その日、奥州の独眼竜が数名の家臣と共に武田屋敷へやって来た。
 台頭する豊臣勢に対抗する為、武田と伊達が同盟を結ぶ運びとなったのだ。
 俺の胸中は至極複雑だったが、お館様の決めた事であるから間違いはないのだろう。

 盾無の鎧の間にて、同盟の条約が締結される。同席を許された俺は、下座からその様子を見ていた。
 いや、正確には独眼竜を見ていたのだ。
 奥州の独眼竜――――かねてよりその武勇は俺の耳にも入っており、いつか手合わせしたいと願っていた相手だ。
 念願叶って川中島で相まみえた際には、思わぬ邪魔が入り決着のつかぬままとなってしまい、今でもそれが悔やまれている。
 此度同盟を結んだ事により今後戦場でまみえる事はないだろう、それを思うと残念でならない。
 お館様と彼が書状を取り交わし、正式に条約が成った。
「して独眼竜よ。最近は戦らしい戦もなく腕が鈍っておろう。どうじゃ、あれと手合わせしてみては」
お館様がこちらを向き、つられて彼もこちらを向いた。
 彼がこの屋敷に来てから初めて目が合い、内心大いに焦ったが、その値踏みするような目つきに苛立ちを覚え、睨み返す。
「いい目だ。Okey, こないだの続きといくか。手加減はなしだぜ、You see?」
口笛を吹いてからそう言うと、彼はすっくと立ち上がる。
 その動作には少しの無駄もなかった。部屋に入りお館様の正面に座す際も、書状を取り交わす際も、その所作に無駄はなく流麗だった。
 なるほど、流石は一国の主だけの事はある。つらつらとそんな事を考えていると、お館様に「はよう行かぬか」と促され、彼に続いて部屋を出た。



 屋敷の庭に剣戟が響く。俺の二槍と独眼竜の電流を帯びた六本の刀が鎬を削っていた。
 仕合が始まってからどれ程の時が経っただろうか。
 日輪は山の稜線の向こうに沈みかけ、既に体力は限界に近い。見たところ彼も同じらしく、息が上がっている。
「アンタ……真田幸村、つったな……なかなか……やるじゃねェか」
打ち合いが始まってから初めて口を開いたのは彼だった。そう言ったあと六爪を構え直す。
 俺も二槍を前で交差させ構え、再び彼に槍を振り下ろしたその時。
 自分達の間に割って入った人物があった。独眼竜の腹心、片倉小十郎だ。
 一瞬の間隙を突いて刀を割り込ませるなどと、この御仁もかなりの手練だろう。竜の右目の二つ名は伊達ではないらしい。
「小十郎!なんで止めやがった!」
「政宗様、ここは戦場ではござりませぬぞ。既に庭の木や灯篭に被害が出ておりまする、ご自重なさりませ」
打ち合っている時は夢中で気づかなかったが、言われてみれば確かに庭木は倒壊し灯篭は砕けている。
 彼はチッと舌打ちし刀を全て鞘に収めた。
 片倉殿はこちらを一瞥し、背中を向けた。その視線に僅かに敵意を感じたのは気のせいだろうか。
 彼は何も言わず片倉殿と連れ立って歩いていった。



 その日の晩、酒宴が催された。同盟を祝してとの事らしい。
 湯浴みを終えた独眼竜は、麻絣の長着に紺の帯という出で立ちで現れた。
 お館様と酒を酌み交わし、歓談する。
 俺はお館様の傍らに座していたが、二人のやり取りは全く耳に入って来なかった。時折お館様から話を振られても「ええ」「はあ」などと気の抜けた受け答えしか出来ず、お館様には
「なんじゃ幸村、柄にもなく緊張しておるのか」
と笑われたが、そうではない。気になるのだ。独眼竜が。
 盃を持つ手の指の長さやほっそりした手首、酒を嚥下する際の喉の動き、そうした彼の仕草の一つ一つが気になって仕方がなかった。
 何故それ程までに気になるのか自分でもよくわからなかったが――――否、一つだけ心当たりがあるのはあるのだが、頭を振ってそれを打ち消した。

