「佐助!佐助はおらぬか!」
 紅葉色づく太郎山を北に臨む上田城の中庭に、城主の声が響き渡る。
 幸村が奥州から上田へ戻ってから二ヶ月あまり経過していた。
「佐助ぇぇぇええええ!」
「はいはーい、そんな大声出さなくても聞こえてますって」
真田忍隊長の猿飛佐助が中庭に音もなく姿を現した。
「佐助、お主に一つ頼まれてほしいのだが」
「何?給料分以上の仕事ならお断りだよ」
「急ぎ奥州まで遣いに行ってほしいのだ」
「奥州ー?伊達軍なら目立った動きはないから偵察の必要はないよ?」
「いや、偵察ではない。これを政宗殿に届けてほしいのだ」
幸村は懐からそっと包みを取り出した。
 それは一通の書状だった。
「これを政宗殿にお渡ししてだな、その場で返事を書いていただいてお主がそれを持ち帰ってほしいのだ。良いか、決して中を読むでないぞ」
「えーとなになに、愛しの政宗殿へ、某は貴殿なしでは夜も昼も明けぬ毎日でございます、貴殿の事を思うだけで胸が熱く滾り、……ブハハハハ!アーッハッハッハッハ!これ恋文じゃん!旦那が、こ、恋文って!しかもすっげベタ!アハハハハ!」
佐助は冒頭を読んだだけで盛大に吹き出した。
 暫し腹を抱えて笑い転げていたが、怒りの色を浮かべた幸村に槍先を喉元へ突きつけられ我に返り、笑うのを堪える。
 しかしそれでもまだ収まらぬらしく、涙目で痙攣していた。
「よ、読むなと申したであろう!俺と政宗殿との事は二人だけの秘密であったのに……」
「え、旦那と独眼竜の関係なんて俺様とっくに知ってたけど」
「な、なんと!いつの間に気取られたというのだ!」
「いつの間にって、こないだの同盟で独眼竜が甲斐に来てた時、二人で竜の旦那の部屋にしけ込んでたでしょ」
「……何故それを」
「だってあの時、真田忍隊が屋敷外の警護にあたってたんだよ?縁側でイチャイチャしてりゃバレて当たり前じゃーん」
「迂闊であった……!この件はくれぐれも他言無用で頼むぞ。では早速で悪いがすぐ奥州へ飛んでくれ」
「お断りだね。そういうのは俺様の仕事の範疇外」
「佐助、お主以外に頼れる者がおらぬのだ。俺が行ければ良いのだが、お館様に新兵の鍛錬を命ぜられておる故上田を離れる訳にはいかぬ。どうか頼む。このままだと頭がおかしくなりそうだ。俺は出口のない愛の迷宮に迷い込んだ彷徨える夢旅人なのだ」
幸村の意味不明な言葉に佐助は本当に頭がおかしくなったのではないかと危惧したが、主がおかしいのは元からだと即座に思い直す。
「意味わかんない事言わないでよ。……普通に文送って返事待つんじゃ駄目なワケ?」
「それが……奥州から戻って早二ヶ月、幾度文を出せども梨の礫で一向に返事がないのだ」
「奥州行った時に嫌われるような事しちゃったんじゃないのぉ?」
「馬鹿を申すでない、そのような事がある筈もなかろう。俺は政宗殿の御身に何かあったのではと気が気でない」
「でも旦那って時々配慮に欠けた発言するしさ、人の話聞かないしさ、気づいてないだけで実は嫌われちゃったりしてるかもよ?
