吹き抜けるような蒼穹の下、構えた槍の向こうに見えるは三刀。
 今し方までは六刀だった。 しかし、対峙した敵将である伊達政宗は先刻、忍の急襲を受け右腕を負傷しており、戦いの最中に右手に持った刀を取り落とした。 今は左手でしか刀を握れない様子である。
 槍を政宗に向けたまま、幸村に迷いが生じていた。敵大将を討ち取る好機ではある。 ただ、幸村の武人としての矜持は利き腕の利かぬ相手に槍を振るう事を好しとしない。幸村は葛藤した。
 政宗はそんな状態にあっても闘志を失う事なく、刀身に雷を迸らせ、幸村の懊悩をよそに左手の刀のみで打ち込んでくる。 応戦しない訳にもいかず、結果幸村は残る三刀を振り払い、弾き飛ばされた政宗は木に背中を打ちつけその下で尻をついた。
 虚しく宙に舞った刀が次々に地面に刺さる。
 肩で息をしながら、政宗は忌々しげに幸村を睨む。しかし元より重傷を負っていた政宗には最早再び立ち上がる体力は残されていないようだった。
「アンタの、勝ちだ……真田幸村」
 ふっと表情を和らげ、苦しげな呼吸の合間に政宗は言った。 人一倍自尊心の高いこの男がどんな思いでその言葉を口にしたのだろうか。幸村は何と答えればよいかわからなかった。
 政宗を見る。先程までの悔しげな形相とは打って変わり、全てを受け入れるような、覚悟を決めたような、そんな面差しをしている。
 幸村はこれから己が為さねばならぬ事を思った。槍を握る手が僅かに震えた。
「Finish me off……止めをさしな」
 幸村はびくりと身を震わせた。わかっていた事ではあったが、言葉で告げられると改めて具象的になってくる。
「政宗殿」
 何を言えば良いかわからず、一先ず名を呼んだ。 しかし政宗は答えず、少しの間幸村を見た後、口づけを待つようにそっと目を閉じた。場違いな微風が政宗の髪を揺らした。
 幸村はゆっくりと政宗に近づき、すぐ傍まで歩み寄ると足を止めた。政宗を見る。 傷が痛むのか、口を僅かに開いたまま浅く不規則な呼吸を繰り返している。その口が何かを呟くように動いたが、幸村の耳には届かなかった。
 静寂が訪れた。幸村は動けなかった。今ここで政宗を討てば、武田にとって大きな利となる。 幸村が心酔する主君である信玄もさぞ喜ぶだろう。しかし、どうしても幸村はその槍を振るう気になれなかった。
 意図せず槍が幸村の手から離れ、地面に落ち、跳ねた。
 その音に目を開けた政宗は、槍を一瞬見た後、訝しげに幸村を見た。
「なぜ槍を手放す?真田幸村」
「貴殿は……斯様な呆気のない終わり方で構わぬと、そう申されるのでござるか」
 幸村の問いに、隻眼に戸惑いの色が浮かぶ。
 腹が立った。そして、悲しかった。自身の生を、そして幸村との好敵手という関係を簡単に終わらせようとする政宗に。
 幸村はわなわなと震える手を握り締めた。
「某には……出来申さぬ」
「アンタ、この俺に情けをかけて貸しを作ろうってのか」
 政宗の眼光が鋭くなった。
「然様な腹積もりは毛頭ござらぬ」
 幸村が否定すると、政宗は怪訝な顔で首を傾げる。
「じゃあどういうつもりだ」
「某は、貴殿の首級を戴く事を目標にこれまで腕を磨いて参った」
「Ha, 遂に今ここでそれが叶うじゃねェか」
「否!」
 幸村は声を荒げた。
「貴殿は我が生涯の好敵手と定めた御仁にござる。片腕の利かぬ貴殿を討ったとて、某は……!斯様な形の決着など望んでおらぬ!」
 手負いの政宗を倒しても、それは勝利ではない。壮健な政宗を討ち果たしてこそ勝ったと言えよう。
 ただ、それだけではなかった。終わらせたくなかった。 戦場でまみえ刃を交える度に胸が昂り、心が震えた。それは相手が強敵だからという理由だけではない。 政宗のみならず、腕の立つ相手とはこれまで幾度も刃を交えてきた。 しかし、政宗との戦う際に湧き上がるあの高揚感は他者が相手では得られない。槍を振るいながら、このままずっと政宗と戦っていたいと感じる程である。 政宗と戦えなくなる、あの感覚が二度と得られなくなるなどと、幸村には考えられなかった。 どうしても嫌だった。政宗という唯一無二の存在を失う事が。
「アンタらしいな……だがその考え方は命取りになるぜ」
 幸村の本音を知ってか知らずか、政宗は諦めたように口角を上げた。
政宗の息は荒く、見れば右の上腕部から血がどくどくと流れ出ている。このまま放っておくと失血で死に至るかもしれない。 幸村は政宗の傍らに膝をつくと、その鎧袖に手をかけた。
「アンタ何を……」
「動かんでくだされ。当座凌ぎではござるが、今血止めを施す故」
 幸村の手を払いのけようとした政宗の左手首を掴んで制止する。
「…………」
 抵抗する力が抜けたのを確認し、そっと手を離すと、幸村は政宗の鎧袖を外した。 政宗は何も言わず、されるがままになっていた。 幸村は己の手甲を外すと鉢巻をするりと解き、政宗の上腕部をきつく縛って止血した後、戦袴の裾を裂き、傷口の上に幾重にも巻きつけた。
「これで少しは出血が抑えられる筈にござる」
 布の端を結び、そう言って離そうとした幸村の手を、政宗の左手が掴んだ。そして何を思ったのかその手を己の胸に当てる。 幸村の鼓動が俄かに速まった。 意図を探るように政宗を見たが、政宗は幸村の顔を見ようとはせず、己の胸に当てた幸村の手を、ただじっと見ている。 浅く荒い呼吸が、僅かに上下する政宗の胸から手に直接伝わってくる。しかしその表情は穏やかだった。
 政宗が何を思い幸村の手を取ったのか、そしてそれを離さないのは何故か、その意図はわからない。 しかし、今言葉を発すれば、きっと政宗はこの手を離してしまうだろう。そう思うと、何も言えなかった。
 戦をしているのが嘘のような静かで穏やかな空気の中、互いに黙ったまま、手を重ねていた。

