「なんと、字も書けぬ程にひどい怪我をなさっているというのか。あの政宗殿が」
上田城に戻った佐助は幸村の自室にて幸村に首尾を報告していた。
「でさー、竜の旦那は文なんか一通も届いてないって言うんだけど」
「そんな筈はない、俺は何度も文をしたためたのだぞ」
「旦那、それちゃんと送ったんだろうね?」
 佐助の言葉にはっとした幸村は文机の抽斗をごそごそと漁る。すると中から政宗に宛てた幸村の文が何通も出て来た。
「だ、出すのを、忘れておった……」
佐助は幸村に聞こえるようにわざと大きく溜息をつく。
「あ〜〜〜〜あ。まっ旦那らしいっちゃらしいけどね……」
「それより佐助、俺の文を読んだ政宗殿の反応はどうだったのだ」
「それが俺様すんごい意外でさー。旦那のあのベタな恋文読んでぽっと頬染めちゃったりなんかしてさ、嬉しそうににこにこしてんの」
「それは誠か!政宗殿は俺を厭われた訳ではなかったのだな!」
 政宗の様子を聞いた途端顔を赤らめ目を輝かせる幸村に、佐助は何やら自分の事のように嬉しくなった。幸村の思い違いから奥州くんだりまで走らされたが、行った甲斐があったと満足する。
「あ、そうそう、これを預かってきたんだ」
幸村が佐助から包みを受け取り、そっと開いてみると中には見覚えのある眼帯が入っていた。
「竜の旦那が真田の旦那に渡せって……ってちょっと!何匂い嗅いでんの!気持ち悪いんだけど!」
「久々の政宗殿の匂い……!胸が熱く滾る!今すぐ会いに行けぬのが歯痒い!……そう言えばお主、政宗殿は怪我をなさっていると申したな」
幸村は箪笥の抽斗から何やら怪しげな包みを取り出すと、それを佐助の鼻先に突きつけた。
「佐助ぇ!今すぐこれを政宗殿へ届けるのだ!」
「はぁぁ?俺様今日帰ってきたばっかなんだけど」
「つべこべ言うでない!さあ佐助よ、政宗殿への俺の愛を貫く為いざ進め!奥州へ!」
「……俺様に何の利点もないんだけど」
「主である俺の幸せ即ちお主の幸せ。何も問題はなかろう。さ、急ぎ行って参れ」
「ていうかー、これ何?」
 佐助が幸村から渡された包みを開くと中には小瓶が入っており、瓶の中には軟膏のような半固形状の物質が入っている。それは過日奥州の山奥の川で見逃してくれた礼にと河童が幸村にくれた物だった。
 幸村はその経緯を佐助に話して聞かせた。
「めちゃくちゃ怪しいんだけど、ホントに薬なの?」
「俺が鍛錬の際にできた傷に塗ってみたら効果覿面だったのだぞ、間違いはない。政宗殿もこれを使えば怪我など忽ち治る筈」
佐助は出所が物の怪などという怪しいものをよく自分に使えるものだと半ば呆れ気味に感心する。
――――ていうか河童なんてほんとにいるのかねぇ。幻でも見たんじゃないの?
佐助の頭に疑問が浮かんだが、それを口に出すと主の機嫌が悪くなるのはわかっているので言わずにおいた。
「だからって俺様がわざわざ届けなくても早馬出せばいいじゃん」
「俺と政宗殿の貴重な思い出の品を赤の他人に預けられよう筈もなかろう。お主が行くのだ」
 佐助は再び大きく嘆息する。
 こうなっては仕方ない。この駄々っ子のような主が言い出したら聞かない事は佐助自身一番よく知っているのだ。
「行くよ、行けばいいんでしょ行けば。ほんと忍使いが荒いんだから。帰ったら休暇もらうからね!」
そう言い捨てて佐助は部屋から音もなく姿を消した。