 頭を冷やそうと一旦中座し、顔を洗って酒宴の席に戻ってみると、彼の姿がなかった。これで彼を気にせずに済むと安心したのは一瞬で、いなくなってみても彼の事ばかり考えてしまう。
 厠にでも行ったのだろうか、それとも用意された部屋へもう下がってしまったのだろうか、などと考えていると
「聞いておるのか幸村ァ!」
いつの間にかお館様の話の矛先が自分に向いていた。
 普段ならお館様の気の済むまで付き合ってさしあげるのだが、この日はどうしてもそんな気になれず、隣にいた勘助殿に後を任せその場を辞した。



 既に夜はふけていたがそのまま床に就く気にもなれず、何気なく縁側に出てみた。
 菊月ももう終わりに差し掛かり、思ったより冷たい夜気が酒気で火照った肌に心地良い。明るい望月が煌々と庭を照らし、見慣れている筈の庭がなんだか別世界のようだった。
 あの夜も、こんな月が出ていた。
 あれ以来俺の脳裡を支配してやまぬ、あの夜。
 酔いを醒ましながら考え事に耽っていると、目の前に薄い煙が漂ってきた。それを目で辿ってみると――――独眼竜と目が合った。
 三間ほど横で煙管をふかしていたのだ。
「お、真田幸村じゃねェか」
思わぬ事態に驚き停止していた思考が、彼の言葉でまた回転を始める。
 胡坐をかいた彼の前に置かれた盆には、酒瓶と盃が乗っていた。どうやら酒宴を抜けてここで一人で飲んでいたらしい。お館様は酒が入ると話が長くなり、しかも何度も同じ話を繰り返す癖があるので、それに辟易したのだろう。
「アンタも抜けてきたのか?どうだ、一杯つきあえよ」
盆の前に腰を下ろすと、彼は煙管の火種を灰盆に落とし、こちらに向き直った。
「盃が足りねェな。俺はもうしこたま飲んだから後はアンタが飲みな」
そう言ってこちらに盃を差し出す。
 先程まで彼が使っていた盃。彼が口をつけた盃だ。途端に心の臓の鼓動が早くなるのを感じた。
 動揺を悟られないよう努めて平静を装いながら、なみなみと注がれた酒を呷った。