 突然近くの繁みから雉の甲高い鳴き声が響き、はっとした政宗は幸村の手を離した。同時に幸村も手を引っ込めた。 ばさばさと羽を羽ばたかせながら、一羽の雄雉が繁みから空へと飛び立っていった。
 少し気恥ずかしいような空気が流れる。幸村が政宗を見ると、政宗は、何か言いたげな、期待しているような眼差しでじっと幸村を見た。 幸村はその左目を見つめ返し、政宗の言葉を待つ。
 政宗は、ふっと口元を綻ばせると、雉の飛んで行った先を追うように、幸村からその背後の空に視軸を移した。 そのまま何も言おうとしない。
「政宗殿」
「何だ」
「……いや、何でもござらぬ」
 問おうとして、やめた。問う訳にはいかなかった。このどこまでも己を惹きつけてやまぬ好敵手と、ずっと好敵手でいる為に。

 幾許か体力の回復した政宗と別れ、幸村は武田本隊と合流すべく戦場へと向かっていた。 途中の小高い丘で足を止め、戦場を見れば、伊達軍が退いていく様子が窺えた。 どうやら政宗は自軍と無事合流できたようである。幸村は安堵の息を吐いた。
 そこで幸村は手甲を外したままだった事に気づく。 手甲を嵌めようとして、ふと己の掌を見た。そして先程の出来事に思いを馳せた。
 初めて、刃ではなく素手で政宗に触れた。
 こんな事はきっとこれが最初で最後だろう。そう思った瞬間、胸に何かが刺さるような、ちくりとした痛みを感じた。
 離そうとした幸村の手を、政宗は留めた。重ねられた政宗の手。 何故あの時、ずっとこのままでいたいと思ったのだろう。
 胸の奥から朝靄のように静かに湧き上がってくる感情がある。戦で強敵に打ち勝ち武勲をあげた時や信玄に褒められた時の喜びとはまた違った、 穏やかで心が温まるような、それでいて少し面映いような、そんな心緒だった。幸村はそれに蓋をし、押さえ込んだ。 この思いが何なのか、知れば戦えなくなる。知る前に消し去らなければならない。 名をつければ、存在は確かなものとなる。政宗に対し抱いたこの感情の名を知る訳にはいかない。
 幸村は手甲を嵌め、拳を握った。僅かに残っていた政宗の肌の感触は消えた。これで良い、と自分に言い聞かせた。
そして再び槍を手に、後ろ髪だけを靡かせ戦場へと駆けていった。




2014.06.01

【後書】
はい、全く盛り上がりのない話ですねυ
真面目だなあ幸村。でも筆頭がもっと押せば落ちそう(笑)
ここはひとつ筆頭に一肌脱いでもらわにゃですね(そのまんまの意味で)
というかくっつかないまま終わる話を初めて書きました。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -