばした。衛兵長の射た矢が刺さったままである。幸村は一気にその矢を引き抜いた。凄まじい痛みに顔をしかめるも、幸村の目はずっと佐助が去った方へ向けられていた。



   次へ  戻る



2011.09.27







×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -