夏至が近づき日も長くなってきた芒種の夕暮れ時、視察帰りの道すがら、いつもは深閑としている神社の境内が喧騒に包まれているのに気づいた政宗が馬を止めそちらへ目を向けると、どうやら夏祭りが催されるらしく近隣の民が集まっているようだ。
 夏祭りといえば新秋から残秋に行われるのが一般的だが、伊達屋敷から程近いこの神社では珍しく毎年入梅前に執り行われている。
 慌しく祭りの仕度に追われる領民達を見ながら、もうそんな時期か、と目を細める。
ちょうど一年前、政宗は幸村とこの夏祭りに出向いたのを思い出した。



 今から一年前。真田幸村が武田信玄の遣いで奥州へやって来たのは、梅雨の到来が間近に迫った橘月のはじめ頃だった。
 幸村と会うのは川中島でまみえて以来だ。川中島で対戦し政宗が幸村を降し、止めを刺さんと刀を振り上げはしたものの結局豊臣勢の奇襲に阻まれ有耶無耶になり、それから顔を合わせたのはこの時が初めてだった。
 平時に見せる、どこか少年らしさを残した面持ちは相変わらずで、しかし政宗は何かが変わったと感じた。それを幸村に告げると、あれから色々とあり申した、とだけ言い、目を伏して笑った。政宗は僅かに目を瞠った。その大人びた笑みにどきりとしたのだった。
 噂には聞き及んでいた。遥々九州まで赴き、その途上で重臣を死なせたこと。改造された長曾我部の要塞もろとも毛利を討ち果たしたこと――――。
そうした経験が幸村を成長させたのだろう。好敵手の成長を嬉しく思う反面、それは風に舞った花弁が水面をそっと乱すように政宗の心に小さな波紋を投げ掛けた。

 幸村は数日間伊達屋敷に滞在した。昼は手合わせをし、夜は酒を酌み交わした。
 そして幸村が奥州を発つ前の晩、政宗は幸村と近くの神社で催されている夏祭りに出向いたのだ。
 幸村は子供のように目を輝かせ、幅広い参道の両脇にずらりと並んだ露店に飛びついていった。はじめは微笑ましく見ていた政宗だったが、少し目を離した隙に露店から露店へと忙しなく移動する幸村を見失ってしまい、二町はあろうかという長い参道を急ぎ足で歩きながら幸村を探していると、飴細工の露店の前で店主が巧みに飴細工を作り上げていく様を食い入るように見入っている幸村を見つけ、足早に歩み寄る。
「おい、勝手にいなくなるんじゃねェ。探しちまっただろうが」
政宗がどつくと幸村は謝るどころか飴細工の素晴らしさを長々と力説し始めた。こういうところは相変わらずだ、と政宗は嘆息する。褒められている店主も幸村のあまりに大袈裟な口振りに苦笑している。
 いたたまれなくなった政宗は、まだ長口上の途中の幸村の手を引きその場を離れ、そのまま神社を後にした。

