伊達軍が豊臣軍に敗退したという噂は瞬く間に広がり、奥州やその近辺で伊達に反感を持っている勢力を活気づかせていたが、政宗は奥州へ戻ってからというもの政務もろくに手につかず、幸村の死からひと月以上経った今でも気づけば幸村の事ばかり考えているのだった。
――――誰を犠牲にしてでも生き残れっつったのに……たとえそれが俺であっても、だ。
書状をしたためていた手もいつの間にか止まっている。
――――天下取ったとしてもアンタがいないんじゃつまんねェよ。そうだろ、真田幸村……。
とうとう筆を硯に置くと畳に寝転がった。

 幼い頃に病で片目を失ってからずっと政宗はどこか冷めていた。
 柔らかな春の息吹も、照りつける夏の日差しも、秋の色づいた紅葉も、冬の荘厳な雪景色も、残された一つ目には全て灰色に映った。
 ある時ふと耳にした言葉。その言葉を初めて聞いたのは、いつだったろう。
 天下――――数多の武将が目指す日の本の頂。その言葉の意味を知った時、政宗は言い知れぬ高揚を覚えた。自分が熱くなれるものがそこにある気がしたのだ。
 それから政宗は天下を取る事に固執するようになり、ただ憑かれたように天下を目指し戦に明け暮れた。
 戦いだけが、政宗が熱くなれる唯一のものだった。それが自分の生きる意味の全てだった。
 天下を取りさえすれば、この灰色の世界が鮮やかに彩られると盲信していた。
 そしてそれはある日突然に訪れた。
 他勢力同士の戦に乱入したその時、突如その一つきりの目に飛び込んできた――――赤。そのあまりに鮮明な赤の熱さに、一瞬で心を奪われた。
 それが武田の将、真田幸村だったのだ。
 幸村と戦場で刃を交える度に心が歓喜で打ち震え、冷静でいられなくなった。
 ずっと政宗が欲していた熱さ。それまで感じてきたものとは比べ物にならない灼熱がそこにあった。焦がれてやまなかった。
 そしてその熱は戦っている時以外でも感じられるようになった。
 幸村と共に過ごす時間、それは互いの立場からかなり限られてはいたものの、政宗にとってそれまで感じた事のない幸せに満ちた、掛け替えのないものだった。
 それが突然目の前から消えた。
 これから自分はどうすれば良いのか、何をすべきなのかわからなくなった。知らず知らずのうちに自分の中でいつの間にか天下より幸村に比重が置かれていた事に、幸村を失って初めて気づいた。
 心に穿たれた空洞は小さくなる事を知らず、後悔と虚無感ばかりが日々堆積していくのだった。

 部屋の外から小十郎に呼び掛けられ、慌てて身を起こし文机に向かい入室を許可する。
 腰を下ろした小十郎に政宗が向き直ると、小十郎は政宗の思いもよらぬ言葉を口にした。
「政宗様、今し方入った情報によりますと、甲斐は病状の悪化した武田信玄の跡目を真田幸村が継いだとの事でございまする」
政宗は目を剥いた。
「なん……だと……?今何つった小十郎。誰がオッサンの跡を継いだって?」
「は、真田幸村にございます」
「That's hella stupid!アイツは死にやがっただろうが!ガセだろ?」
「それが、ガセじゃないんだわ」
政宗と小十郎の会話に突如割って入った声と共に佐助が姿を現した。
「てめェ、武田の……」
「こないだはごめんねー、いきなり大将があんな事になっちゃって、さすがの俺様も動転しちゃって武田内部もガタガタでさ」
「んな事ァどうでもいい。なんで……真田幸村が生きてんだ」
刀の柄に手をかけた小十郎を目で制し政宗が震えた声で問う。
平静を装おうと努めてはいるものの、幸村が生きていたという事実に動揺を隠し切れなかった。
「辛うじて一命を取り留めたっていうか、まあ今は元気でピンピンしてるよ」
「だがお前、あの時…………そうか、俺を謀りやがったのか」
見る見るうちに険悪な顔つきになる政宗をよそに、佐助は飄々とした態度を崩さず言葉を続ける。
「俺様は首振っただけで嘘はついてないしぃー。で、さっき右眼の旦那が言ったように真田の旦那が武田継ぐ事になったんだけど…… 真田の旦那がいっぺん独眼竜に会っときたいって言うんだ」
「じゃとっとと顔見せに来いっつっとけ」
「それが今忙しくて真田の旦那が国空けるワケにいかないんでね、竜の旦那に甲斐までご足労いただければ、って」
「馬鹿言うんじゃねえ!なんで政宗様が」
「Stop, 小十郎」
政宗は暫し黙考すると、
「Hmph, 気に入らねェ。この俺にわざわざ出向いて来いとはな……I'm so fxxkin' peed off with that jackass!!!」
吐き捨てるようにそう言って立ち上がる。
「小十郎、悪ィがちょっくら甲斐まで行ってくるぜ」
「は!?これから、でございますか」
「アイツ、今すぐにでもブン殴ってやらなきゃ気が済まねェ!」
そう言いながら無造作に戦装束に着替え始めた政宗に目を剥いた小十郎は、他国の忍の前でお召し替えなど、と諌めようとしたが、今の政宗の耳に入らない事は容易に想像でき、その言葉を飲み込んだ。
「助かるよ。じゃ甲斐の国境まで来たら後は俺様が案内するから」
そう言って佐助は姿を消した。
「せめて護衛の者を」
「いるかそんなモン!後は任せたぜ!」
話しながら着替え終えた政宗は、刀を携え馬に飛び乗り屋敷を飛び出していった。
 小十郎はそんな政宗に嘆息しつつも、どこか安心している自分に気づいていた。奥州に戻ってからずっと抜け殻のようだった政宗が、幸村が生きていると知った途端その左目に輝きが戻ったからだ。
 政宗が脱ぎ捨てていった袴を畳みながら、幸村との再会が政宗に良い影響を及ぼす事を祈るばかりだった。

――――生きてやがった……!Hell yeah!真田幸村の奴、生きてやがった!
 小十郎や佐助の前では悪態をついて見せたものの、政宗は内心喜びで一杯だった。
 早く幸村に会いたい、その一心でとにかく速く馬を駆った。





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