山肌に沿ってできる上昇気流に乗り、鷹はゆっくりと弧を描く。長く鋭敏な翼の先端と扇のような形の尾を巧みに繰り、風を受け流し、優雅に飛び続けている。
 その下では幸村と佐助がゆっくりと歩を進めていた。追跡を逃れるべく、山中に分け入ったのである。
 やがて二人は小川の畔に出た。辺りを見回し、他に誰もいないことを確認すると、幸村は佐助の傷口に手当てを施していく。佐助の知っている幸村とは異なる、慣れた手つきだった。
 器用に包帯を巻いていく幸村の手を見ながら、佐助は幸村が行方をくらましてからの数年間を思った。
 血で血を洗う戦乱の世は終わりを告げ、今は天下人となった徳川家康の治世である。共に仕えた武田信玄の病没後、甲斐もまた徳川の統治下に置かれ、真田忍隊は解散となり、忍の里へ戻った佐助はそれからというもの臨時的な雇われ仕事を淡々とこなす日々だった。
 気の入らぬ暗殺で忍び込んだ先の忍に気取られるなどという、およそ佐助らしからぬ失態を犯してしまったのは、張り合いのない仕事を続ける毎日への倦怠から、生への執着すら無くしかけていたのかもしれない。
 幸村は、どんな日々を送ってきたのだろう。佐助は幸村の顔へと視線を移し、思いを馳せる。
 数年前――――第六天魔王・織田信長は安土城の天守で討たれ、その生涯を閉じた。討ったのは幸村と奥州の独眼竜・伊達政宗であろうと目されたが、その真偽は定かではない。というのも、二人で魔王を討たんと安土城へ乗り込んで以降、幸村も政宗も忽然と姿を消してしまったからだ。佐助が安土城の天守へ駆けつけた時には既に二人の姿はなく、信長の亡骸が横たわっているのみだったのである。そこで何があったのかは誰も知る由はなかった。
 真田忍隊が総力を挙げ捜索するも幸村の行方は杳として知れず、そしてとうとう信玄の末期にすら幸村は姿を見せなかった。
 武田の誰もが幸村は既にどこかで死んだものと思っていた。佐助もそうだった。
 それがまさか、こんなところで再会するとは――――。
 包帯を巻き終え、幸村が口を開いた。
「一体どうしたのだ、佐助。お前らしくもない。暫く会わぬうちに腕が鈍ったか」
「ちょっと下手打っちゃってね。地下牢に入れられて、抜け出したまでは良かったんだけど、すぐに追っ手がかかっちゃって」
「そうであったか……俺が通りかかって良かった」
「ほんとビックリだよ。これも巡り合わせってやつなのかねえ。……ところで、あれからどうしてたんだい、旦那」
 佐助の質問に、幸村は暫しの間考え込み、やがて再び口を開く。
「ずっと、諸国を巡り歩いておった」
「あの時、安土城の天守閣で……何があったんだ。独眼竜は一緒じゃないのか?」
 幸村は黙ってゆるゆるとかぶりを振った。そこには訊くなという拒絶の意思が窺えた。
「……お館様は、最期に旦那に会いたがってたよ」
 お館様――――幸村はその言葉を聞いた途端、何かに弾かれたようにびくりと体を震わせる。
 そして固く目を瞑り、歯を食い縛り、苦痛に耐えるように声を絞り出した。
「俺とて……俺とてお会いしたかったのだ……最期に、一目でも……!だがどの面下げて会えたというのだ、この忌まわしき身で……!」
「忌まわしき……?」
 その言葉に引っ掛かった佐助が問うたが、幸村はまたもかぶりを振るばかりだった。
 と、その時、近くの木の枝に留まっていた鷹が幸村の肩に舞い降りた。佐助にはその鷹が先程追っ手の射手を襲い幸村を助けた鷹だと一目でわかった。というのも、その鷹は他の鷹とは違う大きな特徴を持っていたのである。光の加減で青くも見える漆黒の羽が艶々と輝き、はじめて近くでまじまじと見つめた佐助は、気高さを兼ね備えたその美しさに一瞬目を奪われた。
 ただ一つ惜しむらくは、その片目が潰れていることだった。鷹は一つきりの目で佐助を見据え、威嚇する。まるで、幸村を責めるなとでも言いたげに。
 佐助は幸村に言いたいことは山程あった。その殆どは武田を見捨てて出奔した幸村への恨み言であったが、信玄が没し天下が徳川のものとなって久しい今、それを幸村にぶつけたところで何の意味もない。そして幸村がなんの理由もなく不義理を働くような人物でないことは、ずっと近くで彼を見てきた佐助が一番よく知っているのである。それに、まだ武田にいた頃の明朗快活な幸村にはなかった、目には見えない仄暗い陰りのようなものが今の幸村に付き纏っているような気がした。
 甲斐を離れてから幸村に何があったのかは知らないが、相当な辛労辛苦があったことが窺える。
 佐助は幸村に対する不満を全て飲み下し、質問を変えた。
「ずっと一人で旅を?」
「いや、一人ではない。ここにこうして、連れがいる」
 そう言って幸村は肩の鷹に頬を寄せ、鷹の首を人差し指でくすぐった。
 その鷹がどれだけ懐いていようと、それは実質一人なのと変わらない、佐助はそう思った。しかし愛おしそうに鷹に触れる幸村の様子から、その鷹が幸村にとって余程特別な存在なのであろうことが見て取れた。
「これからも、ずっとその鷹を連れて旅を続けるわけ?」
 佐助の問いに、一瞬で幸村の表情が引き締まる。その顔は、まだ佐助が真田忍隊長として幸村に仕えていた頃の、戦に臨む際の凛とした幸村を思い起こさせる。違うのは、今の幸村にはどこか悲愴感が漂っていることだった。
「……この当て処のない旅も近く終わる」
 寺院の方角に目を向ける幸村の顔に、沈み始めた夕陽から差す光が濃い影を落とす。
その表情から、旅の終わりが意味するところを察するのは容易だった。
「旦那……死ぬつもりなのか」
その問いには答えず、幸村は赤く燃える夕陽に忌々しげに視線を向け、立ち上がる。
「そろそろ行かねばならん。佐助、会えて嬉しかったぞ。……では、もう会うこともなかろうが、達者でな」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
 一方的に別れを告げ立ち去ろうとする幸村を呼び止める。
「一緒に行かせてくれ、旦那!」
 考えるより先に言葉が口を衝いて出た。それは佐助の切実な願いだった。金の為に惰性で仕事を続ける日々に倦んでいた佐助にとって、ここで幸村と再会できたのは運命の導きとしか思えなかったのだ。
「ならぬ」
 しかし幸村は、そんな佐助の胸中を知ってか知らずか、にべなく突っ撥ねる。
「お前はお前の道を生きろ、佐助。俺の道は――――もう誰のものとも、交わらぬ」
 以前の幸村からは想像もできないような冷たい声でそう言った後、幸村は林へと足を向けたが、何を思ったのか三歩ほど歩いたところで足を止めた。
「そう言えば……佐助、先程地下牢から抜けてきたと申したな。それはあの地下道を通ってか?」
「え、そうだけど」
 寺院の地下牢からは、町の外れまで、元は天然の洞窟だったらしい地下道が伸びているのである。
「なれば、ひとつ……頼まれてほしいことがある」



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2011.09.11









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