ふと気づけば戦場に立っている。敵か味方かもわからぬ死屍が辺り一面に累々と横たわり、噎せ返る血臭が鼻をつく。
 はて自分は一体ここで何をしていたのだったろう、と辺りを見回せば背後から聞き覚えのある声で名を呼ばれ、振り返ればそこには己が生涯の好敵手と定めた相手が立っているのだった。
 その姿を認めた瞬間、悟った。そうだ、自分は彼を探していたのだ。
 どこか翳りのある笑みを浮かべる彼に歩み寄り、その体を抱き竦める。またこんな所まで来やがってと謗る言葉とは裏腹に彼の腕はきつく抱き締め返してくれる。
 彼に何かを言おうとするものの言葉が出て来ず、代わりに唇を重ねた。彼の唇は冷たい。密着しているにも関わらずその体も冷たいままだ。
 そっと唇を離した彼は互いの鼻先が触れる距離で囁く。もう来るな、と。
 不意に彼の背に回している手にぬめった感触を覚え、彼の肩越しに見れば、己が掌は血にまみれている。少し身を引いて下を見れば彼の胸からも鮮血が溢れ、彼の青い陣羽織を赤く染めていく。
 そうか、ここはあの時の――――死闘の末に彼を降し決着をつけた、あの時の戦場だ。
 己が槍が刺し貫いたその胸から鮮血を噴出させながら彼は微笑む。政宗殿、と彼の名を呼ぼうとするも声が出ない。喉の奥を締めつけられているように苦しい。
 静かな瞳でこちらを見据え口元に僅かに笑みを浮かべたまま、そろそろ行かせてくれと彼は言う。嫌だと、共にいてくれと、そう言おうとしても声にならない。首を思い切り左右に振ると、いつの間にか両眼に溜まっていた涙が零れ始める。
 踵を返す彼に後ろから縋りつき再びその体を掻き抱くも、彼の体は乾き切った砂像のようにぽろぽろと崩れ始め、やがて全て粉々になり自分の足元に降り積もった。愕然とその場にへたり込み、声にならない叫びをあげながら必死で掻き集める。しかし吹き抜ける風が無情にもそれを何処かへ運び去っていった。





 群雄割拠の戦乱の世は武田と伊達が天下を二分する形で収束していき、天下分け目の戦で武田・伊達の両軍は全力を賭して真っ向からぶつかり、その結果武田が伊達を降した。
 政宗を討ち取ったのは幸村だった。しかし好敵手と定めた強敵を我が手で討ち果たしたという歓喜と興奮に震えたのはほんの一瞬の間でしかなかった。
 武田兵が歓天喜地の歓声をあげる中、幸村は耐え難い寂寥感と虚無感に苛まれただ呆然と立ち尽くしていた。



 信玄は上洛を果たし天下を手中にした。それは幸村の悲願でもあった筈なのだが、幸村の心はあの伊達との戦以来曇ったままだった。
 幸村は懐から使い古された眼帯を取り出した。それは政宗が生前愛用していた物だった。政宗を討ち取った幸村は、その亡骸から外した眼帯をそれ以来ずっと肌身離さず持っていた。そうすればその魂と共にいられると思ったからだ。
 己が槍でその所有者の胸を貫いた感触が今尚残るその手で幸村は眼帯を握り締める。
 彼と幾度も戦場でまみえる内にいつしかその鮮烈な蒼に心惹かれ、もしこの乱世の終焉を互いに生きて迎える事が出来たならば、今のような敵同士ではなく互いに腕を認め合った友としてまた違った関係を育めるのではないかなどという未来を夢見たりもしたのだが、それは所詮絵空事でしかなかった。
 政宗を討った事に悔いがある訳ではない。互いに敵将である以上、全力で闘えばどちらかが命を落とすのは必至なのだ。もし手加減などしていれば最後に立っていたのは間違いなく自分ではなく彼だっただろう。
 しかし彼の生が閉じられてからこの胸に穿たれた穴隙は自分自身をも飲み込んでしまいそうな程に大きかった。


