目の前に広がる凄惨な光景に、言葉もなく、ただ立ち尽くす。
 右も左も屍の山である。骸は自軍の兵ばかり。矢なり旗なり、敵兵を匂わせるものは何一つない。 そして骸はどれも原形を留めぬ悲惨な有様である。
 拳を震わせる幸村の口から漸く発せられたのは、怒りと憎悪による雄叫びであった。
 地表を這うように辺りに立ち込める黒い霧に、幸村は顔を顰めた。 その黒霧は知らぬ間に幸村を蝕み、無間の闇から聞こえる鵺の呼び声のような昏い衝動に突き動かされ、幸村は駆け出した。



――――夢を、見ているのだろうか。
 ふと気づけば、目の前にはくぐもった甘い声を引きずり、髪を打ち振る独眼竜の姿があった。
――――何なんだ、これは。
 思い出そうとするが思い出せない。
「く、うっ……」
 幸村はびくりと肩を戦慄かせた。
 押し殺したような声は、苦痛を堪えるようにも、悦楽に耐えきれないようにも聞こえた。
動悸が止まらない。
 何故政宗は己にこんな事を許しているのか。 いやそれ以前に、何故己は政宗にこんな事を――――。
 引き攣ったような、切羽詰まった政宗の声。その息遣いが聞こえる。熱い吐息、そして吸い込む空気の喘鳴。その肌は汗が滲んでいた。
 引きずられるように幸村の呼吸も早くなる。
――――これは夢だ。
 政宗がこんなことを許す筈がない。あの気高き竜が敵将たる己に体を明け渡すなど。
――――やはりこれは夢だ。
 それが何故政宗を抱く夢なのかは分からない。しかし腕の中の政宗の体はやけに生々しく、幸村は狼狽えた。
 そして今、己の内にあるのは政宗が欲しいというその感情のみだった。
 余裕のない政宗の声は、必死に抑えようとしているようではあるが、突き上げられる度に綻ぶ口から漏れて出る。
――――夢なら許されるだろうか。夢でも許されないだろうか。
 体を揺さぶる度に微かに聞こえてくる水音。繋がっている。政宗と体を繋げているのである。
「あ、あっ……んっ、あっ」
 うわずった政宗の声が鮮明に耳を刺激する。欲しい。もっと。己の欲を止められない。
不意に首が重くなる。政宗の白い腕が絡みついてきた。顔が近づき、互いの荒い呼吸がぶつかり合う。
 幸村の目は、濡れて色づいた政宗の唇に留まる。欲しい。それが欲しい。
 身を屈めて距離を詰める。察したのか政宗は腕に力を込め、幸村を引き寄せた。奪うように口づける。 舌を探り誘い出し、夢中で吸い、溢れる唾液を渇く喉へ送り込む。
――――ああ、そうだ。
 何故こんな夢を見ているのか、漸くそれに合点がいった。
 こうしたかった。こうなりたかった。求めて、求められたかった。それは決して抱いてはいけない感情だった。
 快感が全身を駆け巡る。繋がる場所はきつく幸村を絞り上げるというのに、奥は柔らかく絡みつく。 夢だからか、本当に政宗の体はこうなっているのか、幸村にはわからない。
 体勢の苦しさに唇を離せば、白い体につけられた傷が目に入る。血は乾いたばかりのようで、まだ新しい。 理由もなく己のつけたものだと思った。その傷に舌先を這わせると、一瞬政宗の体が強張った。汗と血の味がした。
「政宗殿……」
 その名を呟けば、己の掠れた声がやけにはっきりと聞こえ、一抹の不安を覚える。 しかし、幸村の名を呼び返す政宗の声が切なげに届けば、それは掻き消えた。
 縋りついてくる政宗を思うまま突き上げる。腰から腿へ掌を這わせれば、引き締まった足がびくびくと痙攣する。 収縮する政宗の内は幸村に更なる快感をもたらした。
「はっ、……あ、あぁ……」
 唇を噛んだり、堪え切れずに吐息に声を乗せたり、政宗の姿態は内部の動きと相まって幸村を煽る。 背や首に掴まり、幸村の動きに合わせ殺し切れない声を上げた。
――――なんと都合の良い夢だろう。
 全てを幸村に委ね悦楽を貪る政宗の姿は、痴態と言うのに相応しい筈なのに、幸村の目には崇高に映る。 欲に溺れてなお気高く、そして尊い。これもまた、夢であるが故か。
 限界を感じた幸村は腰の動きを速め、余す事なく政宗の内に欲を吐き出した。

