奥州伊達屋敷の最奥に位置する政宗の部屋で、まどろみから覚め目を開けた幸村の視界に初めに映ったのは、己の肩口に頭を乗せ眠る政宗の寝顔だった。
 その前髪をそっとかき上げ、露わになった額に唇を落とすと、政宗の髪の芳しい香りが幸村の鼻腔をくすぐる。
 心底惚れた相手と夜を共にし、朝目が覚めればその相手が目の前にいる。それはこの上ない幸せだった。
 枕代わりにしていた幸村の腕が動いた為か政宗も目を覚ます。政宗の視界に初めに映ったのも、幸村の顔だった。
「お目覚めでござるか」
と問う幸村に、政宗は答える代わりに目を閉じ、少しだけ開いた唇を尖らせる。幸村は満面の笑みを浮かべてその薄い唇に吸いついた。
 幾度もこうして共に朝を迎え、政宗のその仕草が口づけの要求である事を幸村は理解していた。
 情交のあった翌朝は、政宗は目覚めてから頭が完全に覚醒するまでのほんの僅かの間だけこうした甘えた素振りを見せる。寝惚けているのだろうが、普段は憎まれ口ばかり叩く政宗が可愛らしさを垣間見せるこの瞬間が幸村はとても好きだった。
「おい、重いだろ。どきやがれ」
 幸せを噛み締める幸村とは裏腹に、意識の明瞭になった政宗は、圧し掛かっている幸村の肩を押した。
 さっさと身なりを整え始める政宗を残念そうに見つめる幸村に政宗は声を掛ける。
「アンタ今朝発つんだろ。ちゃっちゃと身支度済ませろよ」
 数日前から逗留していた幸村は今日を発つ日と決めていた。
 着いたばかりの時はあと何日も政宗と共にいられると喜んでいたのも束の間で、過ぎてみればあっという間だ。もう一日滞在を延ばそうか、と帰る際は毎回思う。しかしたとえ滞在期間が延びたところでいずれは帰らなければならないのだ。
 もっと、いやずっと傍にいたい。せめてもう少し互いの国が近ければ頻繁に通う事が出来るのに、と、上田と奥州という遠く離れた地に住む自分達がなんだか悲しく思えるのだった。

 帰り支度を整えた幸村は政宗を強く抱き締め、そして唇を重ねる。長く熱い口づけだった。
 名残惜しげに唇が離れると、政宗はそっと幸村の腕を解く。
 またな、と言って微笑む政宗に、ではまた、と背を向けた幸村は、少し逡巡した後、歩き始めていた足を止める。
「どうした?忘れ物か?」
と問う政宗に向き直った幸村は少し拗ねたような顔でぽつりと呟いた。
「……某ばかりなのでござろうか」
 意味がわからず眉を顰める政宗に幸村はずかずかと歩み寄り、政宗の両肩を強く掴む。
「某はいつも後ろ髪を引かれる思いでここを発つ。互いに戦場に立つ身なればこれが今生の別れとなるやも知れぬ、そう思うと胸を抉られるようで……幾度貴殿をさらって帰ろうと思った事か!それに引き替え貴殿はいつも涼しい顔で某を送り出される。貴殿は某と離れるのを何とも思われぬようでござるな!」
「おいおい、なんだよ急に。離せよ」
 突然激昂し声を荒げた幸村の言葉に政宗は戸惑った。肩に食い込んだ幸村の指が痛い。しかし幸村は政宗の肩を掴んだまま尚もまくし立てる。
「考えてみればいつも某が貴殿に会いに参ってばかりで、貴殿から某を訪ねてくださった事など皆目ござらぬ!これでは……これではまるで、」
そこで幸村は言葉を止めると、悲痛な面持ちでぎゅっと目を瞑り、そして再び政宗を見据え絞り出すような声でこう言った。
「某ばかりが貴殿を好いておるようではないか……!」
 すると政宗は幸村を力一杯突き飛ばし、背を向けた。
 幸村は政宗の返答を待ったが、幸村の言葉を否定せず黙ったままの政宗に幸村は苛立ちを募らせる。
「何故何も言ってはくださらぬ……。やはり政宗殿は初めから某の事など、」
と幸村が政宗に詰め寄ろうとしたところで突如政宗が振り返り、振り向き様に渾身の力を込めた拳を幸村の顔面に叩き込んだ。殴り飛ばされた幸村は床柱に背を強か打ちつけ、その衝撃で床脇の棚が崩れ、飾ってあった青磁の壺や花器が割れた。
 尻餅をついた幸村は一瞬何が起こったのかわからなかった。左頬がずきずきと痛み、政宗が拳を握り締めている事からようやく己が殴られたのだと理解する。
