伊達軍が去った後の上田城で、幸村の前に佐助が姿を現した。
「真田の旦那。……じゃなくて大将。何やってんのさ、情けないったらないね。あのまま斬られるつもりだったっての?」
佐助は一部始終を見ていた。あの時政宗が刀を止めなければ手裏剣を放つ算段だった。
「佐助。堀の水が引いたのは……お主の手引きか」
「そうだけど?」
悪びれる様子もなくあっさり答えた佐助に幸村は憤る。
「お主は今や武田が副将、それが敵軍の手引きなどと!恥を知れ!」
「恥を知るのはあんたの方だ、大将」
「なっ……」
声音を低く落とした佐助の言葉に普段の飄々とした調子は全くなく、これまで聞いた事もないような厳しい口調に幸村は戸惑った。
「武田の兵達を見ろ。今の武田に残ってるのは、大将としてのあんたについて行くと決めた者達だ。あんたはどう足掻いたってお館様になんかなれやしない。あんたは真田幸村だ、総大将になったってそれは変わらない。真田幸村は真田幸村で、他の誰でもない。その真田幸村について行くと皆覚悟を決めてるんだ。なのに……なのにあんたが迷ったままでどうすんだ!」
「佐助……」
「旦那の中で独眼竜への想いは消えないんだろう。今は色恋にうつつを抜かしてる場合じゃない、あんたはそう言った。確かにそれはそうだ。でも独眼竜を慕うあんたもあんたを形成してる一つの部分なんだ。好きなら好きでいいじゃないの。忘れようと無理して道を見失うより、抱えたまま突っ走ったらどうだい。その方がよっぽど旦那らしいと、俺様は思うけどね」
「…………!」
佐助の言葉を受け幸村に衝撃が走る。愕然とする幸村を尻目に、
「ま、ここらでちょっと一息入れて頭冷やしてみるのもアリなんじゃない?」
そう言って佐助は姿を消した。
 幸村は脳裡で佐助の言葉を反芻する。
 思えば幸村は武田を継ぐと決めてからずっと深く昏い水底に閉じ込められているかのような重苦しさに苛まれ、夢の中ですら藻掻いていた。
 まだ一介の武将であった頃は、恋仲である政宗の国主としての在り方に憧憬や嫉妬の念を覚えた事もある。だがいざ自分がその立場に置かれてみると、その重責に押し潰されそうになった。甲斐の担い手として信玄のようであらねばと気負い、しかし政宗を忘れる事も出来ず、空回りを繰り返した。
 そしてそれが政宗に無様な醜態を晒す結果となってしまった。
 しかし、佐助の言葉で幸村は、ずっと自分の胸中にかかっていた靄がすっと晴れていくような感覚を覚えた。
 自分はどう足掻こうと真田幸村でしかない。政宗への想いを断ち切れぬこの自分ごと真田幸村なのだ。佐助はそう言った。そして、今の武田に残っているのはこの真田幸村について行く決心をした者達だと。
「礼を言うぞ、佐助……お主の言葉で俺は進むべき道を見つけた……!」
政宗はもう迷わないと言った。自分ももう迷わない。捨てられないなら抱えたまま突き進めば良い、それに佐助が気づかせてくれた。
 幸村は懐から政宗の眼帯を取り出し、胸の前で握り締める。その眼帯は今や幸村と政宗を繋ぐ唯一の物だった。
 何度も捨てようとし、どうしても捨てられなかった眼帯。結局その紐で髪を結う事もやめられなかった。
――――政宗殿には、一目で気づかれてしまったか……全く、目聡い御仁だ。
幸村は目を細め自嘲気味に笑むと、眼帯を懐に仕舞った。

 徳川を討つ。近くに冬の到来を感じさせる晩秋の風に吹かれながら幸村はそう決意した。
 己の采配の自信のなさから石田と同盟し徳川との戦を先延ばしにしてきたが、迷いを捨てられた今こそ、甲斐の虎の後継者としての矜持を持って家康と渡り合える。徳川と同盟関係にある伊達軍――政宗ともその戦で再びまみえる事になるかもしれないが、政宗は幸村と家康の勝負に水を差すような真似は決してしない筈だ。自分が頂点にいないと気が済まない気位の高い政宗だ、家康の前に立ち塞がる事も考え難い。
――――徳川殿を討ち果たしたのち、再びまみえましょうぞ、政宗殿……!
かつては睦み合う仲だったが、己の至らなさから政宗に別れを告げた。なんと浅はかだった事だろう、と今更ながらに思う。政宗を忘れられる筈などなかったというのに。
 今は政宗が幸村をどう思っているかはわからない。幸村の首へ刀を振り下ろそうとした際は明らかな殺気を感じもした。
 しかし、幸村の髪紐を見た政宗は刀を止めた。幸村にくれた眼帯の事を覚えていた。あの時の政宗は、確かに動揺していた。
 その動揺がどういう心境から来ているのか、刃を交えれば自ずと答えが出る筈だ。そんな気がした。何故なら幸村と政宗はそこから始まったからだ。
 次こそは全身全霊をかけて政宗と戦える。恋仲になる前の自分達のように、好敵手として。
 真っ直ぐに前方を見据えるその双眸に、最早迷いはなかった。




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