 しっとりと汗ばむ白い肌に吐きつける呼気が己に返る。全力で戦った後のような荒い呼吸は、しかしすぐに治まり始めた。 頭の奥が鈍く痺れている。首が重い。政宗の腕が絡みついたまま、その腕は僅かに震えていた。
 首に伸びた腕を目で辿る。幸村は瞬いて間近のその顔を見た。長い前髪の隙間から、潤んだ隻眼が幸村を見ている。吸い込まれるように目が離せない。
 どくん、と心臓が跳ねた。
 眦を朱に染めた瞳の奥に、何かが見える。二者が刃を交えている。 かたや青の陣羽織に六振りの刀、かたや赤の装束に二槍――――あれは、紛れもなく己と政宗である。 極限まで高めた互いの力をぶつけ合い、曇り一つなく魂の赴くままに剣戟を繰り広げるその様は、 まさに幸村が理想として思い描いている、好敵手たる政宗との一騎打ちの場面であった。
「こ、これは……」
――――これは、夢だ。夢の筈だ。
 そう思う反面、徐々に明瞭になってくる意識は否応なしに周囲の様子を拾っていた。 同時に記憶が甦ってくる。つい今し方政宗と戦った場所。倒れた政宗を組み敷き、己は――――。
「な、何ゆえ……某は……」
 頭から冷水を浴びせられたかのようだった。だが体は吐精の余韻に火照ったままで、相反する状態で幸村は混乱した。 目尻の濡れる隻眼と再び目が合い、呆然とその名を呟く。
「政宗殿……」
――――これは夢だ、夢なんだ。夢の中で、俺はただ政宗殿が欲しかっただけだ。
 しかし幸村は呆然としてはいられない。細かく震える腿で腰を擦り上げられ、未だ中に収めたままのものをひくひくと締められる。
「……真田、幸村……」
 微かな声は欲を訴え、見れば滴をこぼす政宗のそれは今にも弾けそうである。 片手を伸ばし、そっと撫でると、政宗は背をしならせ欲を吐露した。
 力の抜けた腕が首に引っかかったまま、幸村は弛緩した体から自身を引き抜いた。ぞくりと背が震えるのは、寒いせいではない。 呼吸の整わない政宗の顔へ指先を伸ばす。長い前髪をかき上げれば、よく見知った好敵手の顔が露わになる。 だが、そんな表情は――――欲に色づいた顔を見るのは、初めてだった。
「政宗殿。某は……」
 絶望的だった。
 夢だと思いたかったが、もう既にこれが現実だと認識できてしまっている。 夢を見ていただけのはずが、何故現実に政宗を抱いているのか、それは今幸村にとって重要ではない。
 政宗は敵将である。主君である武田信玄の上洛においては障壁となり、いずれ討たねばならぬ相手である。 そして互いに腕を認め合った好敵手でもある。いつの日か打ち勝つ事を目標に、これまで腕を磨いてきた。
 しかし今、気づいてしまった。政宗に抱いた感情は、会う度に成長し膨れ上がり、今、幸村に気づかせてしまった。
――――好きだ。どうしようもなく。
 何物にも代えられない。誰も代わりになどなれない。
「政宗殿……」
 駄目だ。幸村は顔を歪めた。しかし政宗を欲する幸村の想いは、そんな一瞬の躊躇を凌駕した。
「……貴殿を、某にくだされ」
 好きだ、とは言えなかった。既に抱いてしまった後では、あまりにも今更で、滑稽だ。
「くれてやっただろうが」
 体を許した事を言っているのだろうか。そうではない。しかし、それもある。
 幸村が答えあぐねていると、政宗は眉根を寄せて幸村の首から腕を外し、幸村を押し退けるように上体を起こすと不機嫌そうに背を向けた。
「アンタ、状況が理解できてるか?」
 否、と答える。政宗は長く嘆息した後、各地に甚大な被害を齎した黒い霧について語った。それを聞いて幸村ははっとした。 甲斐で見たあの凄惨な光景が脳裡に蘇る。あの時確かに、辺りには禍々しい黒い霧が立ち込めていた。
 その霧は人の負の心に寄りつき、それを増幅させるのだと言う。幸村もまた、復讐という名の憎悪に駆り立てられていた。 その道行きの途上で政宗と出くわし、そして――――。
 しかし今は、己を突き動かしていた昏い衝動は微塵も感じられない。それは政宗の瞳を覗き込んだかららしい。 政宗もまた幸村と同じく黒い霧に囚われ復讐の鬼と化していたところを、副将の目の奥に己の目指す天下を見た事によって正気に返ったのである。
 それにしても、と思う。 その黒霧の作用によって幸村の内に眠っていた政宗への欲が呼び覚まされたとはいえ、本当に行動に移してしまうとは。
 漸く己が政宗を抱くに至るまでの仔細はわかったが、そこで幸村に新たな疑問が生じた。
 政宗の腕は幸村と互角である。それは好敵手である己が一番よく知っている。 抵抗しようと思えば幾らでもできた筈なのだ、なのに何故――――。
「政宗殿。某は、貴殿に……」
「It's no consequence. 俺とアンタの個人的な問題は後回しだ。 今はこれ以上被害が出る前にあの黒い霧の正体突き止めて落とし前つけるのが先決だぜ、そうだろう真田幸村」
 それは幸村も同じだった。あのような惨たらしい殺戮は、たとえ他国であろうと決してあってはならない。
「政宗殿……然様でござるな。某も共に参る所存にて」
 口許を引き結び答えると、政宗は上等だと呟き口角を上げた。



