気づけば辺りはすっかり夜の闇に覆われていた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。追っ手から夜通し逃げ続け、昨夜は一睡もしていないのだから無理もない。
 いつの間にか脇腹の痛みは大分治まっていた。この分なら治りは早そうだ。
 佐助は辺りを見回した。ここで待っているよう命じ、日没前にどこかへ行った幸村はまだ戻ってきていない。
 ひっそりと静まりかえった夜闇に、焚火が煌々と辺りを照らしている。ぼんやりとそれを見つめながら考えを巡らせた。
 はじめは佐助と別れようとした幸村は、佐助が地下道を通って逃げてきたことを知るや否や、佐助の同行を許した。ということは、幸村の狙いはあの寺院にある筈だ。
 天下分け目の戦を制し征夷大将軍の位を得て天下人となった徳川家康は、江戸に城を築き、そこに居を移した。その際、城下に寺院が建立された。慈眼院と名づけられたその寺院は、家康の側近、南光坊天海という僧侶の為のものである。その僧の出自は謎に包まれていた。以前は西国にいたらしいということ以外、一切の経歴は不明である。いつ家康の側近として取り上げられたのかも定かではない。唯一つ言えるのは、慈眼院は尋常でなく物々しい警護に守られているということだ。なにせ数多の忍の中でもかなりの手練であり、忍の里でも一目置かれている佐助が捕らえられる程なのである。
「きな臭え匂いがプンプンするぜ……」
と、独り呟いたその時。枯れ枝の折れる固い音がした。
 常人ならば耳を掠りもしない程の小さな音だったが、優れた忍である佐助がそれを聞き漏らす筈もない。すぐさま近くの木の上に飛び上がった。
 感覚を研ぎ澄ませた佐助は人の気配を察知する。しかしそれは幸村のものではない。一人でゆっくりと歩いていることから、追っ手でもなさそうだ。
 こんな夜更けに一人で林の中を歩くなど――――気になった佐助は気配を殺してその者の近くの木の枝に飛び移り、そして息を飲んだ。
 それは佐助のよく見知っている人物だった。五年前のあの日、幸村と同時に安土城から忽然と姿を消した、独眼竜・伊達政宗。
 佐助は目を疑った。幻でも見ているではないかと首を勢いよく左右に振り、再びその者を見遣るもそれは紛れもなく伊達政宗その人である。
 幸村と同じように、彼もまた生きていたのだ。佐助が声を掛けるべきか思案していると、突如政宗がこちらを向き、振り向き様に小石を放った。一瞬の出来事だった。咄嗟に顔前でそれを受け止めた掌に、突き刺さるような痛みが走る。並みの者ならば眉間を打たれ命を落としていただろう。
「こそこそと覗き見てねェで降りてきやがれ」
 その目聡さは相変わらずだ。見つかったのなら仕方がない、佐助は意を決して政宗の前に降り立った。着地した瞬間、脇腹の傷が痛んだ。
「お前……武田の忍じゃねェか」
 政宗は心底驚いた様子でその隻眼を丸くする。
「驚いたのはこっちだって。独眼竜、あんたも……生きてたんだな」
「“も”ってなんだよ。他に誰か……お前、まさか……会ったのか。アイツに」
「そのまさかだよ。まったく、真田の旦那に独眼竜に、死んだと思ってた人に立て続けに会うなんてね。 ……で、こんなところで何してんの」
「散歩だ、見りゃわかるだろ」
「こんな夜更けに山の中を一人で、散歩ねえ……。ところで、真田の旦那とは一緒じゃないわけ」
「……真田幸村には会ってねェ。あの安土城からずっとな」
 そう言って陰のある笑みを浮かべる政宗の顔は白かった。北の国で生まれ育ったせいか元より色白な方ではあったが、今ここで数年ぶりに再会した政宗の白さは透き通りそうな程だった。まるで、もう何年も陽の光に晒されたことがないかのように。
「安土城……五年前のあの時、そこで何があったの。そしてなぜ真田の旦那もあんたも行方を眩まさなきゃならなかったんだ」
