幸村は一歩一歩踏み締めるように政宗へと続くその道を進む。なだらかな坂道を登り切ったその先に、腕組みをした政宗がじっと幸村を見据え待ち構えていた。
「奥州筆頭、伊達政宗殿とお見受け致す」
幸村は初めて戦場で出会った時と同じ言葉を口にし、それを受け政宗の口元が僅かに綻んだ。
 初めて会ったその日から政宗を虜にした揺るがない炎。それが確かに今、幸村の双眸に見て取れる。上田で見せた迷いはもう一片も感じられなかった。
「待ってたぜ、真田幸村……いい面構えになったじゃねェか」
「長き時をかけ気がつき申した……立場は変われど、この幸村は幸村でしかないのだと。ならば己の魂の思うがまま、熱く駆け抜けるのみ!」
「OK, いい結論だ。いいねェ、そんな目のアンタとやりたかった……!全力で来い、真田幸村ァ!」
「他ならぬ貴殿と曇り一つなく渡り合える!今ここに感謝致す!政宗殿、最後の勝負といざ参らん!」
政宗が六爪を引き抜くと同時に、幸村は二槍を構えた。刀身に電流が迸り、槍先に炎が燃え盛る。
 同時に地を蹴り、相手目掛けてその刃を振り下ろした。槍が刀を弾き、刀が槍を弾く。互いに一歩の引けも取らない。二人共に刃が交差する度に胸が躍り、魂を揺さ振られ、体中の血が沸き立つような感覚を覚える。一撃一撃、攻撃を繰り出し受け止めるその度に、相手の全身全霊が自分に向かっているのを互いに感じていた。
 ずっとこうして打ち合っていたい。政宗は切実にそう思った。身も心も焦がすこの灼熱を感じられる相手はやはり幸村をおいて他にない。最後に立っているのは自分か、相手か――――最早そんな事はどうでも良かった。ただいつまでもこの戦いを続けていたかった。魂にまで響き渡るこの剣戟の音をずっと聴いていたかった。

 不意に幸村が体勢を崩しその場に倒れ込み、政宗の刀は空を斬る。
 剣戟が止み、吹き抜ける風が砂塵を巻き上げた。
「真田、幸村……?」
立っていられなくなる程の傷を負わせた覚えはない。政宗は戸惑いながら倒れた幸村の傍に膝をつく。
 見るとその脇腹が裂け、血がどくどくと流れ出ている。戦っている最中は幸村の装束の影になり見えなかったその傷は、一目で致命傷とわかる程に深かった。
「アンタ、この傷……」
「本多殿の槍をかわし損ね……血止めは施したのでござるが、思いのほか深かったようで……」
政宗は幸村の上半身を抱きかかえた。
「斯様な形で貴殿との手合わせが終わってしまうのは口惜しゅうござるが、致し方ない……某の負けにござる」
「こんなんで俺の勝ちだなんて思えるかよ!まだ勝負はついちゃいねェ!しっかりしやがれ!」
「政宗殿……、武田を継いだあの日、某は武田の為にのみ生きる事を誓い、貴殿と袂を分かつ決意を致した。武田の再建と打倒徳川……それをなす為、雑念を捨て邁進する所存であった。しかしいざ貴殿と決別してみても日々思い起こすは貴殿の事ばかり。そして徳川殿を撃ち破ったその先に、政宗殿、某はどうしてもまた貴殿と以前のような関係に戻れる未来を夢見てしまうのでござる……!」
「真田……幸村……」
「自分から別れを告げておきながら……身勝手と罵られても構わぬ。貴殿と決着をつけられぬままここで果てるのは天罰なのであろうな……しかし」
幸村は思うように力の入らぬ手を震わせながら持ち上げ、政宗の頬に触れる。
「政宗殿の腕に抱かれて死ねるなど……なんという僥倖でござろうか……」
幸村は目を細め、眩しそうに笑みを浮かべた。
「You bastard!死ぬんじゃねェ!そんなの俺は絶対認めねェぞ!決着つける前に死ぬなんざ許さねェ!」
血の気のない幸村の顔を覗き込む政宗の隻眼にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「俺に……俺にアンタを目の前で失う悲しみを二度も味わわせるのか!アンタは!」
政宗の目から溢れた涙が幸村の顔に落ちて弾けたその瞬間、政宗ははっと顔を上げた。思い出したのだ。懐に忍ばせている、ある物の存在を。
 政宗は懐から小さな瓶を取り出すと、蓋を外して無造作に中に手を突っ込んだ。中に入っていた半固形状のものを手に掬うと、それを幸村の傷口に塗りたくる。
「ぐぁぁぁぁぁ!」
深く裂けた傷口に直接触れられる激痛に思わず幸村が苦悶の声を上げ、身を捩る。
「ジタバタすんじゃねェ!じっとしてろ!真田幸村、アンタは絶対死なせねェ……死なせてなんかやらねェからな!」
「ま、政宗殿、何を……!」
「コイツに見覚えねェか?」
そう言って政宗が幸村の顔の前で振って見せた小瓶は、過日奥州の山奥の川で幸村が河童にもらった、あの薬の瓶だった。
「そ、それは河童の……!」
幸村は目を見開いた。まさかそれをまだ政宗が持っていようとは思ってもみなかったのだ。
 薬を塗った途端、幸村の傷口から溢れ出していた血が嘘のように止まった。心なしか幸村の顔に僅かに血色が戻ったように見受けられる。
