落ち着け、落ち着け、と何度も唱えて、靴から上履きにはきかえる。昨日のあれは、きっとあいつなりの冗談だろう。それにしては、ちょっと笑えないけれど、犬飼はそういうやつだ。うん、とひとつ頷いて、教室へ向かう階段の方へ向き直って、顔をあげたら、視界に入る、緑色の髪、

「おー、はよー」

「いっ、犬飼!なんでここに!?」

「はあ?ここが俺の通う学校で、これが俺の学年の靴箱だからですけど」

「そ、そうですよねー」

大丈夫かよお前、そういってそのギザギザの歯を見せて笑う犬飼は、全くいつも通りで、昨日のあれは私の夢だったんじゃないか、と思えてくる。でもあれは夢なんかじゃなかった、ということは、やっぱり。

「もー犬飼さあ、たちの悪い冗談いうのやめてよね」

「はあ?」

「昨日のあれ、罰ゲームかなんか知らないけど乙女の心もてあそんじゃだめじゃん」

「……ふーん、お前あれ冗談だと思ってんだ」

「え?」

途端に表情を変えた犬飼は、拗ねたような、怒ったような声色で、そう言った。だって、冗談以外に何があるの。犬飼とはただのクラスメイトと言う関係よりは仲のいいほうで、会えば話すし、ばかみたいなことも一緒にするし、でも、それだけで、こんな環境にいれば嫌でも男の子からの視線には敏感になるけれど、犬飼のそれは、そういう感情は一切含んでいないのに。否、いないはずだったのに。

「まあ別に今はそれでもいいけど、俺はちゃんと本気だから」

私の頭をくしゃりと撫でて、そのまま背中を向ける犬飼に、なんだか無性に腹が立った。そんないつも通りで、何が本気なの。私はいっぱいいっぱいで、どうしていいかわからないのに、いつもと一緒、余裕綽々な犬飼を見ると、やっぱりうそなんじゃないかとしか思えなくて。

「犬飼は私のことすきなんかじゃないよ!」

立ち去る背中に投げ掛けた言葉は、広い玄関ホールに思ったよりも響いた。もうすぐ予鈴のなりそうなこの時間には、遅刻しそうだと焦る人の姿が校庭にちらほらと見えるだけで、辺りに漂ったひやりとした空気が、私の喉をごくりと鳴らした。

「俺の気持ちをお前が決めんじゃねーよ。」

こちらを振り向いてひどく苦しそうな顔でそう言った犬飼は、一瞬だけ視線を合わせたかと思うとすぐに教室へと続く階段を登っていった。犬飼の言葉が頭のなかで反響する。いみが、わからない。あの男は、ほんとに。からからと笑っていたかと思えば、あんな怒ったような、真剣な顔もするんだから。

「なんなの…」

さっきより強くなった雨の音が、私の小さな呟きをかき消した。








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