奥州の短い夏を惜しんで鳴く蝉の声が時雨のように降り注ぐ頃、真田幸村はその地に足を踏み入れた。
 照りつける日差しがじりじりと肌を灼くものの、田圃には赤蜻蛉が飛び交い、稲穂は頭を傾げ、近く訪れる秋の気配を感じさせている。
 しかし幸村は初めて訪れた土地であるにも関わらずそういった景色の情緒には目もくれず、一心に馬を駆っていた。もう少しで政宗に会える――――幸村の念頭にはそれしかなかった。

 道すがら町人に尋ね教えられたとおりなだらかな坂道を駆け上がると、一際大きな屋敷が目に飛び込んでくる。
 逸る気持ちを抑え切れず、幸村は馬の腹を蹴って加速し一気に屋敷の門を潜った。



 幸村は通された部屋で端座して彼の人を待つ。
 予め先触れを寄越しておいたからか、然程待たされる事もなく政宗が腹心の片倉小十郎を伴って現れた。
「待たせたな、真田幸村」
「政宗殿!真田源二郎幸村、罷り越しましてございます」
畳に手をつき深々と頭を下げ、そう固くなるなよという政宗の言葉で頭を上げる。
 この日の政宗は濃藍の馬乗袴という出で立ちだった。胡坐をかいた政宗の袴の裾からのぞく足首の白さに動悸が激しくなるのを感じつつ、幸村は信玄より預かった書簡を恭しく政宗に差し出した。
「で、いつまでこっちにいられるんだ」
書簡に目を通しながら政宗が問う。
「明後日、夜明けと共に発つ所存にございます」
「OK, 返事はそれまでに書いとく。しっかしまァ、アンタが何日も上田を空けるのをよく許可したモンだなあのオッサンも。
 怒髪天を衝く勢いで怒り狂うんじゃないかと思ってたぜ」
「は?お館様に髪の毛はございませぬが」
「慣用句だろ!まんま捉えんな!」
「政宗様、この小十郎が思いまするに、この真田という男もしや大変な馬鹿なのかも知れませぬな」
政宗の傍らに座した小十郎が政宗に耳打ちすると、政宗もそれに同意する。
「ああ、激しく馬鹿だぜコイツ」
「今ハゲと申されたか!いくら政宗殿とて無礼でござろう!お館様はハゲておるのではなく剃髪しておるのでござる」
「誰もそんな事言ってねェよ!面白ェ奴だな!」
肩を揺すって笑い出した政宗の様子に、幸村ははたと我に返った。
 心酔している信玄を悪く言われたと勘違いし、よりによって政宗を詰るなど。幸村は気恥ずかしさと政宗に嫌われたらどうしようという気持ちで居た堪れなくなったが、政宗は愉快そうに笑っているので、差し当たり気にしない事にする。
 元来こういった切り替えは早い性質なのだ。
「それはそうと政宗殿、折角またこうしてお会いできたのでござる、よろしければ手合わせを」
 幸村は、独眼竜とまた戦いたい、そう言って信玄の名代を願い出て遠路遥々奥州までやって来たのだ。
 本来の目的を思い出し、それが話題を変える事にも功を奏した。
「Of course!表ェ出ろ真田幸村ァ!!」
「政宗様!」
政宗が隻眼をぎらつかせて床の間の刀に手をかけた途端、小十郎が制止の声を上げる。
「真剣は禁止!得物は木刀か竹光のみ!よろしいですな!真田、もちろんてめえもだ!」
「なっなんと、槍も禁止でござるか!」
「小十郎!てめェそんなヌルい手合わせで俺が満足できると思ってんのか!」
「この小十郎にとって、一番の大事は政宗様の御身!二番はこの屋敷に損害を出さぬ事にござりますれば!おわかりいただけましょうな!」
「けどよォ、」
「この条件を呑んでいただけるのであれば、明日は丸一日政宗様のお好きに過ごしていただいて構いません」
小十郎の出した条件を聞いた途端、政宗の目の色が変わった。
「Holy shit!マジかよ!よし乗った!木刀持ってきやがれ!」
小十郎は伊達に竜の右目の異名をとっている訳ではない。政宗の扱いに於いてはまさに小十郎の右に出る者はいないのだ。
「そういう訳だ真田幸村、悪ィが木刀で我慢しろ。全ては明日のオフを勝ち取る為だ!」



 政宗と幸村は手合わせの際にかいた汗を流す為に二人揃って湯殿にいた。
 手合わせは呆気なく政宗の勝利に終わった。常日頃から六振りもの刀を振り回し戦う政宗と違い、幸村が身につけているのは槍術で、刀と槍では間合いも攻撃の繰り出し方もまるで勝手が違う。無理もなかった。
 幸村は政宗の背中を流しつつ、先程の木刀での手合わせに不満を漏らす。
「某の槍を使えればあのような木刀など叩き折ってくれたものを……!政宗殿、貴殿もそう思われましょう」
「いやアンタが槍で俺が木刀じゃハンデあり過ぎだろ」
「何を申されます、逆境を覆してこそ武人でございましょうに」
「おいおい、自分を棚に上げてんじゃねェぞ!」
 政宗が振り返ろうとした瞬間、幸村はその体を後ろから抱き竦めた。
 唐突な幸村の行動に政宗の心拍数が跳ね上がる。
 幸村が近く訪れる事を聞いてから密かにその日を心待ちにしていた政宗だったが、実際その腕に抱かれてみると、自分がどれ程幸村を求めていたかという事を改めて実感させられるのだった。
 そしてそれは幸村も同じだった。
「この胸の底に溜まった蟠りは、今夜政宗殿に払拭していただけると思ってよろしいのでありましょうか」
掌に吸いついてくる政宗の肌の感触に欲情を禁じ得ず、幸村は項や肩に唇を落としていく。
自分を抱き締める腕や触れる唇の熱さに逆上せそうになりながら、
「……わかってるよ。俺の部屋はさっき教えただろ、夜這いに来い。だから今はがっつくなよ」
幸村の腕に手を添え、自分に言い聞かせるように政宗は答えた。



 夜半過ぎ、幸村はそっと部屋を抜け出した。
 物音を立てぬように細心の注意を払って襖を閉め、忍び足でゆっくりと廊下を歩き始める。家人が全て寝静まった屋敷内は昼間の喧騒が嘘のように静かで、聞こえてくるのは常より数段早い己の心音のみだった。
 政宗の部屋のすぐ手前の曲がり角で一旦足を止めて呼吸を整え、角から顔だけ出して先の様子を窺うと、そこに信じられないものを見つけ思わず声を上げる。
「か、片倉殿!?」
政宗の部屋の前の廊下で、刀を携えた小十郎が座したまま眠っていたのだ。
「……真田?てめえ、こんな夜中に何うろついてやがる」
幸村の声ですぐに目を開けた小十郎に質され、幸村はまさか夜這いに来たなどとは言える筈もなく、厠の場所がわからなくなったと誤魔化した。

 襖の向こうでは、部屋の主が大きな溜息をついていた。



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