「ま、政宗殿……?」
 唖然とする幸村を苦々しげに見下ろした政宗は、
「これが答えだ」
吐き捨てるようにそう言った。
 幸村は起き上がろうともせず胡坐をかき頭を垂れる。
「わかったか、俺の気持ちが」
「……わかり申した。殴られる程に某は厭われておるのだと」
 幸村は割れた壺の欠片を見つめながら、聞き取るのがやっとの小声でそう答えた。
 政宗は大きく溜息をついた。幸村は何もわかっていない。しかし政宗はそれを一から十まで説明してやるつもりなど毛頭なかった。
「そう思うんだったら、とっとと帰りやがれ。Get the fxxk out!」
 その言葉を受け幸村は緩慢な動作で立ち上がり、襖の前まで進むと
「もう某がこちらへ参る事は金輪際ござらぬ、ご安心召されよ」
政宗に背を向けたままそう言って襖の引手に手をかけ、振り返らずに襖を開けた。

 ぱたんと襖の閉まる音がやけに大きく響いた。先程までの喧騒が嘘のように部屋は静まり返っている。
 政宗は滅茶苦茶になった床脇の前で膝をつくと、唯一割れるのを免れ畳に転がっている香炉を手に取り
「Fxxkin' asshole!!」
そう叫んで力任せに床柱へ投げつけた。甲高い音が響き、香炉は跡形もなく砕け散る。
 政宗は怒り心頭に発していた。誤解したまま去った幸村に、そして本音を言えぬ自分に。
「なんで……なんでわからねェんだ!俺だっていつも別れ際は心の中で行くなと、もっと傍にいてくれと叫んでる!だがそれを言ったところでアンタを困らせるだけだろうが!だから平静を装ってるんじゃねェか!それがなんで俺がアンタを好きじゃねェって事になるんだよ!」
 悲痛な声で独白しながら、拳を握り締め、壺の破片が刺さるのも厭わず何度も拳で畳を打った。
 血が滲む己の手を見つめ、項垂れる。
 幸村はもうここへは来ないと言った。その言葉が真実なら戦場以外ではもう会う事もないだろう。
 自分はこの奥州を統べる立場にあり、おいそれと国を空けられる立場ではない。なのにそれを理由に幸村への想いを否定された事を思い出し、政宗は無性に泣きたくなった。
「俺だって……アンタに会いに行けるもんなら行きてェさ。でもそれが叶わねェ事くらい、なんでわからねェんだよ……」
 隻眼から涙が頬を伝う。そうして政宗が肩を震わせていると、
「政宗殿……」
 突然呼び掛けられ、政宗の肩がびくりと強張る。ここにいる筈のない、とうにここを去った男の声。
 恐る恐る振り返ると、左頬を腫らした幸村が襖の前に立っているのだった。
「幸村……帰った筈じゃ……なんで」
「いや、それが、某、帰ろうとして襖を開けたのでござるが」
幸村が襖を開けると、中庭を挟んだ向こう側の廊下に小十郎がおり幸村を睨んでいた。棚が崩れたり壺が割れたりした音で訝しんでいたのだろう、今部屋を出ていけば間違いなく経緯を問い詰められる、そう思った幸村は出るに出られず部屋の内側から襖を閉めたのだ。幸村はばつが悪そうにそう説明した。
 襖の閉まる音で幸村が出て行ったと思い込んだ自分が取った行動や独白を思い出し、政宗は冷汗三斗の思いで顔が赤く染まる。慌てて手の甲で涙を拭った。
「全部、見てやがったのか。いるならいるで、なんで黙って見てるんだ。That ain't fair……帰ったふりなんざしやがって、意外と姑息なんだな!」
「声を掛ける頃合が掴めず……申し訳ござらぬ。それより政宗殿!」
 幸村は飛びつく勢いで政宗の横に膝をつき、頭を下げる。
「政宗殿、申し訳ござらぬ!貴殿の本音を忖度する事も出来ず、己の不満のみ貴殿にぶつけてしまった。なんと浅ましく情けない事か……!貴殿を想うが余りとは言え、己の未熟さに恥じ入るばかりでござる!どうかお許しくだされ!」
 畳に手をつき額を畳に擦りつけるほど深く平伏する幸村に気勢を削がれた政宗は大きく溜息をつき、その頭を上げさせた。
 顔を上げた幸村はその大きな瞳から涙をぽろぽろと零している。それを見た政宗はこれ以上恨み言を言う気にもなれず、
「もういい、わかったからもう泣くな」
そう言って左手で幸村の頭を撫でる。
 漸く泣き止んだ幸村はふと政宗の右手に目を留めた。
「政宗殿、手が……!」
 幸村は政宗の右手を取り、刺さったままになっていた破片をそっと引き抜いた。にじみ出る血を舐め取り、するりと鉢巻を解いてそれを政宗の手に巻きつける。
「次に某が参るまで、これを某の代わりと思ってくだされ。某の心はいつ如何なる時も政宗殿と共にあり申す」
 鉢巻を結び終えた幸村がそう言うと、政宗は、この不細工な結び目が如何にもアンタらしい、と白い歯を見せた。幸村もつられて笑顔になる。心底安堵したのだった。政宗の機嫌が直った事に、そしてまた来る事を拒否されなかった事に。
 なんとなく政宗に触れたくなった幸村が政宗の肩に手を掛けた途端、政宗は顔をしかめその手を払い除ける。
 まだ許してもらえた訳ではなかったのかと気落ちする幸村をよそに、政宗は着物の袷に手をかけると、突如その右肩をはだけた。
「さっきアンタが馬鹿力で掴みやがったもんだから、まだ痛ェ。……見ろよ、痕が残ってんじゃねェか」
 いきなり白い肌を見せつけられ周章狼狽する幸村だったが、政宗に言われ露わになった肩を見るとそこには自分が掴んだ際の指の痕がくっきりと赤く残っているのだった。
「某の政宗殿の白磁の肌に斯様な痛ましい痕を残すなど、なんたる事……!」
 そうがっくりと肩を落とす幸村の腫れた左頬を政宗は指で弾いた。幸村の頬に激痛が走り、思わず頬を押さえる。
「俺もアンタをぶん殴ったんだ、痛み分けといこうぜ」
 政宗はそう言ってくれたものの、幸村は激しい後悔と慙愧の念に駆られるのを禁じ得なかった。幸村が殴られたのは己の言動のせいであって非は幸村にある。しかし政宗には何の非もないのだ。
 そう思って再びその肩に視線を向ける。
 見ているうちにその肌の白と痣の赤の対比が何やら淫靡に見え、思わず劣情を煽り立てられた幸村はそんな己を恥じた。
「は、早く肩を仕舞ってくだされ!破廉恥でござるっ……!」
 腫れていない方の頬まで真っ赤にして幸村は政宗の着物を正した。
「肩くらいで何が破廉恥だよ。それより幸村、アンタまだ帰らなくていいのか?そろそろ午の刻だぜ」
「しまった、急ぎ出立せねば!」
 勢い良く立ち上がった幸村が視線を政宗に戻すと、そこにはやはりいつもの涼やかな笑み。
 幸村は先程の政宗の独白を思い出す。政宗は言っていた。俺だっていつも別れ際は心の中で行くなと、もっと傍にいてくれと叫んでる――――と。
「こうしている今も、貴殿は胸中で叫んでおられるのか。某に……行くなと」
 一度は立ち上がったものの再び政宗の前に膝をついた幸村の問いに、政宗は左目を見開いたかと思うとすぐさま顔を逸らした。顔にかかる髪で幸村からその表情は窺えないが、顔を逸らす一瞬、その頬に朱が差したように見えた。
 政宗は幸村の問いに答えない。その噤口を幸村は肯定と受け取った。
「政宗殿。やはり某、もう少しこちらでご厄介になろうかと」
「No Way. 今日ここを発たなきゃ武田のオッサン主催の綱引きパーリィだかに間に合わねェって言ってたじゃねェか。務めはちゃんと果たせ。でなけりゃ今みてェにちょくちょく来られなくなっちまうだろ」
 諭すような政宗の口振りに、幸村は口篭る。政宗の言は尤もだ。しかし幸村は知っているのだ、その微笑の裏に隠された政宗の本音を。
 そして今、気づいた。政宗がいつもその心の叫びを押し殺して涼しい顔で自分を見送るのも、強がりや面映さからだけでなく、自分が憂いなく発てるよう配慮しての事だったのだと。
「何ボケッとしてやがる、さっさと帰れ。俺があの時言った事なら気にすんな。これがあるからちっとも淋しくなんかねェさ」
 政宗は鉢巻が不器用に巻かれた手を見せ、口角を上げた。
 幸村はその手首を掴んで政宗を引き寄せると、力一杯抱き竦める。
「政宗殿……貴殿にはまこと感服致すばかり。某にとって貴殿はまさに連城の璧でござる。璧を見つけた卞和のようにここで足でも切られれば、ずっと貴殿と共にいられるのであろうか……」
「そう思い詰めんな。また暇が出来たら来りゃいい。……待っててやるから」