 暫し互いの近況など話していたが、ふと会話が途切れ沈黙が流れる。
 空になった盃を手で弄びながら話題を探していると、彼が沈黙を破った。
「アンタ、さっき俺の方ばっか見てただろ」
驚いて顔をあげると、彼は口角を上げ意地の悪い笑みを浮かべた。
「気づいて……おられましたか」
「そりゃな。解り易いんだよアンタは。そういやあの夜も、こんな月が出てたっけなァ」
そう言って彼は月を見上げる。
 青白い月明かりの下で、二人きり。
 その状況はいやでもあの川中島での夜を想起させる。
 俺の心中を彼に占有される原因となっている、あの夜の出来事。青い月明かりに照らされた、彼の白い肢体。
 川中島で二人して崖から転落し戦列から逸れたあの夜、俺はこの独眼竜を――――抱いたのだ。
 行き場をなくし持て余した戦いの熱を、互いの体を貪る事で昇華させたあの夜。
 あれから半年も経っていないというのに、ひどく昔の遠い出来事のように感じられる。
 なんとなくそれについて触れてはいけない気がして敢えて言及しなかったのだが、あっさり彼が口にするとは思ってもみなかった。それならばこの機会にと、これまで俺が抱き続けてきた疑問をぶつけてみる。
「ど……伊達殿、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「なんだ、言ってみろ」
「あの夜、貴殿はなにゆえ某に、その……抱かれたのでございましょう」
「…………」
彼は口篭り、下を向いてしまった。質問がまずかったのだろうか。
 慌てて他の話題を探していると、彼はぱっと顔を上げ、
「Ha!Straightにききやがる。アンタらしいぜ」
そう言って笑った。その笑顔に胸を撫で下ろす。
「ききてェか?」
すかさず首を縦に振る。勢い余って頭がもげそうだった。
 そんな俺に苦笑しながら彼は訥々と話し始めた。
「あん時、アンタと戦って……決着つく前に終わっちまっただろ。全然戦い足りなくて胸ん中でなんかが燻ぶってて、それで……ああすれば戦ってた時の昂ぶりがまた得られると思ったんだ」
やはり同じだ。あの時俺が感じていたのと全く同じだ。
 何故か嬉しくてたまらない。
 すると彼は信じられない言葉を口にした。
「でももう忘れろ」
舞い上がった直後に叩き落された。
 川中島でまみえて以来、忘れた事などなかったのだ。
 なかった事にされる覚悟は出来ていた筈だったのに、あの時の彼が俺と同じ思いだったと再確認した今、忘れるなど到底出来そうにない。しかしそれを伝えたところでどうにかなる訳でもなく、彼を困らせてしまうだけだろう。
 結局は忘れるしかないのだ。
「できませぬ。忘れるなど」
……何を言っているんだ俺は。自分の言葉に自分で耳を疑った。
 彼はその切れ長の隻眼を細め、訝しげな顔をする。
 しかし一度堰を切った言葉は止まらなかった。
「あれ以来、某は貴殿の事を思い起こさぬ日はございませぬ。再び相まみえるのを心待ちに致しており申した。それが叶い、あの日の貴殿が某と同じ気持ちだったとわかった今、なにゆえそのような悲しい事を申されるのでございましょう」
思いの丈を言葉にすると、彼はその一つきりの目を丸くして言った。
「アンタ……まさか俺に惚れてんのか」
…………惚れている?俺が?独眼竜に?まさか!
 とは思ったものの、言われてみれば確かに俺の口から出た言葉はまるで――――愛の告白ではないか。
 彼はまだ目を丸くしたまま、驚きを隠せない様子だ。
 それはそうだ、言った本人である自分だって驚いているのだから。
「そう……なのでありましょうか」
「俺にきくなよ」
自分でもよくわからなかった。
 俺にわかっているのは、今ここに彼と二人きりで、こんな機会は二度と訪れないだろうという事だった。
 明日になれば彼は奥州へ戻る。次はいつ会えるのかわからない、いや下手をすればもう二度と会う機会はないのだ。
 恋だの惚れただの、そんな感情は知らない。今はただ――――彼に触れたかった。
 決着がつく前に勝負を打ち切られ燻ぶっているのは今日だって同じなのではないか。
 俺と彼の間にある盆を脇に寄せ彼ににじり寄ると、そっと手首を掴む。六振りもの刀を自在に操る者とは思えない程に細い手首だった。
「何のつもりだ、真田幸村」
「伊達殿、お嫌ならばこの腕を振り解いてくだされ。さすればすぐに退く所存にてございます」
じっと彼を見据えてそう言った。
 彼は手首を見つめ、そして視線を俺に移す。振り払わないという事は、嫌ではないと解釈して良いのだろうか。
 鼓動が早鐘のように鳴り響き、喉がごくりと鳴った。
 手首を掴んだまま、伺うように彼の目を見つめる。
 俺を見つめ返す彼の瞳に、心なしか動揺が感じられた。逡巡しているのだろうか……この腕を振り解くか否かを。
 すると彼は口を開いた。
「アンタは武田の武将で、俺は伊達の頭首だ。……つらくなるだけだぜ、わかってんだろ」
「…………」
彼の言葉に揺らがなかった訳ではない。しかし、ここで引き下がる訳にはいかなかった。
 同盟を結んだからには武田と伊達が戦になる事はなく、俺は上田の守護の任に就いている。この機を逃せばもう俺と独眼竜の接点は全くないのだ。
「全て覚悟の上。伊達殿、今宵を逃せばもう貴殿と二人になれる機会などございますまい。なれば」
彼の鋭い視線が俺を射抜く。試されているのかもしれない。
 負けじと睨み返していると、彼は軽く吹き出した。
「俺を口説こうって奴が、戦ってる時と同じ目をしてやがる。……上等だ、気に入ったぜ。今夜はアンタの好きにさせてやるよ」



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