やだ、と呟いた。
平ちゃんの服を掴んだ右手は、小さく震えていた。
「名前」
「やだ、やだよ、」
困らせていることは分かってる。でも、それでも、この手を離すわけにはいかなかった。離してしまったらきっと、私はもう、この人の太陽のような笑顔を見ることも、あたたかな手を握ることも、出来なくなるような気がした。
千鶴ちゃんは戦うと言った。私にも、戦える力があればいいのに、鍛練させてもらえばよかった、なんて、そんなもの、今更後悔しても遅いんだろう。
だけど悔やまずにはいられない。もしかしたら平ちゃんの背中を、私が守ることができたかもしれないのに、そう思うのは甘い考えだろうか。
「名前」
普段は不器用な平ちゃんが、優しく、そっと、私に触れる。
「やだ、きかない」
我儘をいう子供のように、やだ、と繰り返す。頬に触れる大好きな手のひらの感触が、優しくて辛い。
「頼むからきいて」
音を遮断するように耳を覆っていた両手を、平ちゃんにそっと掴まれた。そのまま、くぐもっていた音が綺麗に耳に入ってくるようになる。
「かえって、くるから」
「……。」
「俺の居場所はここだから」
ぼろり、と涙が溢れた。
平ちゃんは、ばかだ。それなのに、こういうときだけ、どうしてこうもかっこいいんだろう。
「平ちゃんはずるい、」
「うん」
「帰ってこなきゃ、許さないから」
「うん、わかってる」
普段と何も変わらない仕草で、平ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でる。そのまま引き寄せられて平ちゃんにすっぽり包まれた。端から見るとそんなに変わらないようにみえる体型も、やっぱり男の子だ。少しだけごつごつしてて、大きい。
「待ってて」
「……いって、らっ、しゃい」
「おう、いってきます」
そう言ってにっと笑った平ちゃんは、私のおでこにひとつ、キスをおとして部屋を出ていった。
(120123)