 政宗が自室で煙管に火を点け就寝前の一服を愉しんでいると、天井から聞き覚えのある声が降ってきた。
「竜の旦那、ちょっくら邪魔するよ」
「チッ、なんだお前また来やがったのか」
背後に降り立った佐助に舌打ちして憎々しげに答える政宗だったが、仕事柄気配の機微に聡い佐助は政宗の険のある言葉にどこか嬉々とした色が浮かんでいる事に気づいていた。
 政宗は、前回佐助が来た際には、渡された幸村からの文の返事の代わりに自分の眼帯を渡した。その返事が来たと思ったのだろう。
 前回の幸村の文を読んだ時の反応といい、政宗がその見た目とは裏腹に純情な一面も持ち合わせている事が佐助には意外だった。
「あんたってさ、なんか……可愛いとこあるよね」
「Aaaaaah!? 気色悪ィ事言うな。七等分にされて甲斐に送りつけられてェのか」
「そんな事したら真田の旦那に嫌われちゃうよ?」
「知った事じゃねェよ。目の前のムカつく忍をぶった斬れるんならな」
政宗は隻眼がぎらりと光らせ、口角を鋭く上げて不敵な笑みを浮かべる。
「前言撤回。やっぱ可愛くないわ」
「こんなくだらねェ会話する為に来た訳じゃねェだろ?お前俺の眼帯ちゃんと真田幸村に渡したのかよ」
――――はいはい、真田の旦那の反応が気になって仕方なかったワケね。素直にそう言えばいいのに。
「渡したよ。真田の旦那は匂い嗅いでからなんか喚いてた」
「……犬かアイツは」
「うん、まー似たようなもん。でね、あんたにこれをって」
佐助は政宗に例の薬を手渡した。
 幸村は政宗が河童を捕らえたと言っていたが、政宗はそれに見覚えはないようだ。
河童云々が幸村の妄想で政宗に鼻で笑われるのではないかと憂慮していた佐助は、河童の話自体は本当だった事に驚きつつも安堵する。
 薬の効果は幸村が身を持って立証済みである事を伝えると、政宗は佐助の思いもよらぬ事を口にした。
「お前が塗れ」
「え?え?俺様が?ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てふためく佐助を余所に政宗は腕の包帯をどんどん解いていく。
「ほら、早くしろ」
「なんで俺様がそんな事しなくちゃなんないワケ?ていうか一国の主が他国の忍に傷口晒しちゃっていいワケ?」
「ガタガタ抜かすな。小十郎だとそんな怪しい薬使わせてくれねェに決まってんだろ」
 幸村の厚意が無駄になるのは佐助にとっても不本意だった為仕方なく従う事にする。
 剥き出しになった政宗の傷を見ると、大分塞がってきてはいるものの思いの外深かった。
「…………っ!」
傷の最も深い部分に薬を塗りつけると、政宗は目を強く瞑って痛みを堪えているようだった。
「ねえ、なんであんた程の人がこんな怪我しちゃったの」
薬を塗り広げながら佐助が問うと、政宗は暫し黙考した後、口を開いた。
「真田幸村の奴が上田に戻ってから文の一つも寄越しやがらねェから、むしゃくしゃして馬で暴走してたら木にブチ当たっちまったんだよ」
 佐助は暫くの間開いた口が塞がらなかった。
 傷口の形状から刀傷でない事は見てとれたが、まさかその様な馬鹿げた理由で怪我をしたなどと思いもしなかったのだ。
 来ないなら自分から出せば良いところだが、政宗の自尊心がそれを好しとしなかっただろう事は容易に想像できた。
「ばっかじゃないの。国主がそんな事やってちゃ駄目じゃん!」
「ほっとけ」
「はい塗れたよ。包帯巻いたげるから貸して」
佐助は包帯を受け取ると当て布をした傷口の上からくるくると器用に包帯を巻いていく。
「慣れてる手つきだな」
「まあね、うちの旦那ってほら、生傷絶えないから。……はい出来た」
「お前、真田幸村によく包帯巻いてやってんのか」
「そうだけど」
はじめ政宗の質問の意図がわからずきょとんとした佐助だったが、少し恥ずかしそうに膨れっ面をした政宗を見て、その真意を察した。
「……もしかして、妬いてんの?」
「煩ェな!そんなんじゃねェよ」
そう言いつつも忽ち赤面する政宗の表情は、佐助の指摘が図星だった事を雄弁に物語っていた。



「けしからん!実にけしからん!!」
奥州から戻った佐助が幸村に首尾を報告すると、幸村は目の前の佐助に対し大いに憤った。しかしそれは佐助にとってはとばっちり以外の何物でもなかった。
「俺の政宗殿に触れるなど……!」
「そんな事言われても、俺様したくてしたワケじゃないんですけど。そんなんでいちいち焼餅焼かないでくれる?」
 奥州まで二往復もさせられ、言われたとおりにしているだけにも関わらず政宗と幸村の双方から妬まれ、佐助は辟易していた。
 しかし嫌気が差した表情をしてみせたところで幸村がそれを汲み取れるような人間ではない事は重々承知している。
 幸村が喜ぶ情報を与えるのは癪だったが、延々と絡まれるのも鬱陶しいので教えてやる事にした。
「そうそう、竜の旦那も妬いてたよ」
「政宗殿が?どういう意味だ」
「俺様がよく真田の旦那にも包帯巻いたりするって言ったらなんかムッとしてさ、『妬いてんの?』ってきったら顔真っ赤にしてんの」
佐助がそう言った途端幸村の顔まで真っ赤になった。
 類は友を呼ぶとはよく言ったもので、一見正反対に見えるこの二人も実のところ似た者同士なのだろう。
「見た目と違って意外と可愛いとこあるよね、あの旦那」
微笑ましく思った佐助が何気なく呟くと、徐に幸村の目が見開かれる。
「違うから!そういうつもりで言ったんじゃないから!報告はこれで終わり!んじゃね!」
 幸村が口を開きかけた瞬間、佐助はそう捲くし立てて姿を消した。
 取り残された幸村が、労いの言葉を掛けるのを忘れていた事を思い出し佐助を呼んでみたが、既にどこかへ行ってしまったのか姿を現さなかった。
――――そう言えば休暇を取らせる約束であったな。
 急に手持ち無沙汰になった幸村は、文机の前に端座し姿勢を正すと、机上の小箱からそっと中身を取り出した。
 小箱に入っていたのは、以前佐助が奥州から持ち帰った政宗の眼帯だった。
 刀の鍔を模した薄い金属の板が黒い革で縁取られたその眼帯は両端から瑠璃色の紐が伸びており、その色は政宗の陣羽織を連想させる。
 両手で包み込むように胸元で握り締めた。
 目を閉じれば、過日奥州で政宗と共に過ごした時間が瞼の裏に甦ってくる。
 政宗に会いたいという気持ちは日々募るばかりだったが、その眼帯を手にすると政宗が近くにいるような気になれた。
 政宗も少しでも自分の近くにいたいとこの眼帯を寄越したに違いない、幸村はそう信じていた。言うなれば、その眼帯は幸村にとって二人の気持ちが通じ合っているという証だった。





 豊臣の軍勢が大挙して東に押し寄せているという情報が入ったのは、それから間もなくの事だった。





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