「なんだよ、真面目くさった顔しやがって。いつも飄々としてたお前らしくねェな」
 戯けた調子ではぐらかそうとする政宗に、佐助は尚も詰め寄った。
「真田の旦那がいなくなって、お館様も亡くなって、弱体化した武田は徳川に滅ぼされた。俺様には聞く権利がある筈だ」
「それでも、お前にゃ関係のねェ話だ。第一俺がそれに答えてやる筋合いはねェ」
「……何があったのか、言いたくないならそれでもいい。でもあんたは知ってたんだろ、真田の旦那が生きてることを。二人して行方を眩ましといて、なぜ行動を別にしてるんだ。以前のあんたらは、あんなにも――――」
「Shut it up!!」
 捲くし立てる佐助を遮り、政宗は俯いた。白い顔に影が落ちる。
「お前に……お前なんかに何がわかるっていうんだ」
 その声のあまりの悲痛さに、佐助は続けようとしていた言葉を飲み込んだ。
佐助は、幸村と政宗が互いに生きていながら共にいないことに大いに納得がいかなかった。というのも、以前の二人は互いに腕を認め合った好敵手というだけでなく、恋仲でもあったからなのである。
 佐助の知る限り、二人の仲はとても睦まじいものだった。幸村から政宗への文や贈り物を何度も奥州の政宗のもとへ届けさせられ、また復路は政宗から幸村への文や贈答品を持たされ、そうして一番近くで二人を見守ってきたのが佐助なのである。この五年間に何があったのかは佐助の与り知らぬところだが、今の幸村や政宗の状態は腑に落ちない。何か退っ引きならぬ事情があるに違いない、と佐助は感じていた。
「話してくれよ。俺様にできることなら」
 そう言って佐助が政宗の肩に手を掛けようとした、その時である。木々の向こうから、低く唸る獣の声が聞こえた。その唸り声は辺りに響きながら近づいてくる。そうして姿を現したのは一頭の大きな虎だった。佐助に向かい、鋭い牙を剥く。
 佐助は大手裏剣に手をかける。一撃で仕留められるか――――冷たい汗が一筋、額から頬へ伝った。
 しかし政宗は、緊張を走らせる佐助とは対照的に別段慌てるでもなく、あろうことか虎に手を差し伸べその頭を撫でる。
「Take it easy、コイツは敵じゃねェよ……よしよし、Good boy」
 政宗の手に頭を摺り寄せ喉を鳴らすその虎は随分と政宗に馴れているようだった。
「知り合い……なわけ?」
 驚きを隠せない佐助を見て、政宗は笑った。
「ま、唯一の連れってとこだな」
 その背を撫でながら再び虎に戻された視線は、大切なものを慈しむような、それでいてどこか諦観を含んだような、複雑な色を内包している。
 思えば日中幸村も鷹に対し似たようなことを言っていた。
 あの日、安土城で一体何があったというのか――――佐助の疑問はますます深まるばかりだった。
 政宗は踵を返し、虎がそれに続く。
「これから、どこへ行くんだい。奥州には戻らないの」
「さァな」
「ここにいな、独眼竜。じきに真田の旦那もここへ戻ってくる。あんたも一緒に」
 そこで振り向いた政宗の隻眼を見て、佐助は背筋に戦慄が走るのを感じた。
「俺が、幸村と、一緒に――――だと?」
 これまで幾度も修羅場を潜ってきた佐助でも、そんな昏い目は見たことがない。見る者全てを凍てつかせるような、ぞっとする冷たさ。そして微かに混じった、悲しみの色。
「それは、たとえ天と地がひっくり返ったって有り得ねェ」
 そう言い残し去っていく政宗の背中を、佐助は黙って見送るより他なかった。

 その後佐助は結局まんじりともせず一人で夜を明かし、幸村が戻ってきたのは日が昇り始めてからだった。



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2011.09.15








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