気がつけば、馬を走らせていた。
 一心不乱に馬を駆った。小石を蹴飛ばし、砂塵を巻き上げながら、馬蹄の音だけを響かせ夜の山道を走り抜ける。 無意識に脇差を一振持って出たものの、鎧も兜も身につけてはいない。 しかし、もし敵軍と出くわせばなどと気に掛ける余裕は、この時の政宗にはなかった。

 政宗率いる伊達軍は小田原で石田三成に敗北を喫し撤退を余儀なくされ、その後も政宗は意識が戻るまで三日三晩寝込んでいた。 政宗は石田との戦いで意識を失い、気づいた時には既に屋敷の自室に寝かされていた。 聞けば撤退も負傷兵が多く厳しい行軍であったという。そんな中政宗は暢気に気を失って馬に担がれていたのである。
 既に国内外で奥州の竜は地に堕ちたと囁かれ始めている。 政宗は己の慢心と弱さを恥じた。
 小十郎をはじめ周囲の者は皆、そんな政宗を責めるでもなく、労わるように政宗に接した。 それは政宗を思っての事だと理解してはいたが、それでも何とも言えない居心地の悪さを感じていた。 此度の敗退はお前が弱いせいだと罵られた方が余程ましだった。
 消えてしまいたい、とすら思った。
 そして――――政宗は衝動的に屋敷を飛び出した。

 行く宛てはなかった筈だった。しかし自ずと足が向かう先は決まっていた。真田幸村との逢瀬で幾度か訪れた場所である。
 幸村とは敵同士ではあったものの、互いに惹かれ合う心は止められず、いつしか逢瀬を重ね情を交わす間柄となっていた。 奥州を飛び出した政宗が行く場所などそこより他になく、そこに足が向くのも自然の成り行きだった。

 果たしてそこには先客の姿があった。政宗は息を飲んだ。
 月の明るい夜である。近づくまでもなく姿を認めた時点で何者かはわかった。馬の足音に驚いた顔を向けたのは、真田幸村だった。
「政宗殿……」
「……幸村」
 幸村の顔を見た瞬間、何故だか泣きたくなった。
 はじめは独りになりたかった筈だった。しかし本当は心のどこかで期待していたのだろう。ここに来れば会えるかもしれないと――――。
 ぎゅっと目を瞑り涙が出そうになるのを辛うじて堪え、馬から降りる。 駆け寄って抱きつきたい衝動を抑える為にわざとゆっくり歩を進め、呼吸と鼓動を整えようと努めた。
 いつもなら幸村の方から駆け寄ってくるところだが、幸村も同じようにゆっくりと近づいてくる。政宗が突然現れた事に戸惑っているのだろうか。 なんにせよ政宗にとっては好都合だった。

 手が届く距離にまで近づくと、幸村は突然政宗を抱き寄せ、力一杯抱き締めた。その腕のあまりの強さに一瞬息が止まる程だった。
「政宗殿……某は……政宗殿……」
 気づけば幸村の肩は僅かに震えている。政宗はすぐその理由に思い至った。
 武田の現状は政宗も聞き及んでいる。豪傑で知られる甲斐の虎、武田信玄が突然の病に倒れ、その跡目を幸村が継ぐ事となった。 血縁者でもない幸村には荷が重過ぎる。幸村が苦境に立たされているのは容易に想像できた。
 アンタも俺と同じか、と政宗は声には出さず呟いた。
「アンタ、逃げ場所を求めてここに来たのか」
 幸村の震えが止まった。答えは返ってこない。しかしその沈黙は肯定であると、訊く前からわかっていた。
「逃げても、なんにも始まらねェぜ」
 そんな事は言われなくともわかっているだろう。政宗とて、わかっていながら――――逃げてきたのだ。
「それでも、たとえ一時でも構わねェんなら……俺がその逃げ場所になってやろうか」
「政宗殿……」
 幸村は再び政宗を抱く腕に力を込める。
 情けない。そう思うと皮肉な笑みが漏れた。卑怯な己に対する自嘲である。 こうして幸村を慰める振りをしていながら、本当は誰よりも己こそが逃げ場所を求めている。
逃げても何も始まらない。幸村にそう言っておきながら、実のところ逃げているのは己の方である。
 政宗は、互いに胸に抱えているものを押し潰そうとするかのように、幸村と同じくらいの強さで抱き締め返した。
 今だけは、己の狡さに気づかない振りをしたかった。 生まれて初めて味わった敗北、撤退という屈辱。自国の弱体化――――ほんの一時だけでも全てを忘れて没頭できる何かが欲しかった。

