まってください、そう紡ごうとした口から出てくるのは、荒々しい息継ぎの音。毎日のように部活で動き回ってる先輩と、そんなに運動してない私とでは体力の差は歴然で、引っ張られる力にあわせて必死についていくだけで精一杯の足は今にももつれて転んでしまいそうだった。
もう一度と口を開きかけたとき、ぴたりと先輩の足が止まる。勢いに任せて、自分の力で歩くことをしていなかった私の足は、その勢いを殺す術を知らずに、先輩の背中に激突した。本日二回目の鼻の頭への強い衝撃にそろそろ潰れてしまうんじゃないかと不安になる。痛みを堪えて鼻をさすっていると、くるりと振り返った菊丸先輩と目があった。吸い込まれそうなくらいに真剣でまっすぐな瞳の中に、私がいる。
「まずは、ごめん!」
「え、」
「色々!避けちゃったりとか、そういうのひっくるめて全部」
ちょっと気持ちの整理がつかなくて、そう言って少し気まずそうに先輩の目が逸らされた。こんな先輩は、はじめて見るかもしれない。いつもはずかしいくらいまっすぐに届いていた視線が噛み合わないのは、なんだか寂しい。それに何より、わかってはいても本人の口から避けられていたことを事実にされたことが悲しかった。やっぱり、って気持ちがぐるぐるおなかの辺りをまわっていって、先輩の顔が見られなくなる。
「や、あの、いいんです。この間はいきなり変なこといって…」
「そのことなんだけど!」
急に大きな声で私の言葉を遮った菊丸先輩は、がばりと大きく頭を下げてみせた。ごめんなさい、もう一度、今度は小さな声でそう呟いた先輩の声に心臓が大きな音を立てて跳ねる。ごめんって、これはつまり、改めてふられちゃったんだろうか。ちゃんとフってほしかったなんて言ったけど、実際面と向かって言われちゃうと、結構きついものなんだなあってどこか冷静に考えている自分がいて、ちょっとおかしい。
「いや、ほんとに、もう気にしないでください、フラれるっていうのは、わかってて…」
「えっ、違う!まって苗字さん!」
じわりと目の奥が熱くなって、こぼれそうになる涙を見られないように無理やり笑ってそこから立ち去ろうとすると、背中から先輩の焦ったような声が聞こえてきて、手をがしりとつかまれる。驚いて振り向いた瞬間に、こらえてた涙がほっぺたを滑り落ちて、だめだ、見られちゃった。
「苗字さん、勘違いしてる。おねがい、俺の話、聞いて?」
「…勘違い、って」
「おかしいなあ、いつももっと思ったことそのまんま言ってるのに、なんか、苗字さんが相手だとうまくいかない。へたくそになっちゃうなあ…」
「どういう…」
「ほんとに、いろいろ、嫌な思いさせて、ごめん。でもね、こういうの男の俺から言いたかったんだよん。
俺も、苗字さんが、好き。」
何かの間違いだと、そう思った。でなければこれは夢だ。随分はっきりとした夢を見ているんだと、だって、そんなの、嘘だ。菊丸先輩は眉を下げて、少しほっぺたを赤くした、優しい笑顔で、私をまっすぐ見てる。
「うそ…」
「ほんと!こんなことで嘘つかないって!」
「だって、聞かなかったことにって、ごめん、って…!」
「うっ…だから、その、うまく伝えられなくて、ごめん…!女の子に言わせちゃうのなんてかっこ悪いし、それにどうしても俺から言いたかったの!」
「じゃあなんで避けたりなんか、」
「うう〜…気持ちの決心が、つきませんでした…なんか俺、改めて、だめだめだなあ…」
頭をがしがしと掻いて唸る菊丸先輩を見ながら、必死に頭のなかを整理していって、そして、夢なんかじゃないんだと実感する。菊丸先輩が、私のこと、すき?先輩へと目を向けると、ばっちり視線が噛みあってその瞳がやさしく細められる。この笑顔が、すきだ。引っ込んだはずの涙が、またぼろりとあふれ出した。「返事、聞かせてくれる?」そんなの、
「言わなくてもわかるじゃないですか…」
「ああ〜だめ!俺から言った体なんだから〜!それにさ、」
もっかい直接、ちゃんと顔見て聞きたいじゃん、少し拗ねたように顔をそらす先輩の耳はほんのり赤く染まってて、不器用なとこ、かっこいいとこ、かわいいとこ、全部全部ひっくるめてすきがあふれ出してくる。一目ぼれってどうなの?なんていわれたこともあったけど、やっぱり私は間違ってなかった。
「私も、先輩のこと好きです。」
ぱああっと嬉しそうに顔を綻ばせる先輩を見て私も笑顔になる。つかまれたままだった手が引き寄せられて、先輩の腕の中にすっぽりとおさまった。ありがと、って小さくささやかれて、恥ずかしくて、くすぐったくて、幸せな気持ちになる。
「いっぱい泣かせちゃって、ごめんね。もう絶対、かなしい気持ちにさせないから。」
「…はい」
とろけるような優しい言葉が心地よくて、私のはじめての恋は、これからどんどん幸せを積み重ねていくようです。
16.メロウガールと正しい恋をする方法
130217