急に冷えを感じて肩を震わせた政宗は、書状に走らせていた筆を止めると、それを硯に置いた。
 徐に立ち上がり羽織を引っ掛け、縁側に面した障子を開けると、外では白いものがちらほらと宙を舞っている。
 それはその冬初めての雪だった。すでに地面や庭石は疎らに白く染まりつつある。風はなく、空から地上目掛けて真っ直ぐに降る雪は、初雪にしては珍しく積もりそうな様相を呈していた。
 政宗は雪がしんしんと降り積もっていく様を苦々しく見つめていた。
 雪は嫌いだ。というより冬そのものが嫌いだ。冬の間雪に閉ざされる奥州では戦に出られないからだ。
 兵卒の中には、家族とずっと共にいられる冬を好む者も少なくない。しかし、生粋の武人である政宗は戦のさなかにこそ己の居場所を見出しており、戦に出ない日が続き腕が鈍るのを何よりも恐れていた。政宗にとって冬とは倦怠と焦りの鬱積する忌まわしい季節なのだ。
 そしてその焦りは今冬は殊更に強かった。その原因は自分でもわかっている。
 過日、武田と上杉の戦に伊達軍が乱入した際に政宗の前に立ち塞がった武田の武将、真田幸村。二槍を携えたその男の槍捌きは鋭く、政宗の六爪流に一切引けを取らず、実力は全くの互角で結局勝負はつかなかった。
 それから何度か戦場で対峙したものの一度も決着がついた試しがなく、今では互いに好敵手と認め合う間柄となっていた。
――――雪が降る前に一度、アンタと戦っときたかったな……。
 自分が雪に閉ざされた奥州で燻ぶっている間にも幸村は腕を上げている事だろう。それを思うと焦りと苛立ちに苛まれ、いても立ってもいられなくなるのだった。
 まるで恋でもしているかのようだ、そう思ってからそれを馬鹿馬鹿しいと頭で否定し、障子を閉めた。

 政宗が障子を閉めた時には既に部屋の中まで冷え切っていた。炭櫃に火を入れようとしたその時、部屋の外から来客を告げる声が掛かり、政宗は客間へと向かった。

 客間の襖を半分開けたところで政宗の動きが停止した。客間の中には先ほど政宗が脳裡に思い描いていた真田幸村本人が座っているのだった。
「政宗殿!お久しゅうござる!先触れも寄越さず突然罷り越したる無礼、お許しくだされ」
幸村の言葉に我に返った政宗は、床の間に背を向け幸村と向かい合って座った。
「Holy shit!真田幸村!なんでアンタがここにいるんだ!?」
「奥州伊達軍は冬の間は戦に出ないと聞き申した。なれば雪が降る前に一度どうしても貴殿と手合わせ願いたく遠路遥々馳せ参じた次第」
まさか幸村も自分と同じ事を思っていたとは、と政宗は目を丸くした。
「アンタと戦いてェのは俺も同じだが……雪はもう降り始めてるぜ」
「諸々の務めを済ませすぐさま甲斐を経ったのでござるが……奥州の初雪は早うござったな……」
幸村は気落ちした様子で庭に面した障子を見遣る。
 これまで戦場でまみえた際の鋭い眼差ししか見た事がなかった為か、政宗の目には幸村の落胆した表情が意外に稚けなく映った。少し不憫に思った政宗は幸村の希望を叶えてやる事にした。と言うより自分も幸村と戦いたくて仕方なかったのだ。
「そんなに積もってねェ今ならまだやれるぜ。これしきの雪、炎属性のアンタにゃどうって事ねェだろ?」
「おお、かたじけない!では早速!」
政宗の言葉に破顔した幸村は、そう言うや否や表へ駆け出して行った。その行動の単純さに呆れつつ、政宗も刀を手に幸村の後に続いた。

 幸村と相対し刀を構えた瞬間から全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
 雪は変わらず降り続いている。地面は先程政宗が見た時より白の占める面積が増していた。しかし寒さなど微塵も感じない。それは幸村も同じらしく、真面から政宗を見据えるその双眸には燃え盛る闘志が見て取れる。
「遠慮はいらねェ。全力で来い、真田幸村ァ!」
「では政宗殿、いざ尋常に、勝負!」
そして激しい打ち合いが始まった。
 先程まで滅入っていたのが嘘のように心が躍っていた。
 幸村の突きを躱した政宗は幸村の肩目掛け刀を振り下ろす。その刀を左手の槍の口金で跳ね返した幸村は、すぐさま右手の槍を打ち込んでくる。体を反らしそれを避けた政宗に、幸村は両の槍で高速の突きを繰り出した。
「烈火ぁぁぁ!」
後方へ跳び間合いを取る政宗の懐に飛び込もうと、幸村が右足に力を込め地を蹴ろうとしたその時、
「!?」
雪が溶けた泥濘に足を取られ体勢を崩し、前のめりで地面に倒れ込む。そして幸村の槍先に袖を引っ掛けられた政宗もつられて倒れ込んだ。
 二人が肩で息をしながら顔を見合わせると、互いにずぶ濡れになっている。
 と、そこで幸村が大きくくしゃみをした。
「このままじゃ風邪ひいちまうな。勝負は一旦お預けだ、風呂入るぞ」
「なんの、某はまだまだやれ申す!」
「客人に風邪引かせたとあっちゃ俺の面子が立たねェ。いいから黙って言うとおりにしやがれ」
そう言って踵を返す政宗に、幸村も渋々従った。