 はじめに夢の中で政宗と会ったのは、彼を討ち取ってから数日後の夜だった。
 静かに佇む彼に幸村が近寄り腕を伸ばすと、彼は口元を僅かに綻ばせ幸村の胸に身を委ねた。意外に細いその体をしかと抱き締め、そこで初めて自分はずっと彼とこうしたかったのだと気づいたのだった。彼が鬼籍の者となってから漸く気づくなどと、なんという皮肉だろうか。その命を奪ったのは他でもないこの自分だというのに。

 それから毎夜彼が夢に現れるようになった。
 生前の彼とは戦場でしか会った事はないが、夢の中で会う政宗は戦場で見せる好戦的な態度は鳴りを潜め、常に穏やかで優しい。政宗を求める幸村をただ静かに受け入れてくれるのだ。
 しかし体温の感じられない彼の体をひしと抱き締めれば凍るように冷たい血が胸から溢れ出す。自分がこの手で貫いた場所から。
 そして彼は幸村に決まってこう言うのだ。もう来るな、と。幸村が首を横に振ると、彼は淋しげな笑みを浮かべたままその体は砂塵のように崩れてしまうのだった。
 そこでいつも目が覚めるのだ。

 求めれば応えてくれる。しかしもう来るなと言う。
 血を流しながら拒絶の言葉を口にするのは、己を討った幸村への憎悪からなのか。しかしそれならば何故その腕はかくも優しく自分を包んでくれるのか。考えども考えども答えは出ない。
 そして、彼が言った――――そろそろ行かせてくれ、という言葉。
 わかっている。本当はわかっているのだ。自分のこの執着が彼の魂を縛りつけてしまっているのだろう。
 行かせてくれという彼の言葉に自分が頷けば、彼は旅立てるのだろう。涅槃へ。
 しかしそれはもう二度と彼に会えなくなるという事なのだ。たとえ夢の中だろうと彼に会いたい。彼に触れていたい。その体が凍てつくように冷たくとも。
 どうすればこの執着を絶てるのかなど自分でもわからなかった。



 行かせてくれと再び彼が言う。もう俺を解放してくれ、と。ひどく胸が痛む。自分のもとから去ろうとする言葉など聞きたくない。固く目を瞑り首を思い切り横に振り、その体を強く抱き締める。
 いつもならここで彼の体は崩れ落ちてしまうのだが、この時は違った。彼の指先がそっと頬に触れ、その冷たい感触に目を開けると彼は優しく微笑み、こう言った。じゃあ俺と来るか、と。一も二もなくかぶりを振った。どこへ、などと問う必要はない。彼と共にいられるならどこであろうと構いはしない。
 彼の唇が自分のそれと重なる。柔らかく温かい唇だった。
 彼の後ろから射し始めた目映い光が自分達を包み込み、何も見えなくなっていった。










「どうじゃ佐助、幸村の按配は」
「相変わらず、じっと動かないまま何も口にしようともしません。このままだといずれ……」
「そうか……」
 幸村の自室へ様子を見に来た信玄が部屋を後にすると、佐助は幸村に目を向けた。足を投げ出し壁に凭れて座している幸村は微動だにせず、魂の入っていない人形のようだ。
 信玄が上洛を果たしてから何故か日に日にやつれていった幸村は、ある時からまるで生を放棄してしまったかのように一切の動きを止めた。
 信玄や佐助はあらゆる手段を講じてみたものの、回復する気配はなかったのだった。辛うじて心の臓は微弱ながらも脈打ってはいるが、その鼓動が消えるのも時間の問題だろう。
「戦のない世で自分の存在を見失ったか、それとも――――」
 佐助は幸村の手元に目を留めた。その手には独眼竜の遺品である眼帯がずっと握り締められたままだ。
「連れてかれちまったのか――――なんて、まさかね……」
 佐助は暫く幸村を見つめた後、任務に戻るべく姿を消し、後には抜け殻のような幸村だけが残された。

 その目は開かれてはいるものの、瞳には何も映ってはいない。しかしどこか幸せそうな表情を浮かべているのだった。





2011.05.09

【後書】
殺してからはじめて自分がその相手を好きだった事に気づいたら――――
向こう側に行っちゃう方が本人にとって幸せなのかも。













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