 政宗は大きく安堵の溜息をついた。苦しげだった幸村の呼吸も落ち着いてきたようだ。
「まだ……持っていてくださったのか……」
「べ、別にアンタとの思い出の品だからって訳じゃねェぞ。今みてェにいざという時に助かるだろ。未練がましく俺の眼帯の紐で髪結ってるどっかの誰かと一緒にすんな」
「こ、これはたまたま他の紐が全て見当たらず、仕方なく代替に用いただけにござる」
「俺が上田攻めた時もたまたまそうだったってのかよ?」
「う……」
幸村はばつが悪そうに顔を背けた。
「す、好いた御仁より賜った物を身につけたいと思うのは当然であろう。何が悪いと申されるか」
政宗はその言葉を聞くや否や幸村の上唇を捻り上げ、無理矢理政宗の方を向かせる。
「痛だだだだだだ!」
「開き直ってんじゃねェぞ。調子いい事抜かしてやがんのはこの口かァ?何が好いた御仁だよ、俺に別れを切り出したのはアンタだぜ……!」
眉を顰めてそう言うと、一際強く捻ってからその上唇を開放した。
「生死の淵を彷徨う重度の怪我人相手になんたる非道な真似を」
「何言ってやがる、もう全然平気そうじゃねェか。……すげェモンだな、河童ってのは」
そこでふと会話が途切れ、二人の間に沈黙が流れる。
 二人とも、奥州で共に過ごした楽しかった一時を思い出していた。二人でふざけ合い笑い合い、肌を寄せ合った。あの頃は何の憂いもなかった。
 思えばあれから今日まで色々な事があった。幸村は政宗と決別する事を選択し、政宗は幸村を忘れる決意をし、それぞれ迷いながら己の道を突っ走った。
 そして今日、決着をつけるべくこの地で再び対峙した。最後に立っているのは、どちらか一人――――の筈だった。
 しかし、幸村の命が目の前で尽きようとしたその時、政宗はそれを受け入れる事が出来なかった。
 一度は迷いを断ち切る為本気で幸村の首を落とそうとした。しかし幸村が自分の贈った眼帯の紐を身につけているのを目にし刀を振り下ろせず、そして再び幸村と対峙しその死に直面し、やはりどうしても耐えられなかった。幸村を失う事が。
 違う道を進みながらも、結局幸村への想いを捨て去る事など出来なかった。
 そしてそれは幸村も同じだった。いつも心の奥深くで政宗を想っていた。
「政宗殿」
沈黙を破ったのは、幸村だった。
 地面に手をつき上半身を起こそうとする幸村の肩を政宗が支える。
「政宗殿。あの日某は甲斐で貴殿に別れを告げ、貴殿とのそれまでの関係に終止符を打った」
「……ああ」
「今はただの敵同士でござる」
「そうだな」
「また……ここから始める訳にはいかぬだろうか」
「…………」
「虫の良い話だと心得ており申す。しかし、某は先程の政宗殿との手合わせにおいて、初めて貴殿と戦ったあの時と同じ昂ぶりを得た。やはり某を昂ぶらせ漲らせるのは政宗殿をおいて他にあらず。そしてそれを……戦場以外でも感じていたい」
「そういや……アンタと初めて会った時も戦場で、敵同士だったっけな……」
不思議なものだ、政宗はそう思った。戦場で初めて刃を交えたその時から、敵であるにも関わらず互いに惹かれ合った。その時と同じ高揚を、熱を、政宗もまた先程の幸村との戦いのさなか確かに感じていた。
「この俺を熱くさせられるのは、真田幸村、アンタの他にゃ有り得ねェ。戦場でも、戦場以外ででもだ。だがな」
そこで政宗は一旦言葉を止める。目を閉じて暫し黙考した後、再び口を開いた。
「武田を背負う身となった以上、俺とそういう仲でいる訳にはいかねェと……そう言ったのはアンタだぜ」
「今の某はあの時とは違い申す。必ずや両立させ得ると、」
「それにな」
政宗は幸村の言葉を遮った。
「俺にもプライドってモンがある。蟠りもある。そう易々と縒りを戻してやる訳にもいかねェさ」
「政宗殿……」
幸村は悲痛な面持ちで目を伏せる。やはり無理なのか。一度袂を分かった自分達は、以前のように密な間柄には戻れぬのか――――。
「……と、言いてェところだが、アンタがどうしてもって言うんなら……考えてやらなくもねェ」
政宗の言葉に幸村はぱっと顔を上げた。
「政宗殿、それでは……!」
「俺の出す条件が飲めるなら、の話だがな」
「この幸村、貴殿と再び以前のような仲に戻れるのであれば何でも致す所存!さ、何なりとお申しつけくだされ!」
幸村の目は先程とは打って変わり希望に輝いている。
「真田紐、百本」
「……は?」
「うちの連中の間でごますり棒が流行っててな」
「し、しかし……真田紐は上田の貴重な資源……」
幸村は困惑した。漸く内政が落ち着いてきたとは言え、資金繰りは相変わらず苦しいのが武田の実情なのだ。
「出来ねェってんならこの話はなしだ。百本きっちり献上したら考えてやるよ」
政宗は眉根を寄せ、凶悪な笑みを浮かべてこう言った。
「この俺を袖にしやがった罪は重いぜ……You see?」




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