花神/胡汀




 銀杏の葉が敷きつめられた山道をのぼる。前を行く胡汀を見上げて大きな背をみつめた。一体どこに行くんだろう? 何も説明してくれなかったし、いくら訊いても微笑んで誤魔化すだけ。
 この山道をのぼりきったら教えてくれるかな。

「──山道とは」
「え?」

 ざっざっと黄色い絨毯を踏み締めながら彼は突然開口する。足音でよく聞こえなかったから思わず訊き返してしまう。

「山道とは、恋道よな。一つの言動で上がりもすれば下がりもする。険しい山道だと思わないか」
「うん。うん?」

 ごく普通に、かつ素直に頷いちゃったけれど、この人は急に何を言ってるの? そりゃ恋って嬉しくなったり、悲しくて辛いときもあって上下する。まさに山道みたい。
 私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれていた胡汀が急に止まって、突然だったから私は胡汀の背中にぶつかってしまう。
 は、鼻いた…。
 片手で鼻を抑えて胡汀を見上げると、そっと振り向いた胡汀は屈んで私の顔を覗きこむ。

「おまえは一体、どんな言動で俺を想う。俺のどんな言葉に喜び、悲しむ? そも、俺はおまえのなかに存在するのか?」

 えっと、あの、胡汀さん?
 藍色の瞳は楽しそうに細められている。
 絶対面白がってる、胡汀!
 それでも動揺を隠せない私のばか!

「で、でも胡汀は知夏ちゃんが好きでしょ? 胡汀のなかの星神様も胡汀も、知夏ちゃんに惹かれてる」
「…………」
「あの、胡汀?」
「ばか娘め」

 ちょ、今度は急に機嫌悪くなったんですけどー?! だめだ、今日の胡汀さん全然読めない。何を言いたいのか全然分からない。
 私から見ても、胡汀と星神様どちらも知夏ちゃんに惹かれてるのは一目瞭然。知夏ちゃんに向ける目は優しいしほのかに甘い熱が含まれている。それなのに私に何を訊いているんだ、胡汀さん。
 そっと胡汀を見上げてみるとぷいっと顔を逸らされた。そのまま体の向きも変えてまた山道を登り始める。
 今度は歩幅が広くて、歩くのも早くて、私は小走り状態で追いかけている。胡汀ってば足長いんだから。背中を見ても雰囲気は怒っていて……私、何かまずいこと言った?

「ま、待って胡汀…!」

 ただでさえ足元が不安定な獣道を進んでいるのだ。胡汀はこんな道慣れているとしても、山道を登ったことない私は胡汀を見失わないように急ぐだけで精一杯。アップダウンが激しい道だ。息も切れ切れ。

「胡汀のばかー!」

 どんどん小さくなる胡汀の背中に叫ぶ。悪いこと何かしたんなら教えてよ。謝るし、悪いところ直すから。
 はあはあ、と膝に手をついて荒い息を吐き出す。普段の運動不足が祟って喉は痛くなるし、足はもうがくがく。歩くの早すぎるよ。

「俺が、ばかと? ばかはおまえだ」

 ざっざっと踏み締める音がして顔を上げると、ぶすっと不機嫌な胡汀が私を見下ろしている。すると、突然抱き上げられる。知夏ちゃんがよくやられている止まり木抱き。
 知夏ちゃん専用かと思ってたけど…私でもいいんだ。って止まり木抱きするってことは私も鳥決定?!
 胡汀はそのまま険しい山道を進み始める。時折低い枝に引っ掛かりそうになる私を気遣ってくれるあたり、胡汀ってやっぱり優しいんだ。というかこのまま獣道歩くって力持ちですな胡汀さん。私体重あるのに…。
 そのまま会話もなくしばらく進んだとき、小休憩を入れるってことになって私たちは丁度よくあった大岩に腰を下ろした。……さっきから胡汀さん機嫌悪いままなんですが。片膝を立てて座る胡汀をちらりと窺う。
 藍色の瞳は程よく色付いた紅葉へ目が行っている。のに、胡汀さんてば本当に鋭いですね。二秒くらいしか見詰めていないのに気付いた。急に目があって私が驚いてしまって、慌てて逸らす。
 ご、ごめん胡汀! 悪気はないんだよ!

「やはり俺は、おまえの中に存在しないか。思えば、いつも阿呆鳥と別の男の名を紡ぐな? 滸楽の王──遠凪の名を」
「いつもってわけじゃ…それに遠凪さんはここに来た私を初めて拾ってくれた、命の恩人だし……。それに遠凪さんだけじゃなく、朝火や伊織の名前も言ってるよ?」
「俺は?」
「え?」

 なぜだか顔を合わせられなくて俯いていると、すたっと地面に降り立った胡汀がまるで騎士のように膝まずいて私を覗きこむ。
 膝に乗せていた手を恭しく取られた。

「俺の名は、紡がぬか?」
「……いつも言ってるよ? でも胡汀は知夏ちゃんに呼ばれたほうが嬉しいでしょ?」

 ずっとそう思っていた。仲睦まじい二人はいつも楽しそう。知夏ちゃんは胡汀に呼ばれると嬉しそうで、胡汀も知夏ちゃんに呼ばれると嬉しそう。そんな二人の間に割り込むなんて出来るわけないよ。
 なるべく胡汀を見ないようにする。一人でさっさと歩いて行っちゃった時みたいに不機嫌になりそう、と予感していたのに、胡汀は見事に私の予想を裏切った。
 大きな手で取った私の手を、唇に近づけたんだ。指先にしっとり濡れた柔らかいものが触れる。火が点いたように一瞬で顔が熱くなる。な、何をしているんだあああ!

「なぜ分からぬ? 俺はこんなにもおまえを求めているのに」
「で、でも胡汀と星神様は知夏ちゃんに惹かれているよ」

 だめだ、二人とも知夏ちゃんに惹かれて、お願いだから。
 ばっと顔を上げて胡汀を見つめると、胡汀の瞳はきらめく銀色へ変わる。でも、それはほんの一瞬。

「『私』はね。花のごとき陽女神が愛しいよ。……だが、『俺』はおまえを」
「だめ! それ以上言わないで!」

 だから、私に惹かれちゃダメなんだってば。
 胡汀の手を振りほどいて両手で胡汀の口を塞ぐ。





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