 身形を整えた後、馬に飛び乗り駆け出した。目指すは西である。
 馬を走らせながら、政宗は右を走る幸村をちらりと見た。その双眸は真っ直ぐに前を向いている。政宗は内心安堵した。
 黒い霧の手掛かりを求め大坂へ向かう途上で幸村と出くわした時、その目には昏い炎が宿っていた。一目で黒い霧に囚われていると見て取れた。 問答無用で打ち込んでくる槍を躱しつつ、どうにかして間近で目を合わせようとした政宗だったが、不覚にも地面に打ち倒された。 そして間髪入れず幸村は政宗に覆い被さってきた。陣羽織を剥ぎ取られ、その意図を察した政宗は、抵抗を止め幸村に身を委ねた。
――――俺とした事が、どうかしてるぜ。
 そう思って自嘲の笑みが漏れた。
 初めて出会ったその日から政宗の心を捉えて離さない、甲斐の若虎。 たとえ幸村が自失の状態であったとしても、いや、だからこそ、敵将である幸村と肌を合わせられる最初で最後の機会だと踏んだ。 案の定幸村はこれが現実だと認識せぬまま政宗を抱いた。それで良かった。事の後には忘れている方が都合が良い。
 しかし幸村は、政宗の内に自身を収めたまま政宗の瞳を覗き込んでしまった。
我に返った幸村は己の置かれた状況をどう思っただろう。愚直な幸村の事だ、自責の念に駆られただろうか。 こんな事で負い目を感じられるようになっては困る。政宗とて、それを望んだのである。
 それにしても。幸村の言った言葉が気に懸かる。
『……貴殿を、某にくだされ』
 あの時、幸村は既に正気に返っていた筈である。ならば、あの言葉は幸村の本心なのか。
 個人的な問題は後回しだ、そう言った舌の根も乾かぬうちに幸村の事ばかり考えている。これではいけない。 全てはあの忌々しい黒い霧が片付いてからだ。
 政宗はそれ以上考えるのを止め、馬の腹を蹴り速度を上げた。




2014.09.11

【後書】
久々にHDコレクション付属のドラマCDを聴いて妄想した話です。
未聴の方には意味わかんないですねすみませんυ
黒い霧に侵されてる時にまともな人の目を覗き込むとそこに己の望む未来が見えて正気を取り戻すというスピリチュアルなお話なのです(笑)
ほんとはそれぞれ小十郎と佐助が同行してるんだけど、大人の事情で出せませんでしたυ
最後の筆頭視点の部分は蛇足な気がしなくもないけどまーいっか。




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