「ね〜いい加減泣き止んで?」

優しい声と頭に触れるあたたかい手のひらにまた涙が溢れだした。菊丸は困ったなあって顔をして私をぎゅって包み込む。そのかわいい外見とか行動とは違って少し細身だけどちゃんと男の子の体をしている菊丸の腕のなかにすっぽりとおさまった私は、ボタンが全部無くなってしまってるその学ランをきゅっと掴むのだ。

「俺、卒業、したくないなあ」

「うん」

「ずっとここでテニスしてたいなあ」

「私もずっと見てたいなあ」

ぽつりと聞こえた菊丸の呟きに、涙声で返事をする。昨日友達と放課後に話したときも今日の朝のホームルームでも、それから卒業式の最中もいっぱいいっぱい流したはずの涙は枯れる気配はなかった。卒業したら毎日会えてたこの環境は無くなるし、お互いきっと忙しくなる。菊丸はマメに連絡をとってくれる方だけど、メールや電話より、直接がすきな私はきっとそれじゃ耐えられない。そうやって少しずつ溜まった不安で、二人が今のままでいられなくなるくらいなら、

「別れよっか…」

口から滑り出した言葉に自分で驚いた。ここ数日考えていたそれは、決して口にするつもりはなくて、これはだって私が楽になるだけの言葉で、ただの自己満足で、

ごめんと紡ごうとした口は、途中で形を変えた。涙の跡がついてる私のほっぺたを、菊丸が痛くないくらいの力でぎゅーっとつねった。その真剣な目はまっすぐ私を見ていて、これはそうだ、怒っているときの目。

「本気でそんなこと思ってんの?」

刺さるような視線にたえきれなくて目をそらした。ぱっとほっぺから離された両手が、彼が諦めたことを意味しているような気がして、思わず手首を掴んだ。

「なに?」

「え、っと…」

大きな喧嘩をしたときみたいな低い声に肩がびくりと揺れた。ああこれはもうだめだな、と、ごめんねってへらりと笑ってみせたけど、今度はまた、さっきとは違う理由の涙の粒がぼろりと落ちた。菊丸はため息をついて、ポケットから何がを取り出す。ぐーの手が開かれると、そこには先を越されたと思っていた菊丸のボタンが、ちゃんとあった。

「これ…」

「なーんで伝わらないかなあ?」

今度は、怒っているというより拗ねているような不機嫌な声で菊丸はそういった。なんで、って聞くと、もう一度大きなため息を貰う。どうやら何人かにせがまれた第二ボタン、どうしてもあげられないって断っていたらしい。無理矢理ちぎろうとする子もいたから、自分でちぎってポケットに避難させていた、と、俺は卒業したからって名前から離れる気はないし、名前もそうだと思ってた。ボタンのこと何も約束してなかったけど、名前なら貰ってくれるて思ってたんだよ。そんな菊丸の言葉が、心の中にどんどん入ってきて、苦しくなる。こんなに優しいひとを悲しい気持ちにさせてしまったことが痛かった。

「絶対に聞きたくない言葉だった」

「うん…」

「俺すっげー悲しかった」

「うん、本当に、ごめんなさい」

「許さない」

「ごめんね、ごめん」

今度は私がぎゅっと菊丸の頭を抱き寄せて、ごめんねと言った。どれだけ謝っても足りなくて、でもごめん以外が見つからなくて、ひたすらに謝った。

「…名前が俺のことだいすきって証明してくれるまで、絶対許さないから」

「た、例えば…」

「おでこにちゅーとか、英二って呼ぶとか、いっぱい、いっぱい俺にすきって気持ち伝えて?」

並べられた例えはどれもはずかしいものばかりで、けど菊丸の目はさっきと同じように真剣で、逃げることなんてできないから、菊丸がとっておいてくれた第二ボタンを受け取って、まずはひとつ、おでこにキスを落とした。




(121014)







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