信じられないものを見た、というような顔をした彼は、ごしごしと目をこすってもう一度私を凝視した後、ぐぐっと眉間にしわを寄せた。
「俺、なんてったっけ」
「先に帰っててって言われました」
「うん、ちゃんと言ったよね。で?」
じとっとした視線を投げかけられて思わず言葉につまる。普段の菊丸からは考えられないような低い声。これは相当怒ってるなあ。
「ミーティングだけって言ったから…」
待ってた、と消え入りそうな声で呟くと、菊丸は大きなため息を吐く。あからさまに呆れた態度に縮こまっていると、ばさり、と頭に何かが落ちてきた。
「ミーティングだけでも遅くなるから帰れっていったの。ばか。」
落ちてきたそれは菊丸が朝着てきてたあたたかそうなジャケットで、これを着るべき当の本人は鼻の頭を真っ赤にして、何、と不機嫌そうな視線を向けてきた。これだから私はこの人のことがすきなんだ。
「ごめん、ありがと」
「いーよもう。でも危ないから待っとくなら今度から室内ね」
「待ってていいの?」
「だめって言っても待ってんでしょ」
だったらわかってる方がいい。とそっぽを向いて言う菊丸に、耐えきれなくなってぎゅーっと抱きついた。今度はほっぺまで真っ赤にして驚く彼に、すきだ!と勢いにまかせて口にすれば、はあ!?と、当然と言えば当然の反応をされる。
「俺、まだちょっとおこってんだけど、」
でも、まあ、なんかもういいや。差し出された手に自分の手を重ねると、菊丸の手がびくりと震えて、それから何度目かわからないため息をはかれる。
「冷たいでしょーカイロ忘れちゃって」
「ほんっとばか。」
ぴしりと音をたてたでこぴんは、冬の寒さのせいもあっていつもより痛かったけど、指先にかかった菊丸の息があったかくて、口元がゆるみきってるのを自分でも感じながら、今が暗くてよかったと心底思った。
(120205)