 政宗のその言葉は幸村にとって欣幸の至りだったが、それでも幸村は今政宗の傍を離れるのはどうしても嫌だった。
 しかし、先程政宗に言われたとおり近日執り行われる綱引き大会が信玄主催のものである以上、武田の重臣である幸村がそれに参加しない訳にはいかないのだ。
 そこでふと幸村にある考えが閃いた。二兎を得る事の出来る、唯一の方法を。
「政宗殿!某、妙案が浮かび申したあああ!」
「な、なんなんだよ」
 突然呆けたような顔をして素っ頓狂な声を上げた幸村に政宗が怪訝な顔をすると、幸村は突然政宗を抱え上げる。
「何すんだ、降ろせよ!おい!幸村!」
「真田源二郎幸村、これより政宗殿を甲斐まで拐し申す!異議は認めぬ!」
「ちょっ……What the hell are you doing!! アンタ本気で言ってんのか!」
 政宗は全く予測し得なかった事態に慌てふためいたが、幸村は真剣そのものだった。
「某はいつ如何なる時も本気でござれば。政宗殿、共に甲斐へと参ろうぞ!」
 意気揚々と声高に叫ぶ幸村は、戦場を駆け抜ける時と同じ眼差しをしている。
 ――――いいねェ、こういう時のアンタはやたら男前に見えちまう。
 少し暴れれば幸村の腕から降りる事は容易だろうが、政宗もまた幸村の腕に身を委ねていたかった。
 政宗は瞬時に頭を巡らせる。急ぎの政務は全て片付けてある。周辺国の趨勢も今は安定している。少しくらい自分が不在でも、小十郎がいれば然して困った事にもならないだろう。
「OK, 一国の主をさらっちまおうなんざ、いい度胸じゃねェか!それでこそ俺が惚れた男だ!Way to go!甲斐までつきあってやるぜ!」
 そう言って政宗が幸村の首に手を回したのを機に、幸村は襖を蹴倒して廊下に出た。
「おい、何も襖ブッ壊す事ァねェだろうが」
「何事も勢いが肝要にござる!斯様な襖ごときに我が政宗殿への想いは阻めぬぁ!」
 そして幸村は政宗を抱えたまま廊下を走り出した。あの襖高かったんだぜ、という政宗の呟きは幸村の雄叫びによって掻き消された。
 幸村の大声と激しい足音に何事かと顔を覗かせた小十郎に出くわすと、
「片倉殿、かたじけのうござるが暫し政宗殿を拝借致す!」
「おう小十郎、ちょっくらさらわれてくるぜ。戻るまで何かあった時はお前に任せる、あと俺の部屋の片付けも頼むな!」
足を止める事なく口々に言って長い廊下を走り抜け、その勢いのまま馬に飛び乗って駆け出した。

 すぐに事態が飲み込めなかった小十郎は言葉もなく呆然とそれを見送った。
 我に返った小十郎は直ちに軍を率いて二人を追おうと思ったのだが、政宗が不在の今、自分まで国を空ける訳にはいかない。苦渋の思いで待つ身に徹する他なかった。
 思えばこれまで政宗は戦以外では数える程しか奥州から出た事はなく、それも外交絡みばかりだ。まだ若い政宗は外に出たいと思うのも当然だろう。
 いずれは天下を治める御身なれば、と心を鬼にして厳しく接してきたが、もう少し奔放であっても良いかもしれない――――などと考えながら、政宗の部屋の前まで行った小十郎はその場で固まった。
 縁のへし折れた襖は倒れ、室内は床脇の棚が崩れ、飾ってあった筈の壺や香炉は無残な破片となって四散している。
 もう少し奔放であっても、などという先程の考えは小十郎の頭の中で全力で否定されたのだった。






2011.01.16

【後書】
筆頭ってなんか、大口叩きというか強がりというか、自分の弱い部分を絶対見せようとしませんよね。
なのでこういう形にしてみました。
小十郎は極殺おかんモードです。もう!あの子たちったらまた片付けせずに遊びに行っちゃってー!みたいな(笑)
綱引き大会ってどうなの、と自分でも思いましたが、武田は道場のノリでそういう暑苦しい行事をいろいろやってそうだなと。
筆頭も乱入して楽しめばいいと思います(・∀・)












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