情報通だった友達は私にすぐ、菊丸英二、という名前を教えてくれたのだけれど、勿論接点なんてないわけで。あの日のお礼は言えないまま、今日まで来てしまったというわけだ。
「どうしたもんかなあ…」
小さなため息をつく、一年以上前のことだし、先輩本人はきっととうの昔に忘れているだろうけど、見ず知らずの私にあそこまでしてもらったのだからきちんとお礼は言わなきゃ、…っていうのは口実で、ほんの少しだけ、話せたりしたらいいなあって下心がないとは言い切れない。
「あ、おーい苗字!お前さっき先生が探してたぞー」
「えっ、あ、そうだ週番!ごめんありがと桃城くん!」
唐突にかけられた声の主を探せばそこに居たのは同じクラスの桃城くん。にかっと笑ってどーいたしまして!なんて言う姿は気さくで話しかけやすい印象を与えられる。そういえば桃城くんもモテるんだっけ、なんて思いだしていると、ひらひら手を振って去ろうとする桃城くんの影から、ひょっこりと顔を出した、のは、
「にゃー?桃、知り合い?」
「クラスメイトっすよ、さっき先生が探してたんで」
「なーんだ!てっきり桃に春が到来したのかと思ったのになー」
頭の後ろに手を組んで、その人は、菊丸先輩、は、楽しそうににひひっと笑った。まさか、こんなところで接点ができるなんて、思ってもみなかった。驚いたまま固まる私をふたりは不思議そうな顔で見ている。ようやく桃城くんもテニス部だったという事を思い出したと同時に、どれだけ菊丸先輩以外の人を見ていなかったんだ!と自分で突っ込んで自分で恥ずかしくなる。同じクラス、だというのに。ほんの少し頬が火照るのを感じていたら、ばちり、と菊丸先輩と目があった。先輩は私の顔を見て何か考え込んで、首を傾げて言った。
「なんか、どっかで会ったことある?」
「英二先輩そのナンパふっるい!」
「そんなんじゃないっつーの!ばか桃!」
なんとなく覚えていてもらえたというだけでこんなにも嬉しいなんて。ぎゃいぎゃい言い合う桃城くんと菊丸先輩を交互に見てから、あの、と口を開いた。ぴたりと止んだ声と、私に向けられる視線に少しだけ居心地が悪くなる。
「その、私、前に先輩に助けていただいて、それで、」
「ほんとに知り合いだったのかよ!はーやっぱ狭いな〜学校!」
うまく言葉が出てこなくてしどろもどろになりながら、スカートをぎゅうっと握りしめて、やっと言葉を紡ぐ。何やら感心している桃城くんを横目に見ながら、恐る恐ると菊丸先輩のほうに目を向けると納得したように晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「ああ!あの時の一年生ちゃん!」
「あの時は本当にありがとうございました。迷惑かけちゃってすみません…」
「いーのいーの!俺がしたくてやったんだしさ〜」
きっと、菊丸先輩ならそういうんだろうなって思ってた。だから、気にもしてなかっただろうし、一年越しの感謝なんて、今更ながら思いが重すぎるんじゃないかとも思ったけど、本当に今更だ。口に出したものを飲み込むことはできないんだから。
「それで、私先輩にお願いがあって、」
「んー?なになに」
そう、口に出したことは飲み込むことはできないし、聞いてしまった相手の記憶をなくすこともできやしない。でも、突然の偶然に動転していたせいか、私の意志とは関係なく言葉を紡ぎだすこの口を、どうしてやればいいだろうか。
「わたしと、」
「うん?」
「お友達になってください!」
まんまるの目をもっとまんまるにした菊丸先輩の瞳に、私が映りこんでいる。桃城くんのほうをちらりと見ると、小さく笑っていた。ぽかんとした表情の先輩の気持ちは、わかりすぎるほどわかってしまう。だって多分、さっきの発言に一番驚いているのは私だもの。
03.薬のない病にかかりました
120126