結局、その後の授業に出る気分にもなれないまま、食堂で時間を潰した。雨さえ降っていなければ屋上にいって空でも眺めていれば気分は晴れただろうか。授業終了のチャイムの
少しあとに震えた携帯はメールの受信を知らせる。送信者はきっと今俺がこうして授業をサボっていたことを知れば説教するであろうお堅い弓道部副部長。一瞬、本当にバレてわざわざお叱りのメールを寄越したのかと思ったけれど、そうではないらしい。そこに書かれていたのは本日の部活の休みのお知らせ。どうやらこれから更にこの雨足は強くなるらしく、そんな中では練習も儘ならないだろうという部長と副部長との話し合いによる判断がくだされたのだ。

そんなことを考えていたらちらほらと食堂を利用する生徒の姿がふえてきて俺はそこをあとにした。流石に昼時の食堂は物思いにふけるには向かないだろうから。

出席しなければならない部活が無いのなら、今日はもう帰ってしまおうか。確か残りの授業のうち一時間は自習だったはず。うん、そうしよう。勝手に自分のなかで決着をつけて、教室に鞄を取りに戻ったのなら、そのまま下駄箱へと向かう。ぼん、と音を立てて外履きをすのこの上に放り投げたのとほぼ同時に、「あ、」という声が響いた。ゆっくりと後ろを振り替えると、気まずそうな顔をした彼女が目に入る。今朝とは、逆の立場。

「おーもう帰んだ。体調大丈夫なのか?」

「え、う、うん、まあ…」

なるべくいつも通りを装って、投げ掛けた言葉への返答は剃らされた視線と共に。俺を素通りしていこうとするその態度があからさまで、へたくそで、「一緒に帰るくらいしてくれても罰はあたらないと思うんですけどー」なんて、思わず言ってしまった。いつもの軽口に、ほんのすこしだけきつい色をのせて。ああ、なんてガキっぽい。

「……」

「なあ、きーてる?」

「だ、だって寮の方向ちがうし、一緒に帰る理由なんてないよ…!!」

俺のガキみたいな意地の悪い言葉にたいして絞り出すように返事をした苗字は、そのまま走り去っていく。 一瞬、合わせられた瞳に溢れる滴を確かにみた。大きな雨の音が耳に届いた瞬間、地面を蹴って駆け出す。雨に濡れたって、気にしない。今はただ、あいつの腕をつかむことだけを考えて、走った。

「おい!」

「やだ…っ」

「いーから!体調悪ぃのに濡れたら悪化するだろ!」

「ほっといてよ…っ」

「ほっとけるわけねーだろ!」

雨のなかを駆ける彼女の腕をぐっと掴んで、脱いだ制服の上着を頭からかけてやる。俯いたその顔色はあまりよろしくない。あきれたような溜息を吐くと、苗字の肩がびくりと揺れた。

「あのなあ、俺も悪かったけど頭痛いのにこの雨の中飛び出す奴があるかよ。バカ。」

「……だって、」

「だってじゃない。…つっても俺も傘持ってきてないし、これ貸してやるからダッシュで帰れ。」

上着越しにその頭をぽんぽんと撫でて、「じゃーな、」と声を掛けてその場を後にした。その間ただの一度だって此方に視線が向けられることは無かったけれど、きっともう、しょうがない。



***




去っていく犬飼の背中を見送ったあとも、暫くその場に立っていた。被せられた上着が水を吸ってどんどん重くなっていって、毛先から水が滴る。突然告白してきたり、怒ったり、勝手にキスしたり、こんな風に優しくしたり、本当に、あいつはなんなんだ。むかつく、ものすごくむかつく。あの日からもうずっと、私の頭の中は犬飼でいっぱいだ。ああもう、一発殴らなきゃ気が済まない。

それはきっと、あいつと対峙するためのただの言い訳で、去り際に頭の上に感じた大きな掌の感触は、未だは慣れない。犬飼のことを思い浮かべると少しだけ熱くなる頬の温度に気づいたら、もう走りださずにはいられなくて、

「犬飼!」

少し走った先にその背中を見つけて、雨にかき消されないように大きな声で呼び止める。此方を振り向いた犬飼は、驚いたような顔をして、「はあ!?」と声を上げた。きっとまたバカだとか言いたいのだろうけれど、全部を無視してスたうs多と犬飼のもとへ歩み寄る。握った手に少しだけ力をこめて、きっとまだ赤い顔を見られないようにうつむいて、私は口を開いた。

「犬飼のせいだ」

「は、」

「犬飼が告白なんかするから、犬飼のことばっか考えちゃって、むかむかするし授業は頭に入んないし雨でじめじめするし頭は痛くなるし!」

「おい!俺関係無いのまで押し付けてくんなよ!?」

「全部全部、犬飼が悪いんだよ!だから、」

「何か言うことでも聞けばいいですかねぇ?」

「…だから、責任取って隣に居てよ。」

「………、なあ、それって、」

また、あの時みたいにすうっと真剣な瞳に変わった犬飼は、まっすぐに私を見ている。肩に手を掛けられて、触れられているところがひどく熱い。

「……私も、犬飼のこと好き、かもしれない。…多分。」

一生懸命に導き出したこの心臓のドキドキの理由を、小さな小さな声でつぶやく。そうして、頭上から聞こえた笑い声に、恐る恐る顔を上げた。そこには、随分と久しぶりに見るような気がする犬飼の笑顔があって、「なんか曖昧じゃね?まあ今はそれでいーや。」なんて、苦笑するその顔に心臓がきゅうと音を立てた。

「とりあえず、寮まで送っていきますんで手を繋がせていただいてもよろしいですかオヒメサマ?」

ああ余裕そうなその言い方が、やっぱりむかつく。それでも、差し出された手のひらに自分の手のひらを重ねた時の、なんとも言えないあたたかな気持ちが、自分の選択が間違いじゃなかったと教えてくれたから、きっともう、雨が降っても気持ちが沈んだりなんてしない。

長く降り続いた雨は、少しずつその勢いを無くしていく。寮にたどり着くころには、青い空に虹がかかるのを期待してもいいかもしれない。











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