江戸の外れに建てられた寺院、慈眼院。門からは石畳の敷き詰められた広く長い道が伸び、その先の階段を上ると本堂に突き当たる。絢爛な装飾の施された入母屋破風の屋根を持つその本堂の一室で、大僧正・天海は花を生けながら近衛兵長の報告を受けていた。大僧正とは僧の中で最高位の僧位である。
「地下牢から逃げ出した者を捕らえることはできたのですか」
 口調の穏やかさとは裏腹に冷徹な響きを含むその声に、衛兵長の額から汗が滴り、畳に落ちる。
「いえ、まだ……捕らえるには、至っておりません……」
「それなのに貴方はこの私の前に姿を現したのですか」
 天海は頭を下げる衛兵長を冷ややかな視線で見下ろした。
「は……、そ、それが……その逃げた者に協力者があったらしく、差し向けた兵は全て打ち倒されまして……」
「それで?」
「命を取り留めた者の報告によると、その協力者というのが、以前甲斐の武将であった、真田幸村であるらしいと……」
 真田幸村――――その名を聞いた途端、天海は弾かれたように花を生ける手を止めた。
「虎の若子……そうですか、遂にここまで辿り着きましたか……」
 クククッ、と喉の奥からくぐもった含み笑いを漏らし、手にしていた花を片手でへし折った。
「鷹も一緒でしたか?」
「は?」
 予期せぬ質問に顔を上げた衛兵長は、天海の冷たい視線が自分に向けられているのを見て慌てて視線を逸らす。
「彼は、鷹を連れている筈ですよ」
「いえ、そこまでは確認が取れておりません」
「脱走者と真田幸村……そして、共にいる筈の鷹も、殺しなさい」
 天海は生けたばかりの花に鋏を入れ始める。萼の根元から切り落とされたいくつもの花冠が畳の上に散っていく。
「わかっていますね、もし取り逃がすようなことがあれば……私は貴方の葬儀を執り行うことになるでしょう」
 畳に転がった花冠が自分の首を落とされた様と重なり、衛兵長は背筋を震わせる。
「はっ、必ずや仕留めてご覧にいれましょう……!」
 衛兵長は切羽詰った面持ちで部屋を後にした。



 明くる日、佐助と幸村は山の中を進んでいた。
 鷹が木々すれすれに翼を羽ばたかせ上昇する様を見上げながら、佐助は昨夜の出来事を幸村に話したものかどうか思案していた。
 数年ぶりに幸村と再会したその日に政宗に出くわすなど、出来すぎている。今思えばあれは夢の中の出来事だったのではないかという気がしていたのである。
そして、幸村の名を出した際の政宗の反応――――あのぞっとするような昏い目。夢でなかったとするなら、二人の間には深い溝がある。
 結局佐助は言わずにおくことにした。
 それから暫く山道を進み、二人は大きな木の根元で休息を取った。
「旦那、そろそろ話してくれない。あんたの目的を。狙いはあの慈眼院にあるんだろう」
 腰を下ろした幸村の隣に佐助も腰掛ける。
「目的、か……そうだな、協力を頼んだお前には話しておかねばな」
 幸村は険しい顔つきで慈眼院のある方角を見据えた。その双眸には憎悪に燃える昏い炎が宿っている。
「男を一人……殺すことだ」
「男って、まさか」
「然様。江戸入りとともに大僧正の位に就いた、南光坊天海。俺の目的は奴を殺すことにある」
 佐助は幸村が自分の同行を許した理由を悟った。慈眼院の地下道から逃げおおせた自分に、忍び込む手引きをさせようというのだろう。
「命を落とすことになるやもしれぬ。 無理強いはせぬ、お前はお前の居場所へ戻ってよいのだぞ。お前が俺に仕えていたのも昔の話だ――――今は何の義理もあらず」
「何言ってるんだい、旦那。ほんと水臭いったらないね。大体俺様が忍の里から受けた依頼も天海大僧正の暗殺だったんだから、こうなりゃ一蓮托生ってもんだぜ。お供しますよ――――昔みたいにさ」
「かたじけない……礼を言うぞ、佐助。傷が癒えれば決行するとしよう。ただ、一つだけ問題がある」
「問題?」
「俺は……お前に払うべき給料を、持ち合わせておらぬのだ」
 佐助は、こちらに真顔を向ける幸村に少し驚き、そして笑った。幸村もまた、昔を懐かしむような目で笑顔を見せた。
 それからほんの一時、まだ幸村が甲斐にいた頃の昔話に花を咲かせた。幸村と信玄の殴り合いで屋敷が倒壊したこと、漢祭の道場で佐助の変装に幸村が全く気づかなかったこと――――。それらがまるで昨日の出来事のように脳裡に蘇り、胸を締めつけるような郷愁と懐かしさが二人の心中に去来するのだった。
「旦那……目的を果たしたら、その後どうするんだい」
 幸村は佐助の問いには答えず、地面にごろりと横になる。
「少し仮眠を取るとしよう。お前も昨夜は碌に寝ておらぬのだろう、少し眠るが良い」
 佐助は幸村の提言に目を剥いた。
「そういうわけにいかないでしょ!天海の手下に見つかったらどうすんの!」
「案ずる必要はない、鷹が見張りをしてくれる」
 幸村につられて空を仰ぐと、弧を描きながら降りてきた鷹が木の枝に留まった。
 幸村の言葉から、鷹に寄せる並ならぬ信頼が窺える。この五年もの間、ずっとこうして鷹に見張りをさせながら一人で露宿を繰り返す旅を続けてきたのだろうか。天海への憎悪を胸に抱きながら――――。幸村の中に巣食う闇の深さを思うと、甲斐にいた頃の幸村との落差に心が痛んだ。
「ちょっくら追っ手の動向を探ってくるよ。傷ならもう大したことないし、旦那はここで待ってな」
 幸村が止める間もなく、木に飛び乗った佐助は木から木へと跳躍しあっという間に姿が見えなくなっていき、その様子を鷹が不思議そうに見送った。



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2011.09.22









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