 屋敷への帰路、手を繋いだままだったことに気づいた政宗がその手を離そうとするとすかさず幸村が握り返してくる。怪訝に思った政宗が足を止め振り返ると幸村は外方を向いて顔を逸らす。振り解こうとするとますます強く握ってくる。
「What the hell……なんなんだよ」
「先刻ははぐれてしまい申し訳のうござる」
「そんな事ァいい、なんで手ェ離さねェんだ」
「貴殿が某の手を握ってくれたのはこれが二度目にござる」
「二度目?」
外方を向いたままの幸村に二度目と言われ、一度目を思い返す。
「……ああ、そういやあのクレイジーな道場の後でアンタと握手したっけな」
以前政宗は長篠で浅井軍とぶつかった際に織田の鉄砲隊の急襲を受け、その時に負った銃創が回復するまでの間、武田に身を寄せていた時期があった。傷が癒えた頃、そこで漢祭りと呼ばれる稽古に参加し、終わった後に再戦を誓い握手を交わしたのだった。
 思えばあれから目まぐるしく時代は移ろいだ。天下布武を掲げ君臨した織田は滅び、その後日の本を統一しようとした豊臣も、豊臣を欺き天下獲りに打って出た毛利も今は亡い。不思議な縁だ、と政宗は思う。織田の時は幸村と共闘し魔王を討ち果たした。豊臣・毛利の時はそれぞれ別の場所ではあったが時を同じくして二者の野望を打ち砕いた。小田原で豊臣秀吉と闘った政宗は、その圧倒的な力に打ちのめされ満身創痍で倒れ込み意識を失いかけたその瞬間、確かに幸村の声を聞いたのだ。自分の名を呼び、再会を願う幸村の声を。あの時、あの声を聞いていなければ、自分は――――。
 しかし、だからといってずっと手を繋いでいる理由にはならない。
「で、いつまで俺の手握ってるつもりだ」
「某の気が済むまで」
思いもよらぬ返答に政宗は目を剥いた。
「はああ!?なんだそりゃ。とにかくもう離せ」
再び政宗が振り解こうとするもやはり幸村は強く政宗の手を握り締めそれを拒否する。
「こうして貴殿の手を握っている間だけ、某は夢を見ていられるのでござる。束の間の、儚い夢を」
「何が言いたい。はっきり言いやがれ」
「それを口にする訳には参らぬ」
口には出来ないと言いつつ手を握って離さないという行動に出ている。その矛盾が何やら可笑しかった。
 政宗は幸村の言った意味を理解していた。そしてその想いも。
 政宗とてずっと前から同じ想いを抱いていた。それに気づいていながら、互いの立場という決して縮まらぬ距離を前にどうしても一歩踏み出すことが出来なかった。幸村もきっとそうだったに違いない。
 しかし共に過ごせる穏やかな時間はこれが最後なのかもしれない。この時代に次が必ずあるとは言い切れないのだ。それは前の戦で実感したことでもあった。この幸村の行動も、いや幸村が奥州へやって来たこと自体、そうした焦慮が顕れているのだろう。
ならばその背を押すのは自分の役割だ、そう感じた政宗は大きく息を吸い込み、口を開いた。
「じゃあ俺が代わりに言ってやろうか」
その言葉に驚いたのか幸村は漸くこちらを向いた。夜の闇の中でその表情は見えない。
「それは、困り申す」
「なぜ困る?」
「某と政宗殿は敵将という立場にござる。ひとたび戦に出れば互いに首を狙う間柄。いくら貴殿に想いを寄せてみたところでこの現実は変わらぬ。そして貴殿に焦がれつつも誰よりもこの己自身がその首を欲しているのもまた事実」
「……自分で言ってんじゃねェか、思いっきり」
「はっ!しまった!おのれ、誘導尋問とは卑怯なり……!」
「人のせいにすんな、自分からベラベラ喋りやがったんだろうがよ」
こういうところも変わっていない。手合わせにおける槍捌きや時折見せる大人びた表情から確かに幸村の成長が窺えたのだが、根本的な部分は多分ずっとこのままなのだろう。意外に饒舌であり本心を押し隠したままでいられないのだ、この真田幸村という男は。それは短所でもあり長所でもある。政宗は幸村のそんなところも好ましく思っていた。
「政宗殿も、某の手を握ったままのところを見ると、某と想いを同じくしてくださっているとお見受け致す」
少しはにかんだように言う幸村は、政宗が幾度もその手を振り解こうとしたことは既に記憶にないらしい。もっとも政宗も本気で引き剥がそうとした訳ではなかったのだが。
「しかし、やはり某と貴殿はいずれ敵として対峙するさだめ。どれ程想い合ったところで、」
「Excuse me, but may I speak?一人で話を進めんな、ちっとは人の話も聞きやがれ」
政宗は幸村の言葉を遮った。
「さっきアンタは言ったな、手を繋いでいる間だけ夢を見ていられると。……だったら、俺にもその夢を見せてくれよ」
繋いでいる手を引き幸村を近寄らせて向き合った。距離が近づき、暗がりの中でもその表情が見える。幸村は期待と戸惑いを綯い交ぜにしたような表情でじっと政宗を見つめていた。
「政宗殿。夢の果てに待っているのは修羅の道にござる。貴殿はそれでも良いと申されるのか」
窺うように政宗の隻眼を覗き込む。
「Ha, 俺はもう腹括ったぜ。確かに俺とアンタの間には立場っていう現実がある。だが二人きりでいる時は現実を離れて夢を見たっていいじゃねェか。アンタもさっきそういう意味で言ったんだろう。平時に共に過ごせる時間なんてそう滅多に、いやこれが最後かも知れねェぜ。こんな時代だ、次があるとは限らねェ…… そうだろう、真田幸村」
幸村は政宗の言葉で意を決したように力強く頷いた。
 幸村は繋いでいない方の手をそっと政宗へ伸ばし、その手が政宗の肩に触れるのを合図にするかのように、どちらからともなく唇を合わせた。