 どちらからともなく顔を上げ、唇を合わせた。
 いつものような優しい口づけではない。強引にこじ開け、ねじ込み、絡め取る。それで良かった。 荒々しく乱暴に求められるほど、何も考えずにいられる。政宗は幸村に全てを任せた。
 身につけている物を全て剥ぎ取り、互いにまさぐり合えば、はじめ感じていた後ろめたさは消えた。
 幸村の早急な愛撫に、たまらず声が漏れる。政宗は憚る事なく嬌声を上げた。濡れた声が更なる快楽を喚起する。
 傷を舐め合うように互いの体を貪り合えば、自分が背負っている荷の重さを忘れ、一人のただの男になれる――――。 たとえこの行為の最中だけでもかまわなかった。 快楽に溺れる事で己の心に巣食った弱さを己ごと押し流してしまいたかった。
 きっと幸村もそうなのだろう。荒々しく欲情をぶつけてくる様は、逃れたくとも逃れられない現実を一瞬でも忘れようとしているようだった。
 激しく揺さ振られれば揺さ振られる程、苛酷な現実は快楽と撹拌され、形を失っていった。


「もう……行ってしまわれるのか」
 幸村の腕に預けていた頭を上げ、気怠い体を起こそうとした政宗に幸村が問う。淋しげではあるものの、その声音には諦めが内包されている。
「なんなら、俺と逃げるか?全部捨てて」
 思ってもいない言葉がふと口をついて出た。幸村は少し驚いた顔をした後、眩しそうに目を細め、微笑んだ。
「……それも良うござるな。どこか遠く、誰も某と貴殿を知らぬ土地で――――」
「Just two of us……二人きりで、畑でも耕しながら」
「たとえ貧しくとも、貴殿と二人なら某は幸せでござる」
「もし食うのに困ったら野盗でも追剥でもすりゃいい。俺とアンタなら返り討ちにあう事ァねェ」
「いや、それは如何なものかと」
 一頻り、二人で声を出して笑った。少し心が軽くなった気がした。
 全てを投げ出す事など出来る筈がない。それは互いに嫌という程わかっている。それでもそんな馬鹿げた夢物語を口にしてみたくなる時もある。 特にこんな夜は。
 政宗は幸村にそっと口づけを落とし、起き上がった。手早く身形を整え、幸村に背を向けたまま軽く右手を挙げた。
「じゃ、またな」
 幸村は何も言わなかった。政宗は振り返らずその場を後にした。


 来た道を逆に馬を走らせる。既に東の空が白み始めている。政宗は馬を急がせた。
 戻ったらまず怒り心頭に発しているであろう腹心に詫びを入れ、そして――――戦の準備だ。
 頭の中を空にして欲に溺れてみても、行為が終われば同じ所に戻ってくる。相変わらず己が居るのはどん底である。 それでも、幸村に会うまでは下ばかり見ていた政宗は今、上を向いていた。
 たとえその行為が傷の舐め合いだったとしても、それによって得られたものもある。求めたものは決して捌け口だけではない。 それはやはり、相手が幸村だからこそである。 それならたまにはこうして寄り道するのも悪くない、と思った。
 本当ははじめからわかっていた。どん底まで叩き落されようと、上を向いて這い上がっていくしかないと。 ただどうしてもそれに目を向けられなかった。だが今、漸く政宗は上を向く事が出来た。
――――It's always darkest before the dawn.
 己の夜がいつ明けるかはわからない。しかし目を開けていなければ夜明けの訪れにも気づかない。
 たとえどれだけ目の前の現実が苛酷であっても、目を逸らさず立ち向かうしかない。着せられた汚名は雪ぐしかない。 結局はそれが己自身の決めた道なのである。
 幸村と次に会うのはどこかの戦場だろう。敵対する軍の大将同士として対峙するその時、無様な姿だけは見せまいと心に誓う。 幸村もまた、その時までにどん底から這い上がっている事を祈った。
「くだらねェ夢物語の続きは、あの世に行ってからしようぜ。なァ幸村」
 政宗は独り言ち、山間から射す暁光に目を細めた。




2012.12.16

【後書】
で結局、幸村は這い上がれてなかったワケですがυ
つか筆頭、やることやったらスッキリしちゃって、それ単にたまってただけなんじゃ…υ
それはおいといて、自分の弱さを表に出せない人っていろいろ独りで抱え込んじゃうからしんどいんですよね。
筆頭はいつも強気というか強がってるけど、それは内面の脆さの裏返しじゃないかって。
「No, 降りてきたのさ!」と開き直れるようになるまでには、ものすごく落ち込んだりもして葛藤があったんじゃないかって。
そんなこと考えて書いた話です。
えらい人だってたまには逃避したくなる時があってもいい。それを乗り越えての捲土重来に燃える。



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