 独眼竜の身に何かあったなんて情報入ってないし、実際返事もらえないんでしょ」
佐助の容赦ない言葉に幸村の顔は青褪め、がっくりと肩を落とす。
 先日破竹の勢いで小田原を攻め落とした気迫が嘘のようにすっかり萎んでしまった主が情け無くも哀れになった佐助は、一先ず幸村の依頼を引き受ける事にした。
――――あーあ、すっかり逆上せ上がっちゃって。俺様独眼竜は苦手なんだけどなー、どこがいいんだろ……。
 今にも魂が抜けてしまいそうな様相の主の為に、心中で愚痴りながらも佐助はすぐに上田を発った。



 亥の刻を少し回った頃、欠伸を噛み殺しながら自室の文机で書物を読んでいた政宗がそろそろ寝るかと机上の蝋燭を吹き消そうとしたその時、
「あ、ちょっと待った。消さないで」
とどこからともなく声がし、続いて天井から音もなく影が降り立った。
「お前、武田の忍……?」
影は佐助だった。
「ごめんねーこんな夜遅くに」
「何しに来やがった。暗殺か?」
「ご冗談を。あんた殺したら俺様が真田の旦那に殺されちまうって。……ていうかー、どうしたのさ、その腕」
政宗は右腕の肘から手首にかけて包帯で覆っている。
「見りゃわかんだろ。怪我した」
「あんたが怪我するなんて意外だね。何やってたの」
「るっせェな。それより何しに来たっつってんだろ」
「これをあんたに渡してほしいってさ、真田の旦那が。自分で来たかったみたいだけど今忙しいから」
 佐助は幸村から預かった文を懐から取り出すと政宗に差し出した。政宗はすぐに広げて目を通す。
「ベッタベタな恋文だよねー俺様もうおかしくってさぁ!……って、え?」
 佐助は一瞬目を疑った。
 幸村の文を読んだ政宗が僅かに頬を赤らめ心底嬉しそうな表情をしていたからだ。これまで不敵な笑みや顰めっ面しか見た事のなかった佐助は驚きを隠せなかった。
――――あらら、相手に逆上せてるのはお互い様だったみたいだね。良かったね真田の旦那。
 実は佐助は幸村が政宗に遊ばれているのではという懸念を抱いていたが、それは杞憂に終わったようだ。
「……お前これ読んだのかよ」
 佐助を隻眼でぎろりと睨んだ政宗はすっかり元の顰めっ面に戻っていた。
「あ、あんたと真田の旦那の関係なら初めっから知ってたから安心して」
「Why!? アイツ喋ったのか!?」
「あの旦那が自分から言うワケないじゃん!実は武田屋敷の縁側でいちゃいちゃしてるとこバッチリ目撃しちゃいましたー」
 政宗は大きく溜息をつくと左手で頭を掻き毟った。
 酒が入っていたとはいえ迂闊な行動に出た自分を悔いたが、今となっては後の祭りだった。
「で、真田の旦那はあんたにすぐ返事書いてもらってそれを俺様に持って帰れって言ってるんで、悪いけど今ちゃちゃっと書いてくれる?」
「It's impossible. 見りゃわかるだろ、腕が治るまで字は書けねェ」
「ちょっとくらい無理して書けないもんなの?」
「汚ェ字を書くなんざ俺の美意識が許さねェ」
「困ったなー、真田の旦那はあんたに嫌われてるかもって落ち込んでるから俺様が手ぶらで帰ったりなんかしたら今度こそ立ち直れないよ」
「……なんで俺に嫌われてるなんて思ってんだ、真田幸村は」
「そりゃあんたが全く返事寄越さないからでしょーが。そんな前からずっと腕怪我してたっての?」
「返事?何の事だ。話が見えねェんだが。俺がアイツから文もらったのはこれが初めてだぜ?」
そう言って政宗は先程受け取った幸村からの文をひらひらと振ってみせる。
「そんな筈ないって!真田の旦那は上田に戻ってから何度も文送ったって言ってたよ?」
「そんなの一通も来てねェ」
 一通くらいなら有り得るが、何通もの文が全て逓送中に何かあったとは考え難い。
 しかし先程幸村の文に目を通した際の政宗の様子から、佐助には政宗が嘘を言っているようにはとても見えなかった。
「来てないってんじゃしょうがないね、取り敢えず俺様一旦帰るわ。じゃあね竜の旦那」
「ちょっと待て」
政宗は佐助を呼び止めると、後頭部に手を回して眼帯の紐を解き「これを真田幸村に渡せ」とその眼帯を差し出した。
佐助はそれを恭しく受け取ると、懐紙で包み懐に仕舞った。



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