 湯浴みを終え夕餉を済ませた政宗と幸村は、政宗の部屋で酒を酌み交わし歓談していた。火鉢で肴を炙りながら熱燗を呷る。
 戦場で何度も命のやり取りをしてきた相手と仲良く酒を呑んでいる。妙な気分だったが、不思議と悪い気はしなかった。
「驚いたぜ、まさかこんな所までたった一人で来やがるとはな。もしとっ捕まって捕虜にでもなったらどうするつもりだったんだ?」
と政宗が問うと、幸村は笑ってこう答えた。
「政宗殿はそのような卑怯な真似をされる御仁ではござらぬ」
「なんでわかるんだよ」
「戦で幾度もまみえておれば自ずと相手がわかり申す。時に刃は言葉より多くを語るもの故」
「……I see. なるほどな」
それは政宗も同感だった。これまで幸村と何度も戦い、交わした言葉こそ少ないものの、幸村の人となりは理解しているつもりだ。だからこそこうして丸腰で盃を交わす事が出来るのだ。
「しかし一人で来るのをよく武田のオッサンが許可したもんだ」
「いや、それが……」
「どうした?」
「実は、その……、某、お館様のお許しを得ず、黙って参ってしまったのでござる。故に明朝すぐにここを発たねばならぬ次第」
苦笑する幸村に政宗は目を丸くした。武将が主君の許しも得ず遠方の他国へ赴くなどと到底考えられない事なのだ。
「What's the……それはまずいんじゃねェのか。なんだってまたそんな」
「この冬が明けるまで貴殿とまみえる事が出来ぬ、そう思うといても立ってもいられなかったのでござる。気がつけば既に甲斐を飛び出しており申した」
そう言って政宗を見る幸村の眼差しは、戦で見せる百戦錬磨の武人のそれではなく、大切なものを慈しむような温かさを内包しており、それを受け胸の動悸が僅かに早まるのを感じる。なぜかはよくわからない。酔っているのかもしれなかった。
「まるで貴殿に恋でもしているかのような……いや、ほんの戯言でござる。今のは忘れてくだされ」
目を伏せて笑んだ幸村につられて政宗の口元も綻んだ。
「奇遇だな、アンタが来るちょっと前に俺も同じ事考えてたぜ。アンタとまた戦いたくて仕方ねェ、まるで恋でもしてるみてェだ、ってな」
盃を口に運ぼうとしていた幸村の手が止まる。
「政宗殿……」
幸村は盃を盆に置くと、真剣な面持ちでじっと政宗を見据えた。戦における槍捌きと同じく熱を伴ったその幸村の眼差しは、政宗のみを映している。
「確かめてみませぬか。これが恋なのか、はたまた錯覚か――――」
幸村は政宗の頬に手を伸ばし、政宗は逡巡したものの突っ撥ねる気にはなれず、幸村の腕に身を委ねた。
 自分も幸村も、酔っているのだ。そう自分に言い聞かせた。



 それからどうしてこうなったのか、気づけば互いに一糸纏わぬ姿で体を重ねていた。
 聞こえるのは熱い息遣いのみだった。
 幸村の頬から伝う汗が政宗に落ちる。熱かった。外で雪が降っているのが嘘のように、身も心も溶かされそうな熱を政宗は感じていた。心も体も溶けていくようだった。このまま二人溶け合って一つになれたら――――そう思って政宗はやはり酔っているのだと自覚した。
 酒にではなく、この男、真田幸村にどうしようもなく酔ってしまっているのだと。
 ずっと疑問だった。他にも強い武将は幾らでもいるのに、なぜ自分はこの男に固執するのか。なぜこの男と刃を交える時のみ心が躍り昂ぶるのか。
 その理由を今理解した。いや、本当はずっと前からわかっていた。ただそれを認めたくなかった。
 認めてしまえば、欲しくなる。
 しかしいくら欲してみても幸村は甲斐の武将、たとえ想いを遂げたところで、待っているのは殺し合いだ。だからこそ気づかぬ振りをしていたのだが、もう知ってしまったのだ。その肌の熱さを。もう後戻りは出来ない。

「実を言うと某は、初めからわかっており申した」
行為を終え、その腕に政宗を包んでいた幸村は、ぽつりと口を開いた。
「寝ても覚めても貴殿の事が頭から離れぬ某は、紛れもなく貴殿に恋焦がれているのだと」
幸村の言葉は、気怠さの残る政宗の耳に心地良く響く。
「口説き文句も暑苦しいんだな、アンタは」
政宗が小さく笑って幸村の頬に顔を摺り寄せると、幸村は政宗を一層強く抱き締める。
「春になれば、また貴殿に会いに参っても……よろしいか」
政宗の目にかかる前髪を指で梳きながら問う幸村に政宗は口づけで答え、それからまた体を求め合った。
 明日になれば幸村は去ってしまう。その前に少しでも多く幸村の熱をこの身に刻んでおきたかった。



 翌朝二人が目を覚ますと、天候は荒れに荒れており、外は猛吹雪だった。方角を掴むどころか一丈先も見通せない程に視界は悪く、これではとても甲斐どころか隣国にさえ辿り着けないだろう。
 結局幸村は吹雪が止むまで伊達屋敷に逗留する事になった。

 政宗はあれ程忌み嫌っていた雪に生まれて初めて感謝した。



2010.12.31

【後書】
「きちゃった☆」な幸村(笑)
いっそ奥州にムコ入りすればいいのにね(・∀・)
奥州ってどのくらい雪が降るのかわからなくて、とりあえず雪深いという設定にしてみました。







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