 ぎこちない口づけだった。だがその感触はそれから交わしたどの口づけよりも鮮明にこの唇に残っている。
 無意識に己の唇に触れていた指に気づき、政宗は苦笑した。
 あれから、もう一年が経つ。その間に幾度夢を見ただろうか。それは片手で数えられる程しかなかったが、その一つ一つがこの胸に大切に刻み込まれている。
 出来るものならまた幸村とこの夏祭りに来たかった、そう思ってから政宗はかぶりを振ってそれを否定した。夢に期待するなど、どうかしている。ぱん、と両手で己の両頬を叩いて惰弱な考えに囚われた己を叱咤し、再び馬の歩を進め始めた。

 神社から屋敷までは馬だとあっという間だ。すぐに屋敷が見え始め、それと同時に門前に立っている者の姿を認め驚いた政宗の顔が、門に近づくにつれだんだんと綻んでいった。その者は赤い鉢巻を風になびかせ、己の名を呼びながら大きく手を振っている。
 顔が見えるくらいに近づくと馬から飛び降り駆け寄った。
着いたばかりらしく、夏祭りに間に合って良かったと笑う幸村の笑顔は、夕陽を反射して光る六文銭よりも眩しく政宗の目に映る。
 幸村はまた少し背が伸びていた。出会った当初は自分の方が高かった身長が、今では追い越されている。
「チッ、またでかくなりやがって。それ以上俺よりでかくなるんじゃねェぞ」
舌打ちをして悪態をついても幸村はその笑顔を崩さない。
「いくら見た目が変わろうと、政宗殿を想う心は変わり申さぬ」
そう言われて政宗ははっとした。時の流れを止めることは出来なくとも、ずっと変わらずにいられるものもある。それは人の心、魂だ。
 精悍さを増した面差しの中にあっても、その双眸に宿る色は変わらないままだ。
「中身はずっとそのままのアンタでいてくれよ。暑っ苦しいままのアンタでいやがれ」
「貴殿も、稀有な金剛石のような誇り高きその魂をずっと持ち続けていてくだされ。それでこそ、某の――――」
その先の言葉は政宗の唇に塞がれた。

 この口づけもまた夢。脆く儚くいずれ消え失せるものであるからこそ、どんな現実より愛しい、泡沫の夢。
 だが夢は夢でしかない。夢はいつか終焉を迎える。それがいかに残酷な現実であろうとも、それを覚悟していなければならない。始めたのも、終わらせるのもまた自分達なのだから。
 ただそれまでに少しでも多く夢を見られることを切に願わずにはいられなかった。






2011.05.31

【後書】
アニメ弐の後の話を書きたくて書いてみたんですが、書き終わってから重大な事に気づいてしまいまして。
劇場版をすっかり失念してました……(=゚Д゚=)
これだと三成が奥州に来るまでに一年以上経ってることになっちゃうυ
すみませんが三成はずっと道に迷ってたってことにしておいてください(´